映画『風立ちぬ/宮崎駿監督』関連ツイートまとめ(7/24-8/4)

7/24

宮崎駿監督『風立ちぬ』評 http://togetter.com/li/536895 をうっかり読み。先走りながら思ったこと。
1)劇中キャラクターひいては宮崎駿自身の何としてでも「綺麗」に固執したがる、またせざるを得ない今を含めた時代状況の
切迫感なのかと。どのみち五十歩百歩の個々のエゴに対し
posted at 10:32:32

2)どう数の力にまかせた「正当性」を付与するかの序列争いの醜さに日々心蝕まれる者が生きる糧として綺麗=「美」に
すがりつく。美はしがらみ前提の相対評価をはねつけ自らの発光で輝くから。それは生きるための心強い武器ともなる。
美しい生の裏に必ずある信念に準ずるやせ我慢。
posted at 10:34:28

3)戦争の悲惨を覆い隠す偽装に唯一抵抗できるむき出しの美の力、純な憧れ(飛行機)が不純な戦争に加担する皮肉すら
包摂しながら、それでも抵抗の象徴としての「美」なのかと。尋常ならざる覚悟なくして本物の美は語れない。
おそらく傑作の呼び声は本当なのだろう。(今週末にでも観に行きます)
posted at 10:37:33 

他人には滑稽な矛盾と安易に揶揄されかねない壮絶なねじれ、でもね想定よりもっと「ねじれてる」んだよだから凄いんだし
許せも共感もする(多分ね)巨匠と敬われる立場の幻想を自ら打ち砕き一人の人間としての等身大をあえてさらす、それだけでも
必見じゃないかと思った。>宮崎駿監督『風立ちぬ
posted at 10:48:25

7/28

宮崎駿風立ちぬ』観た。想像以上だった。圧倒された。肚据わってるし覚悟決めてるし。凄い凄いと痺れたように見入った。
人目ある映画館で後から後から涙こぼれる厄介。体の奥底から明日を生きる元気がじわり呼び覚まされる不思議な力強さに
満ちている。なんだこれは。兎に角凄い!の一言。
posted at 16:16:38

1)子供時分からこれぞ天職と疑わず「最高の飛行機作り」の夢と野心に命がけで取り組んだ人の清冽果敢な「生」の眩しさ。
誰に対しても弁解や言い訳を一切口にせず(とはいえ鋭い社会情勢批判が何食わぬ顔でぼそっと一言飛び出すのも度々で、
その穏やかな佇まいと
posted at 16:20:29

2)淡々とした調子で気づかれ難いが結構辛辣にばっさりやっている、
二郎を形成するメンタリティは使い古された杜撰な記号化で事足りるほど単純ではない)生命をただただ完全燃焼すべく、
黙々と自らの生まれてきた意義を、この世で与えられた仕事(使命)を、誠実に一心に全力で果たそうと努める。
posted at 16:25:31

3)あからさまな批判役に回るのが常に周囲の人々なのも宮崎駿の矜持か。人生賭して追い求めてきた夢の成れの果てが
戦闘機というさもしい時代状況で、それでも技術屋の本分を殺さず「生かす」には、心がどれほど血を流そうと傷つこうと、
忌むべきこの場所から降りずにやっていく、生きていく。
posted at 16:27:34

4)点々と野に散らばる飛行機の残骸の山は、信念と現実の矛盾の狭間でズタズタに切り裂かれた二郎の心の象徴に見えた。
posted at 16:33:19

5)菜穂子と紙飛行機のやり取りするシーンが(カストルプの第三者目線含めて)お気に入りで、そこからの「ただ一度だけ」
(会議は踊る!懐かしい)への繋ぎにぐっときた。刹那の生を十全に生きようとする人の切実と誠実に打たれる。
posted at 16:37:12

