ダークナイトライジングに関するつぶやきまとめ(8/6)


感想は個人の自由、とはいえ誤解は拙かろう。バットマンは『ビギンズ』でラーズを復讐心から見捨てただの
(正確には一度は助けてチャンスを与えた、それを悪用されたゆえ二度は助けなかった)、
ダークナイトライジング』は憎悪や怒りの物語だの。一体この映画の何を観ていたのか別の意味で興味ある。

一作目のビギンズの段階から正義とは何ぞやの定義を明確に示していたのがノーラン版バットマンなんだがな。


掲げる理念以上に情念に取り込まれたベインは結局「おのれの愛する人を満足させたいエゴ」に執着し、
その他大勢の生命を犠牲にするのを正義とした。父の仇へ復讐したがった×××も然り。
罪なき他者が自分たちのエゴの犠牲になって当然と考えた。バットマンとの唯一の違い。

一方、デント法最大の欠陥は「目標のためなら手段選ばず」な点。
正当な手続きを踏まない正義を正義とは呼べない。
結果(成果)主義への偏重はいずれ必ず行き詰り、悪しき相対化を許す精神的土壌をつくる。
すなわちジョーカーの望んだ互いにエゴを競い合う無明状態に近づく。


英雄の条件は「他者への献身」にあり。
ただしその達成と引き換えに他の罪なき生命を犠牲にするのは論外、ということと受け取った。


ベインらの正義が、どうバットマンの体現するheroのそれと異なり「普遍の価値を持ちえないのか」を描くために、
あえてベタな復讐や献身ネタをもってきたのかと思う。


けれどベインらの掲げる理念(正義)って結局は選民思想、生命に良し悪しのランクをつける差別化に
他ならないわけで。
彼らはこの世を浄化する善行のつもりでも煎じ詰めればやはり「悪」に他ならない。
生命への全肯定は我々みなが共有できる(またすべき)共通善だと思うから。


一人の人間の中に善と悪が渾然一体と含まれる、との今更感ある勿体つけた傍観者の確認で終わらせずに、
その先の「自分はどういう人間でありたいか」に踏み込む当事者意識を問われているのと、
大丈夫だと力強く励まされているのと、どちらも感じた見終えた直後に。


DKRに関するつぶやきがなかなか止まらない病。





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