アクションの撮り方と平清盛「賽の目の行方」のこと

◇今月よりNHKBSにて放映開始の猿飛三世。チーフPがカーネーションの城谷厚司、脚本が大御所の金子成人など
鉄壁のスタッフ陣に惹かれ初回から観ているが、予想以上に面白い。
特にアクションパートの力の入れようは、最大の見所と任じるが如く徹底しており
作品の魅力を引き立てる一番の牽引力となりえている。
それには祖父の名を継いで猿飛佐助を名乗る主人公役の伊藤淳史による捨て身の熱演や、
谷垣健治AC監督の殺陣組立の手腕はもちろん、専門的技術を習得した何か特別なキャリアを持つわけでもない俳優のアクションを
プロ並みに見せる、昨今主流となったカット割りの多さで「それらしく繋ぐ」撮り方も、大いに貢献しているはずだ。

何を言いたいかというと、ここからあらためて浮上するのは、
今や東映SHTで当たり前に主流となった感ある、アクションパートでのカット多用する演出が
一体何のためにやっているのか、という極めて素朴なる疑問である。
変身後の(スーツ着用した)ヒーローを顔出し俳優に代わって演じるのは
言うまでもなくアクションのプロたるスーツアクターなので、細切れカットした映像の断片を上手く繋いで
ひと続きの凄いアクションであるかのように見せる編集のトリックは、少なくとも素人の場合ほど必要ではない、どころか
却ってアクションの流れを一々人工的に止める(カットする)ことで、
素の状態で既に形成されている高い技術が可能にした完成度を、無粋に破壊する結果にもなりかねない。

今週のウィザード担当の中澤祥次郎監督は、さすがギャバンVSゴーカイジャー映画の実績も伊達じゃない
Aパート冒頭で華麗なアクション撮りを披露して一安心させてくれたが、あれだけではまだ足りない。
もう少しアクション多めでお願いしたい。せめてドラマパートと半々程度の比重であってくれればと思う。



◇21日放映の平清盛賽の目の行方)はいよいよ後白河院との対立が表面化し、双方の陣営とも「相手の出す目」に
騒然となる盛り上がりを見せたんだったが、ただ両者間に横たわる状況の流れが切り替わるポイントごとに、
主役である清盛の時々の思いや感情をきっちり明示する配慮が脚本にあれば、
さらに視聴者を展開に引き込む効果絶大だっただろう。

後白河が九の宮と十の宮を帝の養子としたのに危機感を抱いた清盛が、重盛を立てて
関係修復のとりなしに赴かせ、同行した弟・知盛の口から当人の昇進を打診させることで、
互いの利害関係を維持するが得策と暗にちらつかせるも、その平氏側の意向はバッサリ無視されるに至り、
最後の手段と比叡の明雲を呼び出し、法皇牽制のための策略の共犯に引っ張り込む、

ここまでの経緯に伴う清盛の感情の(あくまで)内的高ぶりを
きちんと表現しておくのとおかない(感情の推移を描かない)のとでは、
視聴者の清盛に対する理解度や思い入れ度がまるで違ってくると思うのだが、その分の(本来なら主役に向けて欲しい)労力を
脇役に注ぎ込む本脚本の手法では、そのいかなる時も余裕を漂わせた言動の裏にある清盛の生の感情が見えてこない、または
見えにくく、畢竟、視聴者の関心が脇キャラの動向に流れて主役への関心が薄まり、それが役者もスタッフも力量的に
文句なしのはずが、今ひとつ世間を上げてのブレイクに至らないのかと思う。

福原への御幸の場面など間違いなく本エピの頂点をなす最高の舞台だったのに、そこに至るまでの清盛VS後白河の
緊迫の度合いが段階的に高まっていくさまを、きちんと見せていない、状況説明するナレ主体でさらっと流してしまっているので、
いまいち観ている側の意識にもこれは!とまでは引っかかってこない、やはり同じくさらっと流れてしまう、
この折角の大事な盛り上がり場面がフォルテッシモ級の衝撃とはならず、一つの美しい印象的なシーンとして
(作り手が狙ったほどの衝撃はなく)どこか冷めた落ち着きを以って眺めてしまうのである。

もし前段までに、清盛の心情にもう少し寄り添える場面がわずかでも挿入されていたら、
彼に法皇への強行手段を取らざるをえないと決断させるに至った、やむにやまれぬ苦しい心の葛藤が、
少しでも視聴者に伝わる配慮がなされていたら、
作り手の思惑通りのインパクトから視聴者の側にも、清盛の心情に沿って事態を受け止める「目線」が形成され、
追い詰められた果てに一か八かの勝負に賭ける清盛の気持ちが、遥かに理解しやすかったように思われる。

後白河の「もうここへ来ることはあるまい」から清盛の「いざという時、その時が来たようだ」の呟きまでの間合いを
潮騒の響きをSEに使い、場に流れる寂莫とした空気を感じさせたのは秀逸。
また後白河の決定的発言までの緊迫ムードを、サントラ収録曲「屹立」の調べを徐々に大きな音に変化させることで表現したのも
うまく効いていた。

最後の月光を浴びて佇む清盛の後ろ姿のロングショットなど、先週の中島由貴演出にも負けない「一幅の名画」と思しき美麗さで
味わい深い余韻を作り上げていた。
※先週の建春門院と後白河院の仲睦まじいエピ(はかなき歌)は、ユキちゃん(と密かに呼ぶ)の美意識が見事に嵌った良演出だったと思う。

さらに今回も政子と頼朝、遮那王と弁慶などの脇キャラ関連のシークエンスは高い安定感を保っており、
本作の視聴意欲に大いに貢献したことと思われる。脇はいいんだよなあ脇はいつも。だいたい例外なく安定してて。
度重なる重盛へのあんまりな仕打ちといい、巷の清盛への好感度はどうなのだろう。
演じる松山ケンイチの役作りの苦労が忍ばれるようだ。あの手がかりの少なさでは大変だろうなと思うもの。


※今回の記事を書くにあたって当初の予定は、さらに梅ちゃん先生スペシャルの感想もまとめるつもりだったが、
予想を超えた長文に疲れたので(書いてる私が)次回に先送り。朝ドラらしさとは何かについても絡めて考えたいなと。







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