6)劇中で「音」の果たす役割の大きさにも注目で、関東大震災時の呻くような地鳴り、轟々と吹き渡る風の唸り、
その風に煽られ勢いよく閉まるドアの無情な断絶感、などに二郎の喉元に常にその切っ先を突きつけるダークな現実の片鱗が
顔をのぞかせる。
posted at 16:40:48

7)常に穏やかなその表情の下で二郎は絶えず戦っている。踏みとどまっている。
強い力に押し流されないよう自分を保っている(その見えない壮絶さ)。
10年懸命に走り続けた。だからボロボロ。それでも「生きねば」と前を向く。生命を悔いなく使い切るため。
posted at 16:48:05

8)『八重の桜』について戦争反対の表層的論調に内心抱き続けてきた忸怩たる思いがそっくり『風立ちぬ』のテーマに。
戦争の是非論だけで判断できない人やものや思想の価値を認めない=多面的見方を否定する窮屈な独善が世にじわじわ蔓延する中で
この映画が作られたことの意義は小さくないと思う。
posted at 17:08:21

7/29

もちろん「戦争は絶対悪」は揺るがないが、そこから零れ落ちる沢山の思いに寄り添い悲しみ辛さを慮り、
それでも(血を流しボロボロになりながら)「悪は悪だ」と言い切る勇気を持ちたい。
他者の痛みを引き受けずして正論を吐く資格なし、を肝に銘じて。
posted at 14:54:11

7/30

未だ余韻冷めやらずな宮崎駿風立ちぬ。賛否分かれるのはこの内容では致し方なしだがしかし、二郎が療養先の菜穂子を
訪ねなかったのは、もはや自らの生と一体化した(血肉備えた分身に相当する)航空機設計の天職と彼が切り離せないから、
一時的であれ中断するのは彼の死に他ならないからだと思う。
posted at 10:35:01 

2)もちろんおかしいのだ当然、狂気とか妄執に近い桁外れな命がけの思い入れ、だからこそ一般通念では考えられない非常識な
ことにもなる。
だけど菜穂子も二郎本人もその異常さをわかった上で信頼し合ってるから、物理的距離の遠さは疑念や不信を呼ばない。→
posted at 10:37:18

3)心は誰より相手の近くにあるから。
そんな理屈無用の恋愛に外野が首突っ込んで常識なんぞ盾に非難するのは野暮の極みだろう。
posted at 10:38:37

4)都合の良くない過去はことごとく都合良く「忘れる」日本だから、この魔の山での事も君は忘れてしまうだろう、と
カストルプ(だったか)からの皮肉交じりの投げかけに、二郎がきっぱり「僕は忘れない」と言い放ったことの意味を
見逃してはならないと思う。
posted at 10:39:18

5)夢とうつつが境目なく繋がり、流れる時間が平然と分断される、端正さ緻密さとは無縁の構成のいびつ。
沢山の矛盾、沢山の諦念、沢山の裏切り、沢山の死、そういった累々と横たわる屍を非情に乗り越えて到達するしか、
その人の生がないとしたら。自分を殺さずにすむ選択肢がないとしたら。
posted at 10:40:33

6)完全なる人の平等など現実には絵に描いた餅でしかなくて、醜いこと惨いことは世にうんざりするほど溢れていて、
でもそう認識した時点で決して腐らず、悲観にも絶望にも足を取られず、人に何を言われても世間にどう評価されても、
我が道を迷わず行くと決めた人の清しさ、強さを
posted at 10:43:27

7)真剣に命燃やして生きた人の人生を、誰が否定できよう。
ありのままを曝け出し、何一つ取り繕おうとせず懸命に生きた生命こそ、何にもまして美しい。
それは良し悪し基準とは全く別のものだ。
posted at 10:44:51

7/31

宮崎駿風立ちぬ』再び。飛行機の夢に絶えずつきまとう戦争の影。反復される上空でバラバラに分解し墜落する機体イメージは、
夢が現実に蹂躙される二郎の不安と恐怖の具現化。大半の人が様々な形で戦争に加担していた時代。
反戦を表明すればたちまち非国民だ国賊だと罵られ特高に連行される時代。
posted at 17:07:56

