飛び火はご遠慮願いたかった、が本音。※いくつか加筆あり


自分メモとして。独り言として。


※冒頭からさらに追記:
アップして随分経ってのち下記リンク先の内容が、文面に特に何の断りもなく書き換えが行われていたのを知り驚いた。
リンクした時点での内容と違えば、当然ながら相手側には内容とのズレやアンフェアな不利を被る事態も生じる、そのくらいは弁えて
皆さん加筆の断りを入れるのだろうと理解している。今更の進言だが「そういう人」であるとの悪印象を与えてるのが他ならぬ自身で
あることにそろそろ自覚的になられた方がいいと思う。ブロック後も逐一こちらをチェックするほど「高い関心がある」ような
言ってることとやってることの矛盾だの、どれほど言葉で公平性や理性を装っても、実際には排他性や情動に支配された
行動をしている矛盾だの。クウガという作品のモットーたる「キレイゴトがいい」を結果的に貶めているのはいったい誰なのか。
最初に書いた内容の調子が「断定を避けた曖昧」に徹しているのは、公正性を保とうと努めた結果であって、それはすなわち
話し合いの余地を最後まで残したい、諦めたくない気持ちから出たことである。
こちらの言い分は一貫して「疑わしき発言で対話相手に不快を与えた方が(それを誤解というなら)きちんと相手にわかるよう
説明責任を果たすべき」というシンプルなものだ。今もその主張は変わらない。



twitterにて(仮面ライダークウガという作品関連で)やり取りしていた方との思惑のすれ違い(だと思いたいのだが)から
一方的にブロックされた、その経緯をなんとブロックしたご本人が自身のブログに、
メール相手への経緯説明という形で記事にしておられることを、数時間前に知った。

本日の記事アップついでに一言つぶやき残した際に、何の気なくクウガでキーワード検索したのをきっかけに分かったのだが、
一昨日の記事らしい。
ブロックはむろん楽しいことじゃないが、かといって恨みつらみのマイナス感情は働かないので(嘘じゃなく本当に)
いちいちチェックしておらず(だってブロックされた相手につきまとったらそれこそ粘着ストーカーみたいでみっともないじゃないか)
今頃気づく私である。


そもそもの発端は相手方のTLに、
私の東映トップの白倉発言を批判したRT、その上にご本人による「あの人は以前から〜だったじゃん」などと同調してみせる呟き、
それから「でもあの人と作品を混同するのは間違い」というような内容のご本人のつぶやきがあって

さらにダメ押しで別の方の「作品と人を混同して批判するのはどうか」みたいなRTが続いたことで、

それを外から眺めた私が、自分が事実とは異なる思い込みから批判されてると読むのは仕方ないように思うのだが。

現に本文中でも

>別件で、以前「あて先を置かないツイート」を、多分TLの流れから「あて先さん」に気付かれ^^;
 お手数にもツイッターでDMを頂いた(これは良い意味で)事も思い返して反省

と書かれている。要するにその「あて先さん」とやらも、TLの流れから自分のことだと判断され、
それは結果的に正しかったと。
それならば私が似たような状況下で自分のことだと判断したのも(正否はどうあれ)無理ないんじゃないかと。


しかし相手もやがてこちらの言い分を認めてくれて、またこちらも単刀直入に言いすぎたことをお詫びして、
双方穏やかに会話を終了したものと思っていた矢先。

誰宛でもないつぶやきで私が、種族間に善悪の二項対立をもちこむクウガの勧善懲悪には同意できない、
と書いたら
(追記:その前のやり取りで相手から「特撮ヒーローを勧善懲悪で描くスタイルには賛成なんですよね」と聞かれた時に
「勧善懲悪にも色々あるので一概には受け入れ難い」というような、歯切れの悪い返答をしたのが気になっていて、
こちらとしてはクウガファンである相手の気持ちを気遣ったつもりであり、しかし私自身は2011.11.22付の過去記事の段階で、
すでにクウガで描かれた勧善懲悪には批判の立場だったことから、
特定の誰か向けでなくとも、とりあえず自身の態度表明をしておくのがこの場合の筋だろうと考えたまでで、
決して態度を豹変させたとか悪意からとかではなかった、これだけは明言しておきたい)


