紅白と第9と橋本平家

大掃除のついでにリビングの模様替えまでこなした昨日の大晦日、酔狂ついでに購入後、長らく積読状態だった橋本平家全巻に取り掛かったのが、同日午後遅く。
しかし家人が観ていたNHKの紅白を、途中から一緒に観始めたのであえなく途中まで。

しかし今更の驚きだが、祇園精舎の冒頭に出てくる遠く異朝をとぶらへば※、の(双調平家曰くの)唐土叛臣伝(もろこしはんしんでん)から本格的に掘り下げていくとは。
安禄山のくだりの一気呵成に引き込む筆のノリは格別で、碌山本人を始め、彼をめぐる登場人物、玄宗、李林甫、楊国忠、其々の思惑と思惑とがすれ違いや読み違いで噛み合わず、果てに衝突するさまを、逐一詳らかにしながらルポルタージュ(一つの仮定としての)よろしく追っていく、橋本印の小説にも共通する独特の引き込まれる面白さを堪能。
今年の大河と題材も同じゆえ、このままモチベ維持を期待しつつ。

※遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高(てうかう)、漢の王莽(わうまう)、梁の朱イ、唐の禄山、これらは皆旧主先皇の政(まつりごと)にもしたがはず、楽しみをきはめ、諌(いさ)めをも思ひ入れず、天下の乱れん事を悟らずして、民間の愁(うれ)ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。

本音は紅白の裏(Eテレ)でやっていた、N響を振るスクロヴァチェフスキの”第九”を観たかった(聴きたかった)ので、録画しておいて本日視聴。
久々に聴くスクロヴァ翁、持ち味のユニークかつアナーキーな音作りが、衰えるどころか益々磨きがかかったかのようだ。
平凡や無難からいつも遠く離れた地点にあるその音楽。ロマン派的感傷やフルベンに象徴されるドイツ的重厚長大さとは無縁の、過剰な装飾を排したシャープで媚びない、率直でうねるような秘めた力強さを内包する、どこか有機的とも感じる音の連なり。
音の強弱の置き方やテンポや全体の響きなどの「設計」が他とはまるで違う。跳ねるような(←新鮮!)音の連なりが醸し出す躍動感にワクワクした。
とりわけ最高にクールな第二楽章には、しばし我を忘れる勢いで没入。

紅白については、流し見には悪くなくとも、うっかり真剣に見てしまうと(今年のテーマや方向性とはまったく関係なく)歌唱と楽曲の低レベル続きに難儀する羽目に陥る。
積極的に観たがった家人からして、目的は歌よりゲストにあると断言する始末(朝ドラ好きなのでオノマチとおひさま出演者が本命だったらしい)。
余談。氷川きよしの歌が70年代の昭和歌謡を彷彿とさせるのは、次にくるムーブメントと読んでのことか、ただの酔狂ネタなのか、気にならんでもない。
いっそNHKは70年代以前の歌謡曲の特集番組なんぞを大々的に企画すればいいのに。需要あるんじゃないかそこそこ。

紅白にてとりわけ好感だった歌唱を挙げるなら、夏川りみ絢香坂本冬美北島三郎石川さゆり、くらいかって演歌畑が三人もか。
演歌が好きなわけじゃないんだが、本物の実力はジャンルを超えて万人に届くから。
年齢重ねてなお、圧倒的声量を誇る北島節に素直に感動。
反して和田アキ子の声の劣化ぶりはどうしたことか。
SMAP中居くんパートにむせるほど笑い転げる家人の隣で、いやいや長渕剛の語りには負けるって、と心中突っ込む私。
あんな特上ネタは滅多になかろう、という意味で。