純と愛つぶやきまとめ(3/2-3/16)


3/2

本日の夏菜風間俊介に惜しみない拍手を。夏菜=純の迫真の演技を余さず捉えたアップショット長回しだからこその感動。台詞は付属物。もうこのドラマは病的なまでに理屈っぽい脚本の臭味を俳優陣の熱演好演が中和し支えるという「化学反応」の妙を楽しむのが正しい見方に思えてきた。#純と愛
posted at 08:27:17

人の内面心情を完璧に説明し過ぎると嘘っぽく聞こえる逆転現象にまるで無頓着なのが残念というか。まあ良し悪しは紙一重でもあるけど。#純と愛
posted at 08:37:20


3/3

土曜時点で純の性格設定の矛盾が露見した格好。孤独が嫌で皆に好かれたい人間なら誰にでもいい顔する八方美人となり自己主張は表に出ないはず(嫌われるのが怖くて)。臆病な警戒心からヒロインの性格を弄りすぎ破綻させた脚本家こそ自身のエゴを自覚し「反省する」必要があるのでは。
posted at 08:05:34

トランスでもない娘の内面が息子になるという人格形成に関わる大事なポイントを平気で省略するのも他者に対する不誠実な態度の現れに思える。父より母を愛してた?なら一層こんな設定意味不明だ。純を継ぎ接ぎフランケンにしたのは誰。野心とトラウマの捌け口に利用される作中人物が不憫。
posted at 08:31:08

封建主義的な父親の期待が息子に向かい娘はつまらんと切り捨てられるから、父に認められたくて娘が息子化するならまだ辻褄は合う。母を溺愛し父を憎む娘なら男嫌いになる方がまだ自然。唯一説明がつくのは純が男(息子)だった場合。脚本家自身の投影が皮肉にも男女の性別の壁に突き当った。
posted at 08:49:47

あるいは頭ごなしに人助けは偽善(エゴの裏返し)と嘲笑う世の中の風潮を読んだ上でヒロインの好感度アップ狙った反省の長台詞なら、戦略のあざとさはむしろ痛快か。この世にはちっぽけなおのれの卑小な認識を軽々覆す人の愛が普通にある現実を認めない井の中の蛙は一体何に安心したいのか。#純と愛
posted at 12:12:28

多恵子はふがいない夫・謙次の代わりに父役を引き受けざるを得なかった、そこには脚本家の責任回避する「父」を非難する意図があった、ここで押さえるべきは多恵子自身に純のようなトラウマ設定があるわけじゃない、ということじゃないかな。
posted at 12:13:13

遊川和彦は本音のところは岡田恵和みたくなりたいんだよね、でもなれない、邪念が多すぎて(苦笑)大胆にシンプルに走れない、吹っ切れない、辛いとこだよね・・・ #純と愛 #泣くなはらちゃん
posted at 12:21:20


3/4

第三部の皮切りはチーフ演出の気合入った見事な映像。ふんだんに挿入される宮古ロケの開放感に救われる。何より純愛コンビの可愛らしさ最強。これからは愛くんの動向が視聴率の牽引役となる予感。「あるよ」の田中要次サービスw 純は村上春樹の情報をどっから仕入れたw #純と愛
posted at 08:16:49


3/5

本土の人間が沖縄の人達に警戒心をもたれるのは歴史と現状を踏まえれば当然とも。地元を食い物にする本土、のイメージを未だに無神経に植え付けている側が批判するのは筋違い。ここにも「依存」問題は隠れていたりする。#純と愛
posted at 08:36:40

先週末の純の反省長台詞への違和感は、度を越した卑屈さがまんま肯定されるからに尽きる。他者に良かれとの言動が自身をも豊かにする、は結果であり動機ではない。この順序が大事で、逆なら見返りなき場合相手を恨むことになりかねない。打算絡みの期待は自身を毒す。ここまではいい。ただ→
posted at 10:45:24

問題はこの道理がそのまま純のケースに該当するのか、ということ。今まで純が直接的に他者に負の感情を抱いた描写は父の善行以外いただろうか。彼女なりに懸命に相手に良かれとベストを尽くす姿はあっても、感謝されないから逆ギレしたり不貞腐れてやる気なくす姿は記憶にないのだ。→
posted at 10:48:11

それであの反省が腑に落ちず自分の中で未だに引っかかっているんだと思う。純という人物のこれまでの積み重ねを全否定する過激さは視聴者サービスのパフォーマンスとしてもやり過ぎだと思うから。#純と愛
posted at 10:52:07

