平清盛(27)/マグマ(最終話)


平清盛/宿命の対決

奸臣信頼には従属の証たる名簿(なづき)提出で油断、
(女装に身をやつした)二条帝を黒戸御所から、後白河院を一本御書所から、それぞれ脱出させた上で、
合戦となれば、優勢の内に兵を撤退させることで、大内から源氏勢を引っ張り出す作戦を決行、
平氏の本拠六波羅で袋のネズミと囲い込む、

などの重要ポイントは、大まかだが分かりやすく簡潔に描かれていたと思う。
(大河は史実の厳密な再現でなくてむろん構わない、ゆえにある程度シンプルな構造に組み替えるのは
大衆ウケを狙う上で正解、物足りない向きには以前もちらと紹介した「双調平家/平治の巻」をお奨め、
破格の面白さを保証)

ただ主役を立てる立てない以前に、脚本の情緒過多ならびに軟弱化傾向が、好悪感情の分かれ目な気もする。
40過ぎた(しかも一族郎党引き連れた大将という重責を担う)大人の甘ったるい青春ごっこなど
正直見たいと思わない。どんなことをしてでも勝ち抜かねばならんのだ!などとやたら力説したがるのも
ガキの発想で、淡々と非情をこなす覚悟もないのに興醒めする。
遠大なる目標を見定めたいっぱしの男なら、その達成過程で代償となる憎まれ役を、言い訳なしに引き受ける
度量くらい示せないものかと情けなさが先に立つ。

清盛と義朝を一騎打ちに持ち込ませる大河ファンタジーは悪くない、が部活のライバル争いの域を出ていない、
あの生温い決着の付け方はさすがに酷い。
やはり(という言い様が失礼なのは承知だが)女の脳内でこしらえた清盛は、どうやっても成熟に至らぬ
中二病どまりかと落胆を覚えた。
戦闘の緊迫感、生命を賭した真剣勝負の緊張感が、見事に台無し。
保元の乱や叔父斬りの回に顕著だったダラダラ情緒垂れ流し感に辟易した感覚を、再び呼び覚まされた。

とはいえ変わらず松ケン清盛は大好きなので、合わない作風とは距離を置いて今後も視聴継続の予定。
松ケンの表情を追う楽しみは捨てがたいのだ。


◇マグマ/最終話

地熱だけに熱さはお墨付き。怒涛の勢いキープでよくぞラストまで持たせてくれたと。
作り手の高い志と良心は後を引く清々しい余韻に結実している。
実に311後に相応しい(新たに人と人とが繋がる理想のカタチを具体化してみせた)結末に拍手。

重い体調不良を押して仕事場に来る御室(長塚京三)の本意は
「(精魂つぎ込んだ高温岩体発電の)タービンが回る音を聞くまで死ねない」だったが、
治療そっちのけで仕事最優先する無茶ぶりを、長年連れ添った妻(仁科亜季子)に詫びた彼に、
ややあって台所のカウンター越しから妻が
「私にも聞かせてください、タービンの回る音」と静かに返すや、御室の背筋がすっと伸び
「ありがとう」キッパリした口調で言うと、ウル目をこらえながら湯のみからむやみに茶をすする、
というシーンにジンときた。

原子力推進派の宇田川(大杉漣)が「地熱などキレイゴトだ」と御室に食って掛かるのに、
「今のお前は自分の研究に固執するあまり、本質が見えなくなっている」と御室が反論、
再び宇田川が「お前こそ!お前の自己満足にすぎない理想主義でこの国を滅ぼそうとしている」、

一触即発ムードが高まったその時に、オノマチこと主役の野上妙子(尾野真千子)が登場、
これは「誰のため」の議論ですか!と一括し、
私たちに必要なのは地熱や原子力じゃない、電気です。
本質論をぶちあげ、場を一旦納めた上で、

自分も最初は地熱の将来性には否定的だったが、御室たちを見て気づいた、
どんなに小さな灯りでも、それは必ず誰かの生活を照らしているのだと、
新しいエネルギーの可能性を否定する権利は誰にもないはずだ、
そして自分たちは日本の未来に選択肢を提案したいのだ、と率直に持論を述べる。

余談だが、どんなに小さな灯りでも、それは必ず誰かを照らしている、とは含蓄のあるいい言葉だ。
小さな灯りを「ささやかな作品」と置き換えても、想像力に基づく「誰か」への配慮の問題として
十分通用するだろう。

妙子らの上記のやり取りを「偶然に立ち聞き」した、妙子の親友にして週刊誌記者の洋子(釈由美子)が
最後のどんでん返しをもたらす重要な駒だったとは。
不倫相手の国会議員、龍崎(石黒賢 ←なんという適役)の暴走する復讐計画を阻止すべく、利権絡みの
不正の暴露記事を書いた理由が、「龍崎にこれ以上駄目になって欲しくなかった」女心とは泣かせる。

人間が皆おのれの利益のためにだけ動くなら、そこに日本の未来はない。
個別の利害を越えて、世のため誰かのため未来のために尽くす人の、思いがちゃんと報われる、
そんな社会づくりを我々は目指すべきではないか。
というのが洋子が記事で述べた主張。

やり甲斐のある仕事に打ち込むオノマチ妙子がずっと羨ましかった、と胸の内を明かした洋子は
「もう一度、置いてきた夢を探してみる」と笑った。
忘れていた「あの頃の志」を思い出させるキッカケをもたらしたのは他者だった。
洋子は妙子に。妙子は御室たちに。
まっすぐで熱い心、それはエゴからは生まれない、
エゴを満たしたいだけの目的(または根っこはエゴなのに××のためとのすり替え)からは、
生まれないのだ決して。

地熱開発の元社長にして、龍崎からすれば自殺した親の仇の息子たる安藤(谷原章介)は、
利権食いの暴露記事掲載を経て、あらためてこれまで地熱開発に対し、復讐心から(本当は龍崎父の自殺は
安藤父のせいではなかったのだが、龍崎は知らなかった)数々の妨害工作を仕掛けた当人たる龍崎に、
地熱開発のために力を貸してくれるよう、再び心を尽くして頼む。

それへやや驚き呆れた苦笑を漏らしながら
「オヤジは君の父親に託したのかもしれないな、100年後の未来とやらを」
ポツリ言い残して立ち去りかけた龍崎の背に
「僕がつなげておきます、あなたが戻ってくるまで」と声をかける安藤。

彼は、龍崎父をかばって利権食いの濡れ衣を晴らすことなく亡くなった父の遺志を引き継ぎ、
父が期待した地熱発電の未来を守り、地味でも諦めずコツコツと築いていく決意と覚悟を胸に秘めた、
恐るべきブレない人なのである。

意識朦朧となって病院のベッドに横たわる御室のもとにケータイ連絡が入り、
傍に控える妻が彼の耳元にケータイを押し当てると、そこから響いてくるタービンの音に、
弱々しくもはっきりと「聞こえる」と応える御室と、
それをケータイの向こう側で喜ぶ妙子を始めとする研究所の面々、という絵ズラが沁みた。

夢をカタチにする。人のチカラ。人のオモイ。夢は死なない。諦めさえしなければ。何度でも甦る。
そこに何度でも立ち上がり再生に向かう人の姿が重なる。そうか、人は夢なのか。夢の核心、形づくる大元の芯。






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