ダークナイトライジング(2)/復讐は正義に非ず※追記あり


※公開直後につき、昨日に続いて「極力バレ回避」の方向で。

ゴッサムを守ろうとするバットマン側、ゴッサムを滅ぼそうとするベイン側、
二極に分かれる立場はしかし、「悪」の撲滅を掲げる点では、皮肉にも合わせ鏡のごとく似通っている。
似て非なる別物となるのは紙一重の、それでいて決定的な違いによる。

表層のみに着目すれば、どちらも第三者に訴える説得力を備えているかに映る。
両者の違いを見逃すか否かで、是非の行方が左右される。

見極める手がかりとして、復讐を肯定するか否定するか、は重要である。

第一作目のビギンズで、
大事な両親を通りすがりの物取りの「恐怖心の暴発」によって撃ち殺されたブルースが、
復讐に燃え、犯人に正義の鉄槌を下してやると息巻くのに、
幼馴染みのレイチェルが「復讐は正義ではない、ただの私怨」だと厳しく諫めたシーンが
脳裏をよぎる。

ブルースは、慈悲を失えば敵と同じに成り下がる、と気づき、
復讐の暗い誘惑ときっぱり決別した。

「目には目を」の精神で復讐を肯定する秘密結社(闇の同盟)の、目的のためなら手段を選ばない
抑止力なしの暴走スタイルが重視するのは、悪の撲滅という理念であって、人ではない。
彼らは人の生命をいくらでも替えがきく消耗品並みに軽視する。

正義は人それぞれだ、正解はないのだ、と早急に結論付けずに、もう一歩すすんで、
正義を支える動機の部分を検証することは、有効な判断材料の一つとなるだろう。

そういえばかつて平成ライダーでは、復讐もある者にとっては正義である、と描いたが、
ノーラン版バットマンでは一作目から復讐を正義とは認めなかった。
後者のはっきりした線引きを、前者の作り手はどう感じているのか。

「人それぞれ」で済ませる曖昧さは日本に顕著な思考の癖なのかもしれない。
つまり決断を先延ばしにするとか、決断自体を避けて(責任引き受けるのを嫌って)
うやむやに流してしまうとか。

だが悠長な態度が許される場合ならまだしも、人命救出に一刻を争う場面で
助けるも助けないもそれぞれの正義だ、はさすがに通用しない。
少なくともこのシチュエーションで正義は関係ない。

正義に関する双方の主張を検討する場合に「人を守る/生命を守る」の大前提を拒否し
他者を傷つける(殺める)復讐を正義として正当化する者を、
どうして「人それぞれ」と同等に扱えるだろう。

本作パンフレットに寄稿する白倉伸一郎東映Pが手がけた仮面ライダー龍騎』における
リセットエンドは、悪行を犯した者までが一律に「事情があった」「仕方なかった」で済まされてしまう
(ようするに罪を償う機会を「日本的母性」が永遠に奪ってしまう、ある意味では残酷な)
ご都合主義だと以前から批判してきたが、今もその見方は一ミリも動かない。

だが同パンフで白倉は悩んだ末に選択することの重要を主張する。
ということはつまり、龍騎の「全てをゼロに戻した」リセットエンドが「善悪の判断を選択しない」
無責任かつ女々しさの極致なのは、(それこそ)彼の意識の中でリセットされているのだろうか。
日本の「温情ある裁き」を批判する言葉は一体誰に向けたものか。自虐にしか見えないが。

ついでに言及しておくと、前作でハービー・デントとレイチェルのどちらを救出するか
二者択一を迫られたバットマンが、あの限られた時間内で、別の場所に監禁された二人を救うのは
とうてい無理な相談であり(片方には間に合わなかったとはいえゴードンが向かったのだし)、
であるなら「迷わず即断でレイチェルの方に走った(結果はジョーカーの悪意でデントだったが)」ことを
「悩まなかったゆえの悲劇」という言い方で非難するのはどうなのか、

結果がたとえ悪く転んだからといって、後からもっと上手いやり方があったはずだと、観る側の特権として
許された神視点から、訳知り顔で糾弾してみせる神経が解せない。
彼(ら)が懸命に選択した運命に対して、間違いや失敗のニュアンスで後出しじゃんけん的に語るのは、
無意味だし失礼だと(たとえ架空の人物であっても)思うがどうか。

※追記:失敗ニュアンスで語る、ということはつまり「語る側に正解がある」からだろう。
でどちらを正解だと言いたいのか、レイチェルか、デントか。
その後の結果云々でなしに
人命を救うのに、誰なら正解とか失敗とか、果たしてあるのか、そしてそれは誰が決めるのか。
語る側が決めていいことなのか。
一刻を争うシチュエーションで即断せざるを得なかった当事者の痛みを知らない、無関係かつ無責任な
野次馬でしかないのに?

裁判の判決に絶対の正解などない、を盾にとって、人を救う/助けるというヒーローの根本原理まで
正解がない、と言い張るのもつまらない屁理屈に思える。
(正解があったりなかったり、語る側の都合で節操なく変わるのにも疑問だが)

眼の前の人を救う、助ける、見捨てない、に理由はいらない。
救うべきだし助けるべきだし見捨てるべきじゃない、どんな人も、たとえ悪人であっても。
苦しんでいるなら、生命の危機に瀕しているなら、本気で助けを求めているなら、
手を差し伸べるのに躊躇はいらない、
当然ながらパーフェクトは難しいが、出来うる限りのことをする、それでいい、またそれしか出来ない、

それがヒーローならずとも「人間らしさ」を失わないための我々の義務にして権利である。
正解なら既に出ている。





.