未来を生きる君たちへ


デル・トロの『悲しみが乾くまで』以来のスサンネ・ビア監督の最新作。

デンマーク語の原題通りに復讐(と赦し)をめぐる普遍でありなおかつ今日的テーマでもある内容なら
生真面目以外のアプローチは不誠実となろう。
全編を余裕やユーモアとは相容れない「今言い置かなければ」という切迫感が支配する。



学校で一部の男子生徒グループから常態的に虐めを受けるエリアス少年、
我が子と余所の子の殴り合いの喧嘩を止めようとして、キレた相手のDV父から一方的かつ理不尽に暴力を振るわれるその父アントン、
どちらのケースも根底にあるのは、彼らスウェーデン人への偏見差別の感情なのが共通している。

その程度の差異を理由に精神の貧困愚劣から鬱憤晴らしの対象にされる二人の当事者だが、
実は彼らに直接の加害者への復讐の意思はない。
復讐を思い立つのは彼らではなく、エリアスの友人となる転校生クリスチャンである。

何故か。
クリスチャンは病死した母を殺したのは父だと思っている。
たとえ父の言い分が「癌の激痛に苦しむ母の願いを聞き入れて延命治療を断念した」であっても、
頑なに父を赦そうとせず拒み続ける。

母の死を認めたくない。他に悲しみの捌け口が見つからない。
そんな八方塞がりの状況で、エリアスとアントンへの不当な暴力行為を目撃したことで、
彼の行き場のないストレスはすべて、そちらへの復讐に結実する。

この間接的に広がる成り行きの着眼点が一捻りあってちょっと面白い。
しかも奇抜とは感じさせないそれなりの説得力も併せ持つ。

「暴力的かつ理不尽に」訪れた(事情を知らされないクリスチャンにとっては)思いがけない母の死。
自分を容赦なく打ちのめした残酷な世界に是が非でも復讐したいとする深層心理が、
やがて無意識にエリアスとアントンそれぞれの加害者への仕返しに(当事者の意思関係なく)
クリスチャンを向かわせていく。

復讐という暴力を正当な権利だと正義感に燃える少年は疑わないし、
その屈折した動機に到底気づけるわけもない。
ただ間断なく苛まれる母の死の苦しみから開放されたかったに違いない。
その最善の方法が復讐だと思い込んで。

もはや父に不信感しかないクリスチャンが、劇中で何度か面と向かって「嘘つきだ」と罵倒するシーンがある。
そして終盤での父子の和解シーンでは、クリスチャンが父の腕の中に飛び込みながら
「信じていいの?本当に?」というような台詞があったと記憶する。

未来を担う子供にとって親との、ひいては周囲の大人との信頼関係が築けているか否か、はそれだけ
重要ということだろう。大人に対し不信感ばかりが募る状況下に置かれた子供は、
いうなれば方向を指し示す羅針盤なくして大海に放り出された小舟のようなもので、その心細さは想像に難くない。
どの子供も自分の親を、周囲の大人をできることなら信じたいと思っているはずだが、その期待に応えられる大人が
あまりにも少ない、ということかもしれない。
裏切られてばかり、失望させられてばかり、それが彼らの偽りなき本音かもしれない。

むろん大人だろうと完璧じゃない。完璧な人間など誰一人いやしない。

DV男からの理不尽極まりない暴力に耐え抜き、最後まで平静な態度を貫いたアントンですら、
医師として赴いたアフリカ難民施設で頻発する残虐事件、ゲーム感覚で妊婦の腹を切り裂く犯罪グループの首領の怪我を、
医師たる務めと割り切って治療したにもかかわらず、何の反省も見せず再び犯行を繰り返す気満々な言動を、
聞こえよがしに吹聴するにいたって、自制のタガが吹っ飛び、怒鳴りつけ追い出した後で
皆のリンチの餌食になるのを見て見ぬふりをした、黙認してしまった自分の未熟に苦しんだのだし、

エリアス母も、クリスチャンの復讐計画のとばっちりで生命の危険に晒された見知らぬ母子を、息子のエリアスが
とっさに助けようと飛び出し、身代わりで重症を負ったことを恨み、
暴言の限りを尽くして(彼女の夫と息子のための復讐しようとした)彼を責め立てた。
彼女も鬱憤の捌け口が切実に必要だったから、暴力の誘惑に抗し切れなかった。
相手はまだ子供であるとの冷静さを失い、激情に任せてズタズタに痛めつけてしまった。

そうやって理性を上回る感情の激流に押し流されることもあるけれど、それでも人生を諦めず、投げ出さず、
子供と一緒に、励まし合い、いたわり合い、生きていくしかない。
愛情と信頼を築く努力を重ねていくしかない。

何度危うく、脆く、崩れかけようとも、そのたびに、もう一度、もう一度と、立ち上がって歩いて行く。
手を取り合い、声を掛けあって。

信じていいの、本当に。
そう尋ねる声がある限り。どんなか細き声であっても。
大人は答える義務がある、責任がある。
子供という名の「未来」に対して。


冒頭とラストに登場する同じシーン、アントンの乗ったジープの後をついて走るアフリカの地元の子供らの
屈託のない笑顔とはしゃぐ様子を、実に愛しそうにそしてどこか切な気に、
万感の思いを込めて認めているアントンの瞳が印象的だ。
あれは未知なる可能性を秘めた子供という光り輝く存在を見守る、すべての大人に共通する瞳だろう。またそうあって欲しい。

(エリアスのとっさに発揮された我が身も省みぬ人助け精神は、きっと日頃から父親の影響を少なからず受けていたからなのだろう、
子供は親をちゃんと見ている、そして親の影響を如実に受ける、人格も品性も言動も、良きにつけ悪しきにつけ、
怖いことでもあり身の引き締まることでもある、願わくば宜しくないことで大人の真似はさせたくない、
それは影響を受けてしまう彼らの純粋さを踏みつけにするようなものだと思うから)







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