削除ニモマケズ。※追記1〜3






先ほどカーネーションのやふー感想欄の投稿に、反論めいた内容を書いたところ(論点が論点だけに、管理者が慎重を期した気持ちは分からんでもないが)、削除されてしまったのでこちらへ載せておく。

ちなみに皆で共有するような場所への投稿はまずしない派。理由は、自身の言質を完全には負えないからに尽きる。

ただ、一つ不可解な点が。

穏便にしておきたいのは百歩譲るとして、チェックの基準が結構いい加減なのはいかがなものか。
管理者の胸算用一つで適当/不適当を即決する現行方式では、今回のみならず、過去にも著しく公正を欠く事例が数多く見られた。
採用基準を明文化するなり、やふーの信頼をむやみに損ねない手立ては、工夫すればいろいろあると思うのだが。


では以下に復活。


title: 強きをたすけ弱きをくじく「行為の悪」


しかも他人を犠牲にして自分が助かるため(祀り上げた大義で自己正当化する)、というのでは尚更。

「婦人会」を、たとえば
ナチスの熱狂的支持者(すなわちマイノリティ全般への迫害者)」とでも変換して
想像してみればどうだろう。
彼らも「戦争被害者のひとつ」で問題を終わらせることが、
どれほど無責任な言動かが、少しははっきり見えてくるのでは。

個人を悪と断定するのはナンセンスだが、かといって
自らの安定的立場を確保するため、他人を犠牲にし続けた「行為の悪」を
曖昧にごまかすのはいただけない。

根っからの「悪い人はいない」に同意する一人だが、
しかし残念ながら「悪い行いはある」のだ。

「みんないい人」の理想に酔い、必要以上に(描かれてない点まで)
美化することで、エグい現実から目を背けようとする態度も
「幼稚な視聴者」に該当するのではないか。


以上ここまで。


※以下にリンク先のコピペ。


title: みんな理解しています

婦人会の方々も「お仕事」。
お国のためとどれだけ理解して行動されていたか。
婦人会の方もこの時代、生きていくのに、
ご自身もお国から「非国民」と言われないために
戦争というものを深く考えることも出来ず、
仕方なく町を回っていた方もいるのではないでしょうか。

このドラマで「悪者扱いだ」と思う幼稚な視聴者は
ほとんどいないでしょう。

この時代背景を理解し婦人会の行動も糸子の行動も理解されている視聴者がほとんどでしょうね。

人の心の痛み、悲しみも感じながら行動していた。
婦人会の方々の戦争後の行動、町内でのつきあいはどうだったか。
わからないけれど今現代からみればやはり「戦争被害者」の
ひとつだと言えるのではないでしょうか。


コピペここまで。


で。投稿タイトルの

>みんな理解しています

の「みんな」という威圧的表現からして、幼稚っちゃ幼稚なんじゃないのかね。
子供の主張じゃあるまいし、という気がしなくもない。
まあ書き手の層に偏向があるのは明らかな雰囲気だし
(中高年と揶揄する投稿に吹いたw確かにそうかも!)なんとも。
独特、だよなああそこも。

※追記1
前作(『おひさま』)批判を執念深く取り入れた感想ほど歓迎される(支持を集める)傾向とか。前作も今作も、どちらも好きな者の立場を想像すれば、自ずと配慮くらい出来そうなものを。なぜその程度の配慮もしないかね、公の掲示板と個人のサイトとは違うでしょうに。
しかし否定の声が多数(注:あの場所限定で)になれば、さも正しいことと勘違いされてしまう怖さ。やふー感想欄イコール世間、じゃないんだがな。
ところでコピペの人、どうやらID変えてまでして、しつこく思い入れある澤田オバサン擁護するびっくりの粘着気質だったらしく。(というかあそこは粘着気質が多過ぎ!なんだよ)
いつも違うIDで(前日に該当IDがないのに昨日に続きとの言い回しで明らか)擁護ネタ繰り返してたとは。なんというホラー。
自分がいいと思えばそれでいいんじゃないの。他人の評価が何故そこまで気になるかね。ヤダヤダめんどくさくて。

※追記2
管理者側のみならず投稿者側にも、これまで幾度かチェックしてみた実感では、少数意見を排除する傾向が強いのも、胡散臭く感じる点。
数人からその偏向を注意する冷静な意見が出たが、おおかた無視され、少しの不満も疑問も許されない雰囲気が形成されることに。
小さな(ほんとに取るに足らないどうでもいいレベルの)疑問や不満にも、マンセー以外は許さない!とばかりムキになってしつこく云い返す女の嫌なとこ全開だし、マンセー要員の「数の力」で(えげつない厭味を後から後から勝ち誇ったようにぶつけて)追い出していく過程を度々傍観してきたしで、大して信を置いていない。
重複投稿に対しても低評価の人にはここぞと辛く当たるくせに、高評価の人がやれば誰も注意しない。当たり前のように見逃す。このエコひいき一つとっても偏向と呼ばずして何と呼ぶ。
少数の声のデカイ人(ID複数使い回し疑惑大)と、それにコロリと騙される無知で無害な人たちで構成された、見た目とは裏腹なドロドロした場所だとの認識は、強くなりこそすれ消えることはない。
個々人に特に問題なくても集団になると、良くも悪くもヒステリックになりやすいからコワい、だから割り引いて受け取るなり考えるなりするべき、の典型例だと思ってる。

※追記3
そもそも過去を題材にした架空の人物には寛大(というより、我が身に降りかかる火の粉を誤魔化してるに過ぎない、という印象だが)に振る舞うのに、なにゆえに、現在の「今ここ」に本当に実在する批判的目線で語る投稿者には、(せめて同じ程度にすら)寛大に振る舞えないのか。
その答えは、自分とはまったく無関係な他人事だと感じるか否か、の差だということ。
戦争に代表される過去の日本の出来事と自分とが、まるですっぱりと切り離されてでもいるかのように、想像力をめぐらせ思考することを放棄している。だから平然と酷いダブスタをやってしまえる。
この精神構造の冷たさ、怖ろしさを自覚しない(できない)脳ミソをこそ、「幼稚」と指摘するに相応しいのだ本来は。