梅ちゃん先生(第18週)大切な人/信郎&梅子の前途を祝す


先週分の感想が飛んだのは、ひとえにすごい勢いで
公開直後の映画DKRに関心がもっていかれたせいであり、
急に視聴を止めたからとか、興味を失くしたからとかではないので念のため。
そうする/そうなる動機も私には皆無だし。
(ただ他に気を取られるとか、使える時間の関係で、書かなくなる可能性は常にあるが)

信郎と梅子の気心知れた幼馴染みの男女が、ついに結婚するに至ったかと感慨深く。

二人の心の距離が、当人たちに自覚なく徐々に接近していく過程を
長いスパンを設けて丁寧に追ってきたことに、ここまでの流れを振り返ってみて感心する。

それも直截的な台詞やナレで済ませずに、表情や視線や仕草といったボディランゲージと
台詞であれば本意とはかけ離れた(真逆だったり唐突だったりする)内容をわざと喋らせる、
咄嗟に口走らせる。それでも神視点が許された視聴者には、その「偽装」に隠れた真意や本心が
当人以上に見えてしまう。ただし適当に流し見ではさすがに見落としや勘違いも多かろう。

サブタイの「大切な人」には、信郎と梅子の関係性が主軸とはいえ、建造と陽造の兄弟、
そこに正枝を加えた「親子」の関係性をも含まれる。
さらには竹夫や松子への目配せも通常運転で入れてくるのが尾崎流か。

一人息子の信郎のため父の幸吉と母の和子が奮闘する、「料理洗濯できる嫁探し」の前フリを月曜に
オチを土曜にもってくる律儀さに安定のサービス精神を感じる。

しかし当時は「結婚しろ」だの「子どもはいつ」だの今のプライバシーの概念とは程遠い
過干渉がまかり通っていたのが端的に描写されていて興味深い。

しつこく立ち聞き描写を入れるのも、当時の庶民感覚を表現する一つの有効な手段なのだろう。
寅さん口調の幸吉以下ご近所さんを「下品」となじったお見合い相手に、食って掛かる梅子は
寅さんの妹さくらへのオマージュか。

映画といえば余談だが先日BSで観た、終戦直後に撮られた映画『東京五人男』に出てくる実際の焼け跡の風景は、
本作の大掛かりなオープンセットの忠実な再現ぶりを逆説的に証明していた。Excellent!

ノブに最初持ってこられたお見合い写真の女性に、カーネーションの地元の有力者たる大地主の娘さん、
神宮寺さんだっけか、を思い出して吹き出すなど。
上記以外にも散見される前作とのリンクはやはり確信犯に違いない。
ああまた、と見つけてはニヤニヤする。怪しい人と化している。

梅子が見合いの席で、医者は結婚すべきでないだの結婚に向いてないだの、場違いな発言を口走った背景には、
信郎の存在がある。
信郎が気になるからこそ、見合いが順調に進むのに非常な抵抗を覚え、無意識に水を差そうとするのだが
本人的にはまったく気づいていないので、後日松子と竹夫を前にした時も、同じ主張を真顔で繰り返し、
二人を大いに呆れさせるのだ。

下品と評されて梅子が怒ったのは、もちろん安岡&三上のご近所さんへの侮辱に対してだが、
見合い相手に詰め寄った際に投げた視線はただ一人、そんな梅子を呆然と見返す信郎へ注がれたことからも、
本音の底の底では、ノブへの侮辱が許せなかった女心が確実にあっただろうと思う。
あの瞬時に噴出した激しさに、梅子のノブを思う本気が窺える。
長い年月かけて熟成された幼馴染みの絆が、ここぞと発揮されたシーンだった。

雨の降る中、警察署前のベンチでの語らいから、信郎が結婚を申し込み、梅子が承諾するまでのシークエンスが
脚本、演出ともに力が入ってて良かった。
雨音のアクセントも場面にしっとりと甘やかな情緒を添えるのに一役買っていた。
先週も目を引いたが今週もカメラワークの安定感が揺るぎなかった。ズームやパンの繊細さに関しては
前作よりいいと思う。

