「罪」と「赦し」/仮面ライダーフォーゼ(6)






弦太朗がここぞと言い放った決め台詞、「捻くれてひん曲がった部分も含めて受け入れる!」はいいとして、信頼を踏みにじったJK憎しで復讐に突っ走った学友の罪は、フォーゼにより「ヒーローの正義の裁き」が下されるのに、「信頼を踏みにじった当人」たるJKには、なんの非難も糾弾も諭しもお咎めもなく、正式に「番組レギュラーの座を約束された」(苦笑)ライダー部員に昇格、というのでは、世の不条理を描く趣旨の一般向けドラマならともかく、特撮ヒーロー番組としてどうなのかという引っかかりが残るんだが、

と疑問を呈しながらも、JKがやたら友情だの親友だのの概念を振り回す頭でっかちなご学友にむかついた心情も分からぬでもないのだ。だがそれでもやっていいことと悪いことはあるわけで、そこを踏み越えて友達を便利なモノ扱いした罪はスルーしちゃ駄目だろうよと。なぜ復讐の原因の方を罪に問わず有耶無耶にするかな、有耶無耶にするなら二人ともするべきだろう平等に、と思うんだよ、うーんやっぱり引っかかる。

中島かずきメイン脚本及び塚田Pの目指したヒーロー像のお手本は、当初から『電王』の良太郎ではないかと薄々感じてはいたが、今回の弦太朗の「ありのまま全部を受け入れる」発言から、あらためてその確信を深めた。
けれど良太郎は、あんな弱っちい見かけでも、弦太朗のように「筋の通らない」えこひいきはしなかったから。善悪のケジメを相手(モモタロスとか)とそれこそ「タイマン張る状況で」きっちり片を付けたら、それ以上は裁かず、ありのままの相手を「受け入れた」、そんな良太郎だったから誰より「漢」を感じたわけで、なのにフォーゼの場合はその大事なポイント(JKの過ちに対し怒るべきところはきっちり怒る)が曖昧に流されているのが、作り手の倫理基準のブレに思えて、心許なく映るのだ。

喧嘩も辞さない覚悟でめんどくさい正論をぶつけることもしない、聞こえのいい台詞と見栄えのいい見た目だけ取り繕ったご都合ヒーローなんて格好良いだろうか。
JKも美羽ん時とパターンは同じ、ちやほやされる境遇から一転、四面楚歌な憂き目に遭うも、弦太朗だけは味方について(言葉は悪いが)恩を売りつける、みたいなのが基本の流れにあるのが、弦太朗の相手の弱みにつけ込んでの「友達コレクション」ゲームのようで、JK以上の嫌な野郎にも見えてしまったり。
だいたい「人間なんて打算でしか動かない」が信条なJKであれば、電話で「友人連中」を呼び出す際に、相手の得になる交換条件を提示して来てくれるよう交渉するはずと思うのだが、ストレートに来てくれと頼んで本気で来てくれると思うほど、彼は友情を信じていない風に描かれていたわけだし。そこは流れの辻褄が合っていない気はしたかな。

だからたとえば交換条件に釣られた二三人くらいが、のこのこJKの拉致られた現場にやってきたはいいが、具体的に交渉を詰める段階でもめているところに、弦太朗が登場、力づくでJKを救出し、勢いで二人は建物の外に吹っ飛び地面に転がる(←ここは本編と一緒)。
まもなく半身起こした二人、JKが「ふーん、で、あんたは何が欲しいわけ?」と聞くのに、むっとした表情で「お前はダチだ、ダチは助ける、それだけだ」とすげなく吐き捨てる弦太朗、ちぇっ気取ってやんの、とJK横向いて呟くと、即座にうるせえ、の声と同時に横っ面ボカっと殴り、後ろへひっくり返る前にぐいっと襟首つかんで引き戻すや、顔を間近に近づけ「もう二度と他人騙すようなだせえ真似すんじゃねえぞこら」、ニヤリと一笑、やにわに立ち上がるや、ほら!とぶっきらぼうに片手を差し出す、JKに握手を求めるように、なんていう流れが個人的には見たかったかも。

言葉(台詞)でベタに、悪いとこもすべて含めて受け入れる、みたいなこっ恥ずかしい宣言あえてするより、身をもって行動でそれを示すのが不良らしくていいと思うんで。ありのままを受け入れる、は自分の中の覚悟であり決意であり、相手に直接に聴かせるようなものじゃないと任ずるそこは男気というか美学が欲しい。なのにエレキスイッチ紛失の件を賢吾に黙ってた(スイッチの事を尋ねられないよう、その場限りの「逃げを打って」誤魔化そうとした)りと、なんかそこら辺の感覚がよく分からん。もしかしてちょっと判断の基準が(気の遣い方とかが)乙メンなのかね。←優しさ優先な感じが

さらに妄想続けるならJKには、簡単にデレて欲しくないのが本音。実は美羽にもそう願ってたんだがあっさりデレちゃってなーんか面白くないぞ。本来はチアリーディング部の部長かなんかじゃなかったかあの子、サボってていいのか、チアリーディングとはそんなに甘いもんなのか、体育館に集った生徒たちを向こうに回し、盛大に啖呵切った手前、たまにでも本気を見せてくれないと、退部したんじゃないんならできるだけチアの練習に行ってくれよと、あれから練習ずーっと休んでんじゃないかと、なにげに気になってたり(細かくてスマンが気になるものは気になる)。

気になるといえば、バトルシーンでの武器組み立ての手順が今までになく煩瑣なわりに、実際の見栄えはあんまり派手じゃない(ようはショボ目)なのが、うーん魅力という点でどうなのかという複雑な思いは抱いたかも今回、ぱっとしないなーなんて(本音炸裂)。
金ピカフォーゼの両肩のでんでん太鼓みたいなデザインは、そうか雷神からきてんだなるほどねと笑い。


おまけで一言。ゴーカイジャー(33)

ええと坂本太郎監督単独の仕事ぶりでも浦沢義雄的世界とでもいおうか、昭和の庶民派な背景に着ぐるみと人間が混在するシュールな風景なりムードを醸すのが、今回はっきり見てとれて、いつぞやのカーレン回ん時に、カーレンジャーのお宝は浦沢脚本だという声で盛り上がる中、なにを言う、そこは坂本監督の存在あればこそだろ、と密かに反発を覚えた私としては、これまた密かに嬉しかったわけだ。前々回記事にしたスーツと生身の差も一応つけてくれていたしね(それでも傷ひとつ負わないお約束の「嘘」には背中がムズムズするけれど)
それと天火星!亮!の出演はやはりダイレンジャー好きとしては素直に嬉しい。嬉しいがそれはそれ、福沢リュウレンと並び立つ本家大藤リュウレンの図を観てみたい気持ちは、依然として消えずにあるのだった。絶対!当時のポーズ決めて欲しいよなあ、きっとカッコイイに決まってる、くーっ想像だけで嬉しくなっちゃう(←ミーハー根性丸出し)