ダークナイトライジング/ツッコミと擁護の巻


もう観た人のための『ダークナイト・ライジング』前篇


いつでも視聴を切れる、つまり観る観ないの選択権は常に視聴者側が握っているTVの連続ドラマと違い、
事前に予測できない賭けである一回性の出会いがすべてな映画作品は、
(世間がいくら名作だの駄作だの言い立てようと、最終的には個人の主観に落ち着くことではあるが)
当たり外れが避けがたくある分、期待はずれにガッカリして、とりあえず文句言うとか、
整合性の穴を指摘するとかで、望まずして起こった不幸な衝突事故のショックから立ち直る方法を、
示し合わせたわけでもなくやってしまう心理はよく分かるし共感もする。

映画を観る、とはそういうネガティブな側面まで込みだと思ってる。
アンチか否かの区分より、作品をネタに楽しめているかが大事だろう。娯楽映画なんだし。
公開期間も一部の例外を除き、せいぜい一ヶ月程度なんだろうし。
いくら賛否で沸騰しようと所詮は一過性、次に何か面白い映画が封切られれば関心はそちらに向かう、
せいぜい今のうちかもしれない熱く盛り上がって楽しめるのも。

ところで町山智浩のrises批判には納得と疑問が半々くらいだったろうか。
面白く聞いたので、折角だから覚えている限りの挙げられた疑問点に関して
思うことを書いてみたら、意外に長くなってしまった。
こんなはずでは。
ほとんど聞いた人限定かもしれない内容ですが、と断り入れつつ。


証券取引監視委員会の存在を理由に、ブルースの破産はありえない、との主張がピンとこず。

指紋を盗まれて好き勝手操作された後から、どうやって成りすましを立証できるのか疑問。
しかも犯行時点ではまだ、本人含め誰もブルースの資産狙いだと気づいてなかった。
であれば未然に資産流失を防ぐのもまず無理だろうし。
違法に盗まれたものになんで文句言わないんだおかしいっていくら憤慨しても
一旦取引成立してしまえばそこでジ・エンドじゃないですかね。
(もうひとつ付け加えるに、ブルース本人も破産して逆にせいせいした表情だったのが
印象にある、財産は彼にとって過去の呪縛でもあったから、以前より格段に身が軽くなって
ホッとしたようにも見えた)


影の同盟所有の例の洞窟はラザルスピットという名称だそうな。

同じくあそこに監視や管理を任された人間がいるのか気になった。
最低でも食事はさせないとあんな高齢になるまで生きられないし、
ある程度は洞窟内の衛生に気を配らないと疫病発生であっという間に死体の山だし、
管理が数人てことはなかろうし、どうなってんのかなと。ちらっと考えてまいいかwと流したが。

だって原作アメコミだもん。そこらへんの描写は原作準拠なんだろなと(あまりの荒唐無稽な設定&
成り行きからして)裏事情知らずともなんとなく察しておいた。
そんな無茶ねじ込んでもコレを(露骨にアメコミ仕様な設定を)選ぶんなら選ぶだけの思い入れの
深さや強さが作り手にあるんだろうと。

他の囚人たちがトンネルを掘って脱出するとかやる気ないのは何故。
→これも同じく観ている最中から訝しかったが
早々に諦めてしまったか、「伝説」を鵜呑みにして挑戦する前にビビったとか、どちらにしろ、
ブルースが脱出に挑戦する場面で、他人を応援してる場合なのか皆の衆!と突っ込みながら
観ていたのを思い出した。
彼らを登場させた意味は、失敗を恐れて脱出できなかった→死を恐れて生き延びた、だろうか、
それとも生きながら死んでいる、だろうか。

簡単に登れそうなロープ付き親切仕様のピット。
→吹いた。確かに。
あれもすんなり脱出できそうな絵ヅラと脱出不可能云々の伝説との落差が甚だしくて、
でもノーランとしては、ブルースの子供の頃の井戸の記憶となるべく重なる絵ヅラを
強引に持ってきたがった結果の「ロープ付き(父の記憶)」なんだろなとか裏読みして
しょうがないなーと苦笑しつつ流してた。

背骨を叩いて治すのはあれ、脊椎の「損傷」ではなくて関節のズレであって、神の手をもつ(!)
整体師の一発荒治療で治した、ということなんだろなと理解したんだが。
いいんじゃないかなー「ズレ」なら別に。駄目?


