平清盛(42)鹿ヶ谷の陰謀の回。


疑問なのは、西光の「しょせんは王家の犬ごときが」を連発し、清盛のことを
本人を前に徹底して罵り倒す挑発に、自制する間もなく瞬間沸騰した怒り全開で、
ぐったりと力なく横たわる西光の傷ついた肉体を、更に更にと果てしなく蹴り続ける清盛の、
そもそもその怒りの原因は

武士の世を作るためとする大望を、
本音は平氏のためおのれのためでしかないくせに、
大口叩く身の程知らずと嘲られ罵倒されたのが、果たして屈辱だったからか
それとも図星だったからか、

またそれは清盛個人の主観にとどまらぬ問題として

いったい清盛は「武士の世を作る」とする目的意識の軸が、既にしてブレていたのかいなかったのか、

怒りを暴発させた清盛が間断なく西光を蹴り続けるシーンと並行して推移するのが
未来への展望がもてない頼朝を政子が叱咤激励するシーンで、
父義朝譲りの髭切の大剣を、あえて清盛が与えた意味を思うべし、今こそ武士の誇りを奮い起こせと
励ますのであるが、
(たぶんここでは宿敵たる自覚があるのか甚だ疑問な清盛が見せる極甘友情物語なノリは無視するべきなのだろう)

これは過去と現在では清盛の目指す理想が「武士の世をつくる」から「平氏の世をつくる」へと
変容したことを示すのか
それとも清盛の理想は一貫していて、ただ周囲の目には変容して見えるだけなのか、

時忠が提唱した「平氏にあらずんば人にあらず」を合言葉に平氏に対する不満分子一掃を図った強硬策に対する
清盛の反応は「是」であったが、

あの判断や兎丸の無駄死に(どこからどう見ても無駄死に以外の何物でもない)と、
今回の頼朝&政子シーンで過去の回想として流れた、清盛が義朝/頼朝親子にかけた(ある意味同志愛からの)
「激励」の言葉と、
この別人のように相反する態度を一人の人間のものとして繋げる、せめて何らかの手がかりは必要に思われるのだが、

言うまでもなくこれまでも用意された試しがないので、清盛の目的意識が知らぬうち変容したか、
変容したように誤解されているのか、どちらとも判然としないのだった。

今や何を考えてるやらさっぱり掴めない謎の人として遠い存在に成り果てた清盛ではあるが、
終盤少しでも視聴者との心情面での距離が縮まるよう期待する気持ちも、まだ捨てがたく持っている。




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