特撮ヒーロー関連つぶやきまとめ(2011/7)part2


引き続き。
過去tweetより特撮hero関連のみ抜粋、の七月分その2。

2011年07月11日(月)

おお、メダロット無印のロボロボ団コスチュームの元ネタは、ザボーガーのシグマ団だったか
(二話目にして気づく)。

ミニヘリはオーズのタカ缶バッタ缶の能力合体なのだね要するに。昔のが一つで済んで便利かもー

ザボーガー。主題歌のイントロが流れると途端にヒーローが数段カッコよく見えてくる。
すごい威力だ!菊池俊輔マジック。


溜まっている「スケバン刑事Ⅱ」TVシリーズが、気になってきた・・・・・・田中秀夫監督、どうぞ安らかに。


東映chにてギンガマン視聴。第26話の星獣剣をめぐる「炎の兄弟」のやり取りを忠実になぞったのが、
先日のゴーカイジャー第20話だったと知る。ヒュウガに遠慮して一旦は剣を譲ろうとするリョウマだが、
最後はおのれの使命を受けとめる、それへ

「お前が覚悟を決めないなら剣を奪うつもりだった」と笑顔でコメントするヒュウガ、の流れがまさに。
香村純子脚本の元のラインを尊重せんとの気配りは筋金入り。

ギンガマン。黒騎士ブルブラックとヒュウガの関係は、オーズにおけるアンクと泉信吾のそれに引き継がれている。
ちなみに同じ小林靖子脚本。前者は自力復活が無理で他者の身体を借りた者、後者はその提供者であり、
風前の灯だった命が借主のおかげで時が来れば完全復活する。

ギンガマン第25話は田崎竜太監督だが、SAの脚を美しく撮ってあって実に喜ばしい。ため息モノのショットに
事欠かないお得回、と打ちながら脚フェチ(しかも性別問わず)をそれとなく自覚。



2011年07月12日(火)

辛くなるのでしばらくスルーしてたクウガを久々視聴。で五代が母子家庭だと知る(この超のつく今更感)。
てことは明日夢と同じか、そしてカノンは父子家庭、三人の共通項は片親が異性なこと。
ゆえに当人にとって欠落を補填する(憧れや目標や対抗意識を喚起させる年上の)同性の存在が大きくなる。

五代にとっての神埼先生、明日夢にとってのヒビキ、男同士は納得だが、ではカノンにとってのタイヘイはどうか、
放映当時すでに直感で違う!と強い違和感を持ったのは、一個人の単なる趣味趣向から異を唱えているつもりが
毛頭なかったからだが、今でも主張を間違いとは思わない。

カノンに決定的影響を与える人物は年上の同性が一番の適任だった、例えばイケチヨやキリノハとの交流
(反目や衝突含む)をタイヘイ以上に濃密に描けば良かった、仄かに好感よせる異性なんぞでは
逞しさの成長要素に不可欠な生々しい切実が圧倒的に足りない、弱いのだ。

しかしそもそも成長が描かれることがあったかと考えれば疑問で、五代は最初から完成された人格者、
明日夢は途中でうやむやに流れ、カノンもタイヘイ依存が最後まで抜けきれず、では実質どこに成長が、
という気にもなる。もう一つの共通項、最初から役割が決まった安心の

予定調和の中を彷徨ってる感、は否定し難くある。

ああそう、クウガ五代君には忘れちゃならねえ相棒の一条刑事がいたんだった、なんにしろ恵まれてるよね
カノンちゃんに比べれば断然。



2011年07月17日(日)

人々の勝手な望みを黙って全部引き受ける、そんなことが出来る人間だけがきっと、そこで言葉を切った信吾。
ヒーローの条件、グリード化しない真の王(オーズ)たる資質、が問われている、今後の展開の核心が
この台詞に集約されているかと。

一般市民の皆さんが口々にオーズって誰?とか白々しいというか今更といおうか、あれほど初期の頃
ネットで情報飛び交ってた描写は何だったのかと思わなくもない。

オーズ。通せんぼキヨちゃん、ミニチュアセットでおままごとキヨちゃん、手に一輪のチューリップ持って
倒れ伏すキヨちゃん・・・

「オーズのキヨちゃん」続き。ひっくり返った玩具テーブルの下には、さりげなく仕込まれた拳銃?が
(なりきりスパイかよ)。革のミニミニトランクの留め金とステッチがいい感じ。

あれ、ウヴァたん復活すんの?(地味に嬉しいじゃないか)

グリードが人間を喰らい世界を喰らい、塵ひとつ残らない美しい終末が訪れる、そんなDr真木の言葉に
咄嗟に映司がイメージした砂漠の光景。OP映像での砂漠、脚本家小林靖子の言う映司=砂漠のイメージ。
カードはほぼ出揃ったか、あとは組み合わせ技、落とし込みテクに注目したい。風呂敷どう畳む。