梅子の愛情こもった「バカ(はあと)」を受けて、彼女を不意に抱きよせた信郎が「それじゃわかんねえよ」と
甘くささやいた後、背中に回した手にぎゅっと力を込めて、きつく抱きあう幸せな恋人たちの絵ヅラが
完成するまでの極甘タイムが凄かった。
前作とは別の意味で、朝ドラなのに夜ドラの方が似つかわしい展開を堂々もってくるのも凄い。
信郎が梅子を抱きしめた時の、あの蕩けそうに優しい表情の嵌り具合は、演じる松坂桃李くんの良さを
余すところなく引き出せた結果だろう。彼に限らずだが本作のキャスティングの妙を褒めたい。


建造が陽造にことさら厳しく接するのは、
正枝の手前、下村の家に私情を持ち込んで甘やかしていると見られたくなかったから。
竹夫が静子にことさら厳しく接するのは、
他の従業員の手前、仕事に私情を持ち込んで甘やかしていると見られたくなかったから。

この父にしてこの息子あり、見事に相似形をなす二人なのである。

そうか、正枝は陽造を引きとってやれなかった負い目から、ことあるごとに建造と比較し陽造を持ち上げることで
親愛の情を接してきたし、また建造には、そうやってわざと突っかかることで遠慮なく「本音」をぶつけて
欲しかったのかもしれない。建造が表に出そうとしない、どこか他人行儀なよそよそしさを取っ払いたくて。

そして建造は建造で、養子にしてもらった恩義から、正枝の負担を一人合点で察してしまい、
たびたび金を無心にくる陽造を本心では心配しながら、あえて冷たく接し遠ざけようとしてきた経緯があった。

さらに陽造としては、兄の建造に愛憎半ばする複雑な感情を抱いてきた。
下村家で恵まれた生活を享受する兄と比べて、惨めな暮らしを耐えるしかなかった無力な子供時代の怒りが、
建造を前にして、仕返ししたかったのかも、と言わせる。
ずっと建造に疎まれていると感じてきた陽造の淋しさは、時として帰れる場所が欲しい本音を漏らしていた
独り身の坂田へ寄せるシンパシーや、建造不在の下村家に居座りたがる様子にも現れていた。

陽造叔父さんが反省してお金を返せば、刑務所に行かなくて済むかもしれないのに、自暴自棄になっているらしい、
だからお父さんが説得して、面会に行ってあげて、と父に懇願する梅子。
「父親に指図するな!」建造の剣幕にも怯まず「必要なときはします」としっかり言い返すのを目撃して
おお、あの梅子が見違えるほど逞しくなってと、目頭が熱くなるなど。

兄が羨ましい、あんな子供たちを持てて、俺には誰もいない、とたまらず淋しい本音を吐露して嘆く陽造に、
いるぞ、と力強く肯定する建造。

梅子の仲直りさせたい努力、母(正枝)もお前のことを息子だと思ってる、たった一人の兄貴のことも忘れるな、

一人じゃない、陽造、心から反省するんだ、
出てきたらいつでもうちに来い、

厳しい中にも温かく包み込むような建造の言葉に、万感の思いで、すまん、と、ありがとう、を辛うじて伝え、
あとは男泣きに泣くばかりの陽造が最強すぎて参った。
鬼ならぬ建造の目にも光るものが。
そして画面のこちらには大海で溺れかけてる奴が。

ひとつ言ってしまうと、陽造は前作の北村に相当する位置づけだろう。
心から反省するんだ、と建造に言わせる辺りに、前作とのスタンスの違いが如実に出ている。
前作に欠落していたのが、恋愛と男(の要素)だったことに気づくと、本作のスタンスにも納得がいく。
盲点を突く読みは見事当たったというところか。

めでたく退院以降、決まって食卓の中心に置かれる茶饅頭は、入院中食えなかった恨みから建造が指示して
置かせているのか、ものすごくどうでもいいことだが妙に気になる。






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