ダークナイトライジング&中央公論(日本の「正義」を考える)に関するつぶやきまとめ(8/1)


ダークナイトライジングの「王道ヒーロー展開」こそノーランの大人度の証左。
逆に子どもは大人に見られたくて背伸びしたがる(→厨二病)。
センセーショナルだった前作ダークナイトの次に、こんな捻りなし正攻法ベタやれる確信犯に痺れる。


雑誌と縁がなくてスルー状態だった『中央公論』の、日本の「正義」を考えると 題した特集をぼちぼちと。
巻頭を飾る猪木武徳×宇野重規対談や、次の橋本治の寄稿を面白く読む。


「私たちが直面している答のない課題に、答えはないのだから人それぞれ好き勝手にやりましょうという相対主義
どうしたら陥らず、社会として一つの判断を下すことができるかが問題(宇野)」や

「そもそも正義とは根本のところでワンパターンの保守的なもの/正義は ”守る”がデフォ/正義とは
ズルをしないこと(橋本)」との見解に全面同意。


ただ特集最後に置かれた白倉@東映Pの龍騎語り「本当の正義はない、ないと言ってシリーズは終わります(笑)」の、
正義は人それぞれの「相対主義」には相変わらず違和感拭えず。
決断や選択といった何らかの意思表明に伴うリスクを背負わないリセットエンドでは、何も言ってないに等しいと思うので。


それでいて敵は敵という記号で構わない、敵を圧倒的強さで叩きのめすヒーローの構図を崩すべきでない、と
勧善懲悪を絶対視する。つまりは、それぞれ好き勝手にエゴを撒き散らせばいい、正義は力づくで決定されるべき、
カオス状態こそ理想、と言いたいのか。さっぱりわからない。


まあ何処に真意があるやら掴みにくい統一性のない言動は今に始まったことではないが。
ダークナイトライジングのパンフ然り(こちらで言及)。


某所にて。前作と比較してダークナイトライジングは市民の描写が欠落してるから駄目、という意見を知る。
あれもこれも放り込めば優に3時間超えは確実の映画だろうからwそこは優先順位を「守る側」に特化した、
守る立場に照準を絞った作劇を意識的に選択した、でいいんじゃないかと。


呟きたい衝動が抑えられずどうしたものか、一度観たきりでよくもこれだけ続くものよと我ながら呆れる/ダークナイトライジン






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