一人の人間と真剣に向き合うこと


ETV特集「永山則夫 100時間の告白」〜封印された精神鑑定の真実〜

再放送あり(21日午前0時50分〜)。


本編中で最も胸打たれたことは、永山の語る悲惨な生い立ちから犯行に至るまでの
赤裸々な心情吐露や経緯説明以上に、
カセットテープ49本分100時間超、日数にして278日(!)にわたる丹念な聞き取りを敢行した
石川義博精神科医の地道な仕事ぶりに対してであり、また一度はその石川の尽力の結晶たる鑑定書を
「他人のことが書かれているようだ」と否定した永山(それは当時まだPTSDなる病名がなく、同様の症状を「脳の脆弱性
「脳波の異常」などと解説してあったのが、本人としては精神を病んで亡くなった姉を思わせる表現で不本意だったらしい)が、
独房で最期まで大事に手元に置き、繰り返し熟読したのがその鑑定書だった、とのエピソードだった。

一人の人間と徹底して向き合おうとする努力は、半端な気持ちではとてもできるものではない。
どれほどの苦労が忍耐が、そこに注ぎ込まれたことだろう。
なのに相手からの手応えがなかったり、今回の事例のように誠意を踏みにじる言動で返されたりするなら、
石川担当医でなくとも、すっかり意欲と気力を失い、その時点で限界を痛感して撤退したくなるのも
無理なきことと思う。

番組の終盤、永山が唯一手元に置き続けた件の鑑定書をスタッフが手渡した時の、石川医師の見せた感無量な表情が忘れられない。
信頼を裏切られた悲しみ悔しさ、にもまして「一体自分のやったことは何だったのか、全ては無駄だったのか」という無力感に
打ちのめされ長年わだかまっていたしこりが、ようやく報われた瞬間だったかと思うと
その静かな喜びが、こちらにも深々と伝わってくるのだった。

石川医師の誠実な仕事は、無駄でも無意味でもなかった、どころか永山が最大の信頼を寄せるものだった。

沢山の時間をかけて取り組んだ苦労の甲斐はあったのである。
真摯に向き合おうと重ねた努力は、ちゃんと届いていたのである。

人が人の犯した社会的罪を裁くことの重大さを厳格に受け止めず、表層の理解に留まるなら、それもまた忌まわしき罪となる。
生命への許されざる冒涜ともなろう。

裁かれる側の人生と全身全霊込めて向き合う、せめてもの良心なくして、罪の宣告など誰にできよう。
これは制度の問題じゃない、人一人の人生がかかった倫理の問題だ。事務的に処理されて良いわけがない。
生命以上に重要な問題などどこにもないのだ。







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