ちなみに。純がやる気なくすケースは上手くいかない「事態」にであって決して「人」にではなかったはず。#純と愛
posted at 10:56:26

純は上手くいかない事態を人のせいにはしなかった。このヒロインの強みはアピールしなきゃ駄目だろう。善行に死ねばいいなどと衝動的に呟いた件を除き。なんだろう、この拭いきれぬごまかし感。父なる存在を世界から抹消したら全てが上手くいく、みたいなご都合主義の漂うこのいやーな感じ。
posted at 11:13:30

父善行=悪役を消した上で自己投影の対象を純から愛にシフトさせるのは狡い気がする。愛の父謙次は最初からスポイルされた安心無害な存在だし。「父」ととことん向き合うことを避けて劇中人物の成長成熟を描いても肝心の最後のピースが埋まらないんじゃ「はぐらかされてる」感は拭えない。
posted at 12:27:22

劇中人物への脚本家の客観主観の距離のとり方のバランスが崩れる(感情移入の主観優勢となる)のに連動して、視聴意欲を引っ張るために投入するネタのあざとさまで過剰気味になる辺りに、未知の領域に挑戦したい野心と(純じゃないが)賞賛を欲する下心とのせめぎ合いを見るのだが、→
posted at 12:31:09

→それらの均衡が不安定に揺らぐ度に、観る側も手に汗握るスリリングな追体験を共有させられるという笑えない皮肉。
posted at 12:33:50

いた八つ当たり相手。火野美矢だ。純の「こっちもたまらないわよ!」の意地悪な言い様に面食らったの思い出した。あの鬱週時点ですでに純の性格設定の強引な変更が始まってたか。土曜の反省も美矢は例外扱いの空しさ。父への処遇といい遊川脚本の根底にあるのが単純な勧善懲悪なのは分かった。#純と愛
posted at 15:44:19

はあなるほど。人間心理を反映した複雑そうな建て前とのズレ(根底は勧善懲悪支持のお子様思考)が腑に落ちなさの最大要因かもしれない、と思えてきた。
posted at 15:47:32

理想は土曜の反省を踏まえ純がもう一度美矢に会いに行く展開ならアフターフォロー文句なしだった。感情に走った捨て台詞みたいなのは後味が良くないはずだからお互いに。もし心の弱った人への暴言でも正論なら反省の必要なしと遊川脚本が考えているなら。そこを反省せずして何の反省かと。
posted at 16:53:17


3/6

今の純愛コンビの微妙に分かり合えず悲しくすれ違うぎこちなさに密かに萌えてるアカはこちら。愛くんにおそらく初めて「男」を実感したかも。そんなもんだよ男と女(分かり合えないが大前提、だからどれだけ想像力駆使して相手を気遣るかが仲を取り持つ決め手となる最後はね)。#純と愛
posted at 16:12:31

スピの戦火の馬を視聴中。冒頭エピは父と息子の関係軸主体の展開。母の吐露する「父さんは間違いを犯しお酒も飲むけれど――努力もし続けている、私たちのために」。これを #純と愛 に敷衍するなら、男のメンツがいくら滑稽でも軽んじては地雷だとわからない天然お嬢を貰った善行の宿命というしか。
posted at 16:16:59

戦火の馬。神の与えたもう運命の不公平を嘆く父に、憎しみは増えてもあなたへの愛は減らない、敢然と言い放つ母の肚の据わり具合が格好良い。スピルバーグには #純と愛 の遊川脚本ほどの硬直化した父への警戒心はもうないらしく。今ではトラウマの対象を信じてる(信じたい)のだなあと感慨深く。
posted at 16:18:40

確かに「許す」のは難しいかもしれない。けれど唯一無二の父なんじゃないか。許すも許さないもない。愛するしかない。(父の)否定は自らの存在意義の否定と同じ。そんな自虐の罠にはまってたまるか!の心意気あらんことを。今は説明台詞で一杯一杯だろうとも。いつか必ずと信じてるから。#純と愛
posted at 16:33:36


3/7

今週から始まった第三部宮古編は演出が脚本に従うのでなく堂々張り合う対等な関係なのが見応えあり。台詞無しの映像のみで見せる「間」の饒舌さ。役者もじっくり役作りに集中出来てる感。風間愛の演技。夏菜純の表情。「語らずして語る」確かな表現力を堪能。#純と愛
posted at 08:22:10


