ダークナイトライジングつぶやきまとめ(7/31)


ダークナイトライジングに関する町山批判(偶然知った)の反論になるのかしらんが一応呟いとく。


今作は一作目の焼き直しでしかない(脚本の手抜き)→
中間の二作目(ダークナイト)で被ったダメージにより揺らいだ信念を立て直す意味で必要。
ブルースが自分を取り戻す物語構成になるのは、一作目の時点で明らか。
二作目は最大の試練として用意されただけ。起承転結の転では終われなかったと。


ゴッサム壊滅を二段構えで計画する無意味(脚本の破綻)→
ベイン側の主張する、腐り切ったゴッサムの「悪」を完膚なきまでに叩き潰す、はあくまで善行のつもりだから、
善側としての確たる理由付け、揺るぎない根拠が必要となる。


ゴッサムのサイテーな「現実」をバットマンにも反論不能なほど見せつけ(否応なく認めさせ)て破壊、の手続きが
省略不可なのは、彼らの行動が理論武装の上に成立するから。思想が絡む知性派はかように面倒くさいということ。


とはいえジョーカーみたく悪を自認するカオス野郎を最強と持ち上げるのも小市民の惨めさ全開でなんか萎える。
キ印には誰も敵わないってそらそうだろよ、でだからなんだよと。先に狂ったもん勝ち、我が儘をゴリ押ししたもん勝ち。
実に今の世の中反映した賞賛の仕方ではある。

※追記:こんなこと言うまでもないとは思うが、ジョーカーというキャラや、演じたヒース・レジャー
嫌いというのではない。


ただベインらの想定する悪は「自分たち以外」だから。「愚民」の暴動はバットマンを凹ませるのに使える程度の認識。
用済みの頃合いに街ごと消滅させてスッキリお掃除完了!の予定だった。
彼らの善行は人のためでなく理念のため。人の生命なんぞ彼らには紙より軽い。


さらにダークナイトライジング。ベインらはまんまと煽動に乗っかる「愚民」を守ろうとしたヒーローの間抜けさを証明したがったが、
バットマンゴッサム市民を信頼し続けた。かつてジョーカーが仕掛けた二隻のフェリー爆破の時のように。
誰も起爆スイッチを押さない、と断言したあの時と同じく。


市民を全力で守る。そのバットマンの不屈の意志を受け継ぐのは、やはり街を守る立場の者であってほしい、それで
警官隊が集団で対峙する絵ヅラなのかと想像。




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