その一時間後だかに(翌朝RTの件を知った時にブロックされて直接の確認できずyahooリアタイ検索経由で確認)

またもや他の方のつぶやきをRTする形で
「いきなり指差されてお前の罪を数えろ!と罵られた」だの「相手の考えを勝手に類推してはいけない(名言botだったか)」だの、
正直嫌味かと思うのも無理ない内容が連続で貼られているのを知ってショックだったし、
私のことではないのなら誰に向けて、または何の意味で、を知りたいと思い、直接本人に返信して尋ねもした。


それが

>再び先方への非難?良くない印象操作?として遠回しにツイートしたのは何故か?と問われて、

と書かれた部分。
誤解なら説明して欲しいと、そう伝えたつもりなのだけれど。
(これがもし誤解だとして、では相手に誤解を与えるようなRTなり発言を、なぜ一度ならず二度までも繰り返すのか、
せめてあの中傷めいたRTの件だけでも違うというなら何がどう違うのか、
どういうつもりで私への当て擦りと取られても仕方がないタイミングで、ああいう攻撃的な内容をRTしたのか、
きちんと説明する責任があると思う)

翌朝確認した時には、簡潔に「話を続ける気はない」旨の非公式RTが届いていて、
すでにブロックされた後だった。

私としてはこのまま喧嘩別れみたいになるのが嫌だったから、ブロックのせいで直接リプできない※ので
一応アカ宛を明記した上で、諦めず語りかけていたのだが、
※この時点でのtwitterの仕様ではそうだった>直接リプできない(相手のホームも反映されない、つまりツイが読めない)

結果はナシのつぶて。ひたすら無視の態度。

まあでもやるだけやったし仕方ないと、気持ちを切り替えようとしていたところに、自身のブログでまで取り上げての
被害者は自分であるとする過剰反応には、何故そこまでやる必要があるのか、ブロックしただけでは気が収まらなかったのかと
びっくりしたし、また一気に気が重くなったことだ。

ブログで不特定多数の読み手に向けて詳細を説明するくらいなら、直接の対話相手にまずそれをするべきだと私は思う。
それが相手に対する誠実の示し方ではないのかと。


とりあえず(もう仕方ないと割りきって)別場所での件を書いてはみたが、あちらのことはあちらで片をつけるべき、とは
今でも思っている。ブロクでまでしつこく引きずるのはさすがにドロドロし過ぎ、そこは一応大人として自制して欲しかった。

何よりあれらのRTをした理由を話せば、誤解を主張するならそれで解決するのである。何故その機会を自ら閉ざすのか。
そこがわからない。(私がもし誤解を解きたいと思ったら絶対そうする、つまり相手にきちんとどういう理由で意図で
あのRTをしたのかを説明する、できるだけ伝わるよう努力するだろう)


追記:対話相手が自分の思い通りの発言をしなかったからと、陰にこもった中傷と受け取られてやむなしな行為をしておいて、
どういうことか問い質されたら、返答に窮し(とでも考えなければ理屈が通らない、まともに対応すれば誤解じゃなく
本音だと知れてボロが出るのを恐れたから、だとしか)ブロックするのは、少なくともまともな大人がとる態度とは
どうしても思えない。
また言い方が気に入らないと、わずか一言二言の問いかけをバッサリ切った後は、
こちらから根気よく諦めず語りかけた沢山の言葉、行為全てを拒絶する、その自らの排他的な狭量さに対してどう思うのか。