脱出後に、インドとかチベットとか南米とか?にあるらしいピットからゴッサム・シティ
どうやって戻ったかの経緯は、時間配分の関係でどこを切るかとなった時に、省略しても構わないシーンに
入ってたのだろうと想像。特撮ヒーロー的ともいえる次のシーンで採石場に移動!みたいなすっ飛び感は
アメコミの(悪い意味でなく)いい加減さにこだわるノーランの確信犯である疑いも残しつつ。
すでに撮ってあるか、脚本の段階で切ったか、が気になる。
DC版出した時に追加されないかなと淡い期待。


バットマンを苦しませると宣言したわりには、苦しんでる状態を誰も見ないのは何故。
→思うにラザルスピットとやらの伝説がひとり歩きした結果、誰にも脱出不可能などという幻想を
ベインらが盲信したからでは。盲信すなわち影の同盟の自画自賛、に溺れた、バットマンにというより
自分たちの傲慢さに敗けた。ようは自滅に近いと。
だが自分たちを一般人より優秀だと思う人間ほど、この手の失態を犯しやすい心理はあるから、
「昔からあるバカ悪役のパターン」だと一概に貶したものでもないと思われ。

破壊計画に五ヶ月もかけるのは作戦成功率が低くなるだけなのに何故。
→これも上記理由が該当するのでは。
利口なはずが巡り巡って馬鹿やってるとか、たとえばオ○ムなんたら教とか色々あるが、その一例じゃないかと。
相当な自信過剰の現れとか。優秀なる我らが失敗などするわけがないと疑いなく信じてそう。


地下に警官閉じ込め、だいたいすべての警察官を一箇所に出動させるとかない、
何故ベインは警官を殺さなかったのか→
劇中で三千人出動させたとか言ってた気がする。地下で生存していた、などというトンデモ設定とは
まさか思わず(ちょっとあまりに突飛でそこまでは)。
最低半分くらいが生き埋めになって死んだとばかり。で残りがケーサツの威信をかけた雪辱戦で
がーっとぶつかってったんだと。だって生き埋めって。しかも三千人全員とか。
それこそどう管理するのかって話になるし。
一箇所に出動させた、より地下で生きてた、の方がかなりびっくりだ。


核融合炉(常温核融合が可能な設定、あったら夢のエネルギー)を水爆(中性子爆弾)に転換って 
水爆にする作業はわずか数分。第一そんな危ないものをもってるなよブルース。しかも放置とか。※ずいぶんと意訳
→核をクリーンエネルギーに転換できたら、という人間の、なかなか核が手放せないいじましき
最後のあがきをブルースに象徴させたのかと見た。
クリーンとか言っても結局はこんな簡単に爆弾になっちゃうんだよと、
核の危険への意識の欠如も含めて、ブルースの駄目駄目さを最初は出していたと思う本作は。

証券取引所襲撃以降のチェイスも、バットマンが出てきて警察の関心を自分に引きつける格好となり、
結果的にベイン一味を守った形になったのは、
この段階ではまだバットマンは警察との信頼関係を築いてなかったから。
彼らに任せられない、自分が全部やらねば、みたいな
前作のジョーカーと双子のようにそっくりな思考に囚われていたから、あの時点では。
ラザルスピット脱出の以前と以後では、はっきり違うのでバットマンのあり方が。内実を支える根本が。
脱出以後は生まれ変わったくらいの勢いで、成熟を感じさせる真っ当な「男」になってる。

市民の反応が描かれてない理由を、時間的制約での優先順位以外に求めるなら
ベインはそもそも市民革命を本気で起こす気があったのか、考えてみるのも無駄ではなかろうと思う。
個人的にアレは茶番だと確信してるんで、そこに乗っかる市民の浅はかさを描写する方が逆に、
ウォール・ストリートのデモを貶めてるように受け取られかねず、むやみに刺激してはマズイと
警戒したのではないかと。
だからあえて(最初の構想では描く予定だったのを)省略する穏便策をとった、
ノーランは世間受けを考慮したからこそ、市民を描かなかった、という見方に一票。


最後のまとめ時の
「破綻した箇所を何故に客が脳内補完を以って擁護しなくてはいけないのか」の憤慨口調には
そうか私には結構楽しい作業が、人によっては苦しい義務なのか、としみじみ感じ入った。
そして擁護にしろツッコミにしろ、強制なんて野暮入っちゃお終いよ、と思う。
誰がそれを強制するのか分からんけど。

まあでも擁護というよりこんな見方も出来るかも、と提案する気持ちに近く、
ガチガチの信者でもなくば、ケチをつけてるつもりもないので悪しからずだ。
バットマンシリーズは映画オンリーだし(一応過去作全部観てはいるけど)。

後篇は代案でしたっけ、なんだか語ってるご本人が一番楽しそうだなと。







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