ゴーカイジャー。男前な明石チーフ登場!は嬉しい、のだが本編以上にジーカイ予告に一瞬映った
横並びゴセイジャーの画ズラにウケてしまい。担当スーツアクターのメンツはそのままで
役柄のみ総シャッフルされた遊びが楽しい、困ったマニア目線。

ちなみに左より、野川SA(ゴセイイエローからゴセイピンクへ)、竹内SA(ゴセイレッド→ゴセイブラック)、
福沢SA(ゴセイブルー→ゴセイレッド)、押川SA(ゴセイブラック→ゴセイブルー)、
蜂須賀SA(ゴセイピンク→ゴセイイエロー)、

ゴセイナイトさんだけゴーカイシルバー役の佐藤SAが演じている、ので結果「ゴセイブルー&ブラックと比べ
小柄な印象だった」ゴセイレッドより「常に威圧感あるデカさを感じさせた」ゴセイナイトの身長が
低くなる、という意外性の面白さが。


クウガ13&14話。
ここに至って唐突に「グロンギ捕獲」に意欲を示す(今頃になって、ではよほどの無能者揃いに見えてくるんだが・・)
警察、一方で相変わらず一条刑事は「奴らを叩く!」と豪語、何が何やらと混乱しクレジット確認すると
脚本:井上敏樹の文字が。

なるほど、ささやかな抵抗であれ「捕獲」の発想の真っ当さにニヤリ、サブじゃ本筋変える権限ないしね、
せめて破綻の芽を事前に潰しておく「さりげない気遣い」(ちょっと感心した)にGJ!と言おう。

現在放映中のアギトもちらちら観てるんだが、エリート男性陣からいびられる天才肌な小沢女史、という構図も
凄けりゃ、男の嫉妬深さと恨みがましい陰湿さ描写のドン引きさせるに十分な説得力も凄い。
まあでもこれ女でやったら途端に昼ドラかレディコミ仕様になりそう。発想の転換、いや盲点か、うむむ



2011年07月23日(土)

過日触れた押井守の著書に「特撮は絶滅した」との一文があって、確かに限定的意味合いに於いて
VFXに取って変わられたわけだが、では「特撮ヒーロー」なるジャンルをどう捉えたらいいのか、いずれ
同じ道を辿る絶滅危惧種なのか、夏映画の某勧善懲悪TV時代劇ヒーローとのコラボにはそういう

意味深な裏読みも含むのか、そもそも特撮ヒーローものの需要を人気時代劇に求める、というのは要するに
ややこしい思想的なもの一切の否定であり、偉大な(という言い方での)マンネリズム肯定でもあるので、
いつか行き着く先が思考停止の称揚にならないか、どうか杞憂であれと願うばかりだ。

特撮ヒーローって何でしょうなんて考えたことありますか一度自分なりに突き詰めてきっちり考えてみるのは
大事かもですよ正義だの善悪だのやたら大層な抽象言語の飛び道具扱ってるわけですからね慣れとか
怖くないですか平気でしょうか私は怖いです身体性が提示する快楽に抗するのは至難の業ですから

せめて考えること、考え続けることは手放さないでいたい、最後の砦だから、手放せば終わる、強いは正義、
多数は正義、大声は正義、の楽な方へ流れる、考えることをやめる、すべての基準が「楽」に置かれる、
つまり「楽しい」が正義となる、いや既にそうなりつつあるか、

もろ刃の剣とはまさに特撮ヒーローを指す言葉、使い方次第でいかようにも化ける、意外と劇物
覚悟なくして触るな危険、私にはそう見える。



2011年07月27日(水)

今更だがゴーカイ#22、恒例の(え)スーツアクター語りなど。ゴセイ変身時の6人其々の立ちポーズが、
元の個性のまんまでコスプレ以外の何物でもなく。ゴセイレッド福沢SAver.のリュウレンキーを手にした
アップショットでは、メンまでがクール系二枚目の面差しで

あの竹内ゴセイレッドの、アラタらしさを打ち出した可愛くも凛々しい天然系の佇まいとは似て非なる別人ぶりに、
軽く驚いたことだ。

だがしかしリュウレンに関しては、かったるそうな横柄な動きが基本で、細身の縦長体型な福沢SAでは
今ひとつ押しが弱く感じ、やはり熱血全開で派手にキビキビ動く大藤SAでなければ物足りないかも。
それとオーレッドも横山SAのデカさが欲しいかも。というか

もう一度見てみたい願望がある、かつての勇姿「まんま」、つまりかつてと同じSAが演じる、という
きっと誰もが垂涎必至のドリーム企画を。(199映画みたくTVでもたまに実現してくれると嬉しいななんて)






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