3/9

手を携えて人生を共に生きる男女を基軸とし、そこから関係性を繋いで広げて それぞれの孤独をそれぞれの愛で埋めることで一歩一歩地道に幸せの形(まほうのくに)を築いていく物語。始まりは一組の夫婦から、というメッセージの明快さ。純と愛はそのモデルケースといったところか。#純と愛
posted at 08:29:09

残念は「父」の存在だけ排除される点。やはり不自然さは否めない。父の善行を退場させ娘(中味は息子=脚本家の分身ゆえ)純との直接対峙を回避した空白に擬似父(多恵子)と息子(愛)を代入し、愛を第二の分身に見立て存在意義を認めてもらう流れはあまりに作品の私物化に走り過ぎな印象。#純と愛
posted at 08:50:43

呪いというなら押さえるべきは「父」であって、母が魔女化したのも元々は父のせいという理屈で出来上がっているのが #純と愛 の世界観でもある。だから「父=悪」は体よく排除した後に祀り上げる儀式を経ることで無理くり浄化され無害化される。
posted at 08:59:19

宮古編の純がヘンな力みも空回りもなく泰然自若と構えつつ今まで以上に生き生きして見えるのは、父の退場、母の魔女化解除を経て、某御仁の背後霊がいなくなったからに相違なく。いや正しくは愛へ移動した、か(なんという不運!)#純と愛
posted at 09:14:21


3/11

土曜の続き。純が愛の喜ぶホテルを目標に定めたことで、今までの一方が支えに徹する不均衡から互いに支え合う関係へと進化し、晴れて最強コンビが誕生した。「支える」から「支え合う」へ。それは人と人とが対等に結びつく(誰もエゴの犠牲にしない)尊き理想の姿。#純と愛
posted at 08:28:27

もとに戻す=修復する、のみでは消極姿勢に終わる。ピンチはチャンスと信じ新たな関係を築けるきっかけにしようと提案する意図も含まれていると思う。だから劇中でも純と愛は次々襲いくる試練がなければ出会えなかったし深く心を通わせることもなかったであろう人と繋がっていくんだと。#純と愛
posted at 11:12:03

発想の転換こそ大事。本当の不幸とは既成概念に囚われ、現状は変えられない、これ以上良くならないと萎縮するあまり自縄自縛に陥ってしまうこと。生きる逞しさを、未来への信頼を、人と繋がる可能性を、手放してしまう(諦めてしまう)こと。つまりそれが「呪い」の正体。#純と愛
posted at 11:18:26


3/13

誠ちゃんに乗り移り感情移入して親(というより父か)に「蚊帳の外にされた自分」とここぞと訴えまくるなら、その同じ事を純と愛の脚本上で父に対しやってしまう罪深さもちゃんと自覚しないとフェアじゃないと思うぞ。一応大人なんだしさ頼むよ>遊川脚本へ。
posted at 15:38:56


3/15

あー案の定またネチネチ恨み辛みを「父」にぶつけてるなあと溜め息ついてたら、何気なく愛が発した「ウチら家族」の一言に吹っ飛んだ。ウチら家族。後からじわじわきてるんですがw
posted at 08:16:25

多恵子を責める謙次の身勝手な言い様と必死にブランコ漕ぐ行為のギャップに漂う滑稽味は、謙次の(というか演じる堀内正美の的確な解釈によるものと推測)傍から見える姿に重なる、と表現したいんだろうと思われ。さすがベテラン俳優の力量よ。
posted at 08:17:02

生まれてきてくれてありがとう。誰もが一番言われたい言葉かもしれない。
posted at 08:17:48


3/16

本日待田家の仲睦まじき様子に理想の家族像を投影する書き手。その内なる願望の切実に泣く。麗しき家族団らんの風景を夢見た子どもの心が画面一杯に溢れて。さらにあなたも家族だと正式に多恵子に認められる純に、涙のダメ押し。箱チリ抱えてウサギ目。つい油断していた・・(涙尽くし)。
posted at 08:22:59

むしろ遊川脚本はSよりMかと。「幸せ」は容易く手に入らないと思う不幸体質特有の思考が純愛展開には如実に反映されて興味深く。最高の離婚の灯里よろしく手放しで信用できないんだよね幸せも人も。しつこく試練を用意する慎重さは臆病の裏返し。根底にあるのは期待を裏切られて傷つく怖さ。
#純と愛
posted at 09:09:06

それが単純に悪いということではなく。けどMな人だから女にヒールで踏まれたい的願望が桐野女子や多恵子など女子キャラの造形に表れてる気はするかなと。
posted at 09:16:25