2)彼が「悪」なら当時の大半の人もまた「悪」と言わねばならない。極端な話「生きる」は誰かや何かの犠牲で成り立っている。
我々は他の命を食べて(犠牲にして)生きている。「生きる」自体が既にエゴだ。であるなら『風立ちぬ』の二郎のエゴは、→
posted at 17:10:31

3)他の命を不必要に飽食し、他の国を無慈悲に搾取し富み潤い、環境を汚し枯渇させてきた我々と何がどう違うだろう。
一つ分かるのは「生きる」痛みを引き受けた人は生命は、無類の輝きを放って途方もなく美しいのだということ。
posted at 17:11:50

4)その(切ないまでの)強靭さ、逞しさ。生きるとは、生命の本来とは、これほど目も潰れるほど眩しい発光の連続なのかと
思い知らされる。嘆いてる暇なんかない。悔やんでる暇なんかない。生きよう。生きよう。強く。強く。
posted at 17:13:34

8/4

switch半藤一利×宮崎駿
宮崎曰くの「軍隊の行進とか戦禍が広がるさまとか絶対入れたくない、それをやればドキュメンタリーになる、それは違う」とは、
つまり描くべきは個人の「意志」であって残酷悲惨な「状況」ではない、ということ。世に的外れな批判の如何に多いことか。
posted at 14:49:06

「自分の作りたいものを作ればいいとは思っていない」「何がこの時代に必要か、何を作らねばならないかを懸命に考える」等の
言葉からも宮崎駿はエゴの塊どころか、常に公共の利益に付与できる自身の役割は何かを模索している人なのが痛いほど伝わってくる。
posted at 14:50:38

庵野秀明は「72過ぎて宮さんがようやく20過ぎの大人になった」と。
それを子供のままでいろとゴネる、成熟の置いてきぼり食らうのが面白くなくて脚引っ張るのに躍起になる、お粗末にも世代を
言い訳にする、客寄せ用に吹けば飛ぶよな偽りの賢さを武装した一部の人のメンタリティの面倒くささ。
posted at 14:53:07

「(声優等のプロよりむしろ)実生活で存在感のある人間の方がいい声を出す」発言に宮崎駿の視点やら思想からが
集約されているように感じた。つまり美味なる完璧な「作り物」より不味くて不細工でも「本物」がいいと。
posted at 14:54:15

半藤一利の国家興亡40年周期説でいけばあと20年は下降線、ですか。ということは93年制作のジャンパーソンが繰り返し
提示するシビアな状況とそれに屈してはならじとの厳しくも力強い励ましは今に十分通じるテーマ性を有していると言えるのでは。
JP地上波で再放映やれば意外にウケそうな予感。
posted at 14:57:04 

子どもたちの顔見たら「君たちの未来は真っ暗だ」なんて言えない。自分たちが役に立つなら何とかして役に立ちたい。
繰り返すがこんな発言する人をエゴイストと一刀両断する人こそ自身のエゴイズムを見つめるべき。
誰にとっても天に唾することを他者に躊躇なくぶつける恥ずかしさの自覚あるやなしや。
posted at 14:59:34

switch半藤一利×宮崎駿。半藤さんは正気の人ですね、と対談後スタッフに(カメラに)語る宮崎駿
「正気でいなくちゃならない」、これは世のありのままの実相から目を逸らさない、逃げないことと理解した。
posted at 15:01:09

番外。宮崎駿のアトリエ探訪コーナー(勝手に名付ける)にて。ハイジ絡みでほぼ実物大なヤギのぬいぐるみ(なんと)が
ひとかたまりに何匹もいる部屋のインパクトたるや。
飛んで跳ねてヨ〜レイホーやってくれる器用をついヌイさん方に期待してしまう。
posted at 15:03:14 



※その2はこちら→風立ちぬ関連感想ツイート(8/27-9/7分)まとめ