それに、だいたいこの方は以前も私のクウガに関する感想ツイ(ある回の演出を褒めたもの)をRTして、
どうでもいいようなケチをつけてた前例があり、しかもそれ以前の「大魔神カノン」(高寺P作品)をめぐる感想を書いてた頃から、
たびたび遠回しに不快感を与える微妙な書き方をしていたのを、そういえば思い出した。
最終話の感想の一部分などは先にアップしていた私の文章がまんま書かれていて、あれを偶然というのはちょっと無神経に過ぎると
今でも思っている。平気で載せてしまえる感覚からして謎だ。

そういう「またか」と疑われても仕方ない過去があるのに、疑われたと腹を立てても説得力は備わらない。
それより一度腹を立てた相手を、たとえその者が友好的に穏便に関係修復のための対話努力を続けていようとも、
頑として拒絶し、絶対に許せないとする無慈悲な態度こそ、
理想や道徳を重視するクウガという特撮ヒーロー作品を愛する一人として、その是非を問われるべきではないのか。



追記:元記事への書き落とし言及を以下に

>その2件の前に、先方の呟きを公式RTしていた事から、
  (ユリイカ・井上社長の比較論に絡めた先方のツイートです)

これは事実誤認で、正しくは東映トップ発言への批判ツイート。

>流れとして先方に向けたものと読めなくもない、と言う意見も分からなくはないと思い、

私のRTの次に、語りかけ口調によるその批判への同意、次に狭量な偏見を戒める発言、とくれば
(さらに別の偏見否定のRTで駄目押し←私のRTと共に削除された)、「読めなくもない」程度の認識は
発言者の立場だからであって、不特定多数、誰もが読む/読める場所なのを忘れてはいけないと思う。
どう受け取られるかの可能性は常に慎重に配慮されて然るべきだろう。
ちなみに私個人は「特定の誰かを嫌って作品を全否定」したことは一度もなく、そもそも「(作り手側にいる)
特定の誰かを嫌う」という感情とも縁がない(極論すれば興味があるのは作品のみなので)。

>(こちらからは29日深夜にブロック後は、
  先方のツイートが見えないので詳細は確認していません)

ブロックした側にも相手のツイートが見えない、というのも
ブロック後はこちらのTLを確認していない(私のツイートを読んでいない)、というのも
実は大いに疑問を抱いている。
前者は言うまでもないが、後者はブロック後にも諦めず続けた対話の努力に対する具体的反応が、
ブログ記事やその後の呟きから散見されるので。
例えばこちらからの國分発言を頭ごなしに否定することへの懐疑や、「前提」が何を指すのかへの問いかけに
直接リンクする内容全てを、偶然の一言で片づけるのは難しい。
それを「一切読んでいない/知らない」で通すのは(こんなことは言いたくないが)卑怯ではないのか。



※その後の経緯をtwitterよりコピペ

申し訳ないがどうしても納得がいかない、クウガの件。
作品批判にムカついた、ならまだ理解できる、ブロックする理由として一応筋が通るから。
しかし陰口と受け取れるRTを連投して、どういうことか問い質せば速攻でブロック、しかも誤解されたと
被害者ぶるのは、少々自己中が過ぎるのではないか。→
2012年9月11日

どちらかというと誤解される行為をした方が、誤解を解く努力をすべきなのを、自らのRTで嫌な思いをさせた
相手の心情を思いやるどころか、逆に「言いがかり」の一辺倒で切り捨てる人間性が未だに理解できない。
不当にブロックされた後も対話の努力を諦めず続けて、相手が冷静になってくれるよう→
2012年9月11日

→しばらく猶予を設けてみたが、どうやらその配慮も無駄だったらしい。
2012年9月11日

同じく「遠くからご活躍を応援しています」と儀礼的な言葉を最後に、こちらからもケジメをつける方が
いいのかもしれない。今も「握手したい」気持ちに変わりはないが、相手がそう思わないなら仕方がない。
最善は尽くした。それがせめてもの救い。
2012年9月11日




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