アサイチに仲代達矢(さらに老いについて考えさせられた)


ほんの一服タイムの雑感で
書く程でもない気もしつつ、呟いてみる。


BSアーカイブス(赤秋〜)視聴から間を置かないタイミングでの
出演を興味深く拝見。

自分の台詞を毛筆による手書きで全部書き出し、寝室を始め家の中のあらゆる
壁に貼って覚える、というのは6年前の『赤秋〜』でもやっておられたが
(30歳ころからやり始めた台詞攻略法だそう)、

何度も何度も復唱して、そのたびに忘れても嫌になるほど覚えられなくても、
諦めず食らいついていく、余計な雑念(周囲への見栄だのメンツだの)を構わない、
純粋に芝居と対峙する気迫、ガッツが、衰えるどころか、ますます意気さかん、
新たな舞台劇をひっさげ、パワフルに全国巡業中とのことで、
あらためて年齢とは老いとは何だろうと考えさせられた。

6年前の番組ではまだ、亡き夫人の骨壷が遺影、位牌の前に安置され
ありありと手放せない未練を物語っていたんだったが、今回はそこには
なにも無く、あれから納骨に踏み切られただろうことは、
アサイチでの「孤独の自由さ」という発言からも窺い知れるのだが、

もしかしたら、いや多分、あの6年前の番組が
故人への未練をひとまずは吹っ切る、ひとつの区切りをつける
何がしかの重要な契機になったんじゃないかと感じた。

『赤秋〜』のなかでの、残される夫の身を案じた妻による、
遺言のように残した沢山の走り書きのうち、(あなたの)強さは孤独と
紙一重(だから心配)、というような内容の書かれた一枚を手に取り、
静かに涙を流す仲代達矢の、机上ライトに照らされて深い陰影をつくる横顔が
くっきりと思い出される。

孤独を自由と捉えるようになった、この6年の心境の変化に、ジンとくる。
またあれから生命のエンジン勢いよく再稼働させ、今や行くとこまで行く!と
飛ばしまくってる最中、そんな風に受け取らせていただいた。

最近の『カーネーション』の展開と併せ、心にガンガン響く先人の気迫に
魅了されつつ、なんの負けてはならじと、一種爽快な気分になった朝だった。






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