新春TV放談2012

同タイトルの番組は去年もやっていた(去年は天野祐吉だったかテリー伊藤だったかがいたような)覚えがあるが、今年は一般観覧者をスタジオに入れたり、パネラーの幅を広げ(単純に)数を増やすなどの制作上の熱意が(昨年と比して)加わった分、互いに立場上もあり牽制し合う内にも、傾聴に値する率直な感想や意見が少なくなかった。

去年の中途半端にテンションの低いグダグダな内容に比べれば随分まともになったもんだと、野次馬ノリで録画した割には、視聴がまるっきりの時間の無駄になることはなかったのが、予想外の棚ぼた的幸運であれ、喜ばしいことに変わりはない。
(去年のは、マイナー番組を言い訳に半分諦めムードで投げやりかつテキトーに進めてます、みたいな視聴者舐めた空気がなくもなかった、パネラーにも司会のなんちゃらにも)

オワコン扱いを常道とする所謂TVバッシングに関し、ホントのところどうなのかという疑惑に、早速パネラーの一人が「あれはオッサン系週刊誌の常套手段」だと切り捨てたのが小気味よい。
表層的な印象操作のお粗末を未だに有効と信じる、傲岸不遜なおメデタさにつける薬はない。

視聴率とは本来、スポンサーのためのCMを提供する番組選択基準の目安だったものが、いつの間にか番組自体の評価となり果てた奇妙を指摘した、小島慶子の言い分はしごく真っ当と思う。
以前にも書いたが、今どき録画やPCケータイスマホ等での視聴などめずらしくもないのに、未だにリアルタイムでのTV視聴のみをカウントすること自体、時代錯誤と批判されても止むなしだろう。
しかも現行用いられる視聴率とは、ごく限られた(数百とか全体からするとごく僅かな数の)対象家庭のみから割り出されるもので、その基準からして信が置けるか問われれば、首を捻らざるをえない、ずさんなシロモノなのは明らかなのだから。
テレビ離れ」とは「活字離れ」なる言い方同様に、確たるデータの根拠なきネガティブキャンペーンの域を出ないように思われる。

ところで人気ドラマ部門のベスト10(去年11月に調査した500人による投票結果、とのこと)に朝ドラ二作品が入ったのを踏まえて、小島慶子が震災以降に地震速報を気にかける習慣が根付いたことから「おひさま」にハマった経緯を披露すると、大根仁が「カーネーション」を近年の朝ドラ最高傑作だと絶賛してみせる(ついでに主演のオノマチに関しても、女優人生の奇跡的瞬間に立ち会える幸福、と手放しの褒めようだった)というような、NHKに対するパネラー陣の自主的(たぶん)配慮が、「放談」と銘打ちながらの限界を自ずと意識させもした。

公の場ないし立場からでは、自分一人の責任に収まらない、思わぬマイナスの波及効果が発生したりするから、慎重になるのも尤もとは理解しつつ、最後は常に当り障りのない、いたって常識的発言に収束されがちなのがもどかしくもあり。
予定調和を壊す(予測のつかない変わり種)、が今後のヒットの要諦だとする秋元康の言は、パネラー全員とその発言を安全なる蚊帳の外に置くのだったが、しかし実際のところディレクターやプロデューサー等、何かしら番組制作に携わる人間が語っているわけで、
その完全な傍観者的とも批評家的ともいえる立ち位置キープの姿勢に、予定調和を壊すというならまず自身の発言からでは、という幾許かの反発もなくはない。
当事者意識の薄い、ただ耳に心地いい威勢のいいだけの掛け声に、単なるガス抜き以上の意味があるのか疑問は残る。


ここからは余談として。個人的なTV放談ならSHT、突き詰めれば東映特撮ヒーロー路線が、このまま(年に数回強行される映画含め)お祭り騒ぎの寄せ集めネタを(焼畑農法よろしく)やり尽くした後の、その先に何があるのか、どんな手を打つつもりなのか、それをこそ観てみたい、
対象を真正面から大人に設定し、アメコミには絶対にない日本独自の豊かな叙情と繊細な情感に満ちた、それこそ真の意味で石ノ森精神を継承した特撮ヒーローものを、一度でいい、観てみたいという希望を未だ捨て切れないでいる。
まあそれにはまず、超一級の優れた脚本が不可欠ではあるけれど。
少なくとも今までの延長ではとうてい無理な話。発想を大胆に転換しないことには。
自社の方針云々でなく、日本の特撮ヒーローもの全体を見据えた視点がないと、どうにもならない。
これは作り手側の器の問題でもあるから。
伝統伝統と、自社の立場からのみ主張するのでなく、日本の特撮全体を牽引してきた自負と責任にかかる話だから。

どうしてそういうスケールのデカい考え方に発展しないのだろう。
むろん毎年とはいわない、ただたまには冒険したっていいじゃないかと思う。
子供だましの安全牌狙いでヒット量産してるんだから。
ただボロ儲けする題材であり続ければいいとする現状からは、本音では大して好きでも愛してもいないプロデューサーや上層部の、ジャンルへの愛情の限界が見え隠れするようで。
今やってる目先のウケ狙いにしろ、いつまでもつか知れないのだから、
過去の遺産に頼った一過性のヒットという見方も十分視野に入れて、いずれは「気でも狂ったか!」と周囲を絶句させるほどの大博打を打つ、大胆で気概ある導き手が現れるのを望むばかりだ。