さよならtwitter







独り言、のようなもの。


現在は一応休止モードという形にしてはいるが、すぐに削除せず保留にしたのは、書く内容に拠るところが大きい。

視聴後つまらないと感じたら、どこがどうつまらないかを躊躇なく書くという元よりの姿勢が、ツイッターにはそぐわない(読みたい傾向が限定的な人にまで、半ば自動的に読ませてしまうから、またそういう一見物腰は柔らかそうで、実は有無を言わせぬ強制力が働くのが、あんまり好きじゃないのかも)からとブログへ再び移行するのを、あまり人目につかぬ安全圏にて陰口を叩くため、だと解釈されるのが嫌だった。

映像作品に関連する批判は遠慮なくやる、でも陰口にはしたくない、というか陰口と思われたくない、なのでせめてtwitterへの自動投稿(タイトルの記事の短縮URLがタイムラインに表示される)という形で、その意識だけでも示したかった。
低次元の一言中傷(それこそ「非国民」の張り紙みたいなしつこさで投げつけられる)に遭遇した経験から、意地になってた部分もあった。
単なる個人的な好き嫌いの感情だけではすまない、それなりの理由があるのに、批判も悪口の一種と切り捨てて恥じない理不尽を、黙って受け入れるわけにはいかなかった。
批判するなら堂々と批判しようと思った。制作側の人間も参加してるツイッターに投稿する意義は、そこにこそあるんだと。

ただ最近は、ずっとカーネーションの記事ばかりを連投している状況(いい加減やめないと、と思いはしつつ)で、当初の意義が薄れたと感じ(本作は最初からぶっちぎりで「定型越え」を果たした点だけとっても、称賛に値すると思っているので)、今後も作品の批判記事を載せることがあったとして、それはもう気遣いの範囲外でもいいんじゃないかと思えてきた。
一旦終わらせて、また何か使い道があるようなら復活すればいいかなと(あんまり魅力を感じないんで可能性は薄かろうが)、そんな感じで今のところは考えている。

魅力を感じない最大原因は、制限ある短文形式(※140字)にあったかもしれない。
せめて倍くらいはないと何がしか意味の有ることは書けない。だいたい文章が途中で切れるはめになる。
あの字数で満足するには、何かを語る、というよりは、軽い挨拶を交わし合う程度、との割り切りが必要なんだろう。
だがさらに根本的な問題として、それのどこが面白いのか分からない、というのがある。なんとも救いようのない話。

他にはフォロー/フォロワーの関係が、個人的にはあまり必要とは感じなく。
もっと自在に色んな人と語りたい時に語り合えるものかと思いきや、意外とグループ内でまとまってる(しかもよく話すのはだいたい一定の決まった相手ばかりのケースが殆ど)ので、話しかける段階から結構めんどくさかったりする。
縄張り意識だのフォロアー数誇示だの、さっぱり理解できない。ああでもフォロアーいたら何かと宣伝に使えるか、つまり宣伝する側の人間が最も得だとフツーに考えたら分かるよね。物欲しげな一般人はどうでもいい情報でもミーハー精神で喜んでくれるから美味しいよね。
まあ願わくば、テーマにそって色んな人が飛び入りで話せる、もっと自由な場だったら良かった、というのは個人の勝手な思いだったが。

ハンドルも匿名だ、匿名はみな卑怯だ、と某詩人さんが鼻息荒く主張してたが、実名でも卑怯な奴はいる、という証明が、せめて出来ただけでもツイッターやって有意義だったと考えよう。それから穏やかに話しが出来た人達とのしばしの交流も。