超・宇・宙・剣/仮面ライダーフォーゼ(32)

監督:坂本浩一、脚本:三条陸


本エピ、先週の前編の時点で、初期設定がすっかり忘れ去られた喧嘩番長な一面を見せてくれた弦太朗だが、
今回の後編では、流星も素で雑魚戦闘員相手に戦うシーンがふんだんに挿入され、いつものことだが、そちらをスーツバトルより重点的に描きたい坂本監督の趣味嗜好がチラ見えて、スーツ派としては複雑な心境ではある。

素であそこまで超人的運動能力によるアクションが可能であるという風に展開してしまえば、必然的にスーツバトルは、肉体駆使よりCG主軸としたハッタリ駆使に偏るから(例に漏れず今回も)、二次元ゲーム的な興奮は呼べても、必殺キック等による肉弾戦のカタルシスには届かない。
ただ以前からアクションに関して、顔出しが主でスーツが従、な偏りが一貫している坂本流だからそれもやむなしとは思っている。

無人のバイクが、味方の窮状を救うべくバトル現場に突っ込んでくるアクションが、否応にもバトルホッパー(次点でアクロバッター)を彷彿とさせ、密かに胸高鳴ったり。
もう一度あのカワイイ奴に会いたい。

採石場での処刑ごっこも昭和へのベタなオマージュ。
そしてそのロケ現場を選んだだけのことはある、派手に爆薬投入した演出の、ホンモノを追求する意気込みや良し。

間断なく炸裂するナパームによる紅蓮の炎をバックに、新形態(コズミックステイツ)にチェンジしたフォーゼが、ワイヤー使いで動きを大きく派手にした背面宙返りを、スローモーションでくまなく披露、
そのすぐ後に今度はアリエスが、降り注ぐフォーゼからのミサイル攻撃(という設定で連続するセメント爆弾)により、青とグレーとにもうもうと煙る空間を、きりもみ回転しながらふっ飛ばされるショットも、画ヅラ的に良かった。

なによりフォーゼが、ここまで圧倒的強さを見せつけたのは初めてだった気がする。その点も(以前に愚痴った分)評価したい。

ただ演出面では不満もあった。たとえば冒頭での弦太朗の死を嘆き悲しむ賢吾の場面では、せめて弦太朗の胸に耳を当てるとか、手首や首で脈をとるとかの、ベタでもいい、確認の手続きを経て欲しかった。
確認なしに死を断定されても気持ちがついていかない。また演出にはそういう細かな積み重ねが大事だと思う。


ところで山田=アリエスという架空の標的を仕立て、ここぞと「クズ脚本」を連発する三条陸の、腹くくって大胆に切り込む批判精神に朝からウケまくり。
わざとタイミング合わせたんじゃないかと勘ぐりたくなる。

学園戦争というタイトルで、仲間同士の内輪もめを脚本にし生徒に強要する山田とは、一体誰のメタファーなのやら。
当然ながら山田の暴挙にライダー部が一斉反発、
「そんな残酷なことがやれるか!」怒りと当惑の面持ちを滲ませる者あれば、
「これよりクズなシナリオは見たことがない」、言うなり脚本をビリビリ破ってみせ、「ゴミか」と吐き捨てる者あり、といった次第。

また弦太朗を裏切り、死に至らしめた流星の行動に関しては、
「悪魔に魂を売った(平気で友を裏切る)メテオなんて仮面ライダーじゃない!」と全力で否定させる三条脚本なのであった。

トドメに、弦太朗と流星が友情のキズナ儀式を交わし合うのを見たアリエス
「三文芝居はそのくらいにしろ」とケチを付けるのに対し、
弦太朗に「お前のクズシナリオよりは百倍マシだ」と返させる。
ああなるほど味方同士を戦わせる例のぐだぐだ白米パターンか、などと。なんちゅう露骨な当てこすり。
とはいえ作品の質を疎かにして興行収入にばかり重きをおく制作姿勢への批判は、その特撮ヒーローを愛するがゆえの止み難い切なき心情は、察するに余りあるし、頼もしいばかりの心意気ではある。

前回のMEGAMAXは、脚本が現フォーゼメインの中島かずき&当時オーズメインの小林靖子だったから、ストーリー的に客ウケ良かったのは分かりきってるのに、それでも使い勝手の良さとか長年のコネとかの、Pの個人的な好みや都合優先でスタッフが(固定化したメンツに)決まる、またそれが許される制作側のシステムに大いに問題あり、なんでしょうな。


ところで弦太朗の死からの復活劇は、救世主=キリストのメタファーくさい。
それで、彼は万人への(本人の理屈では「ダチ」への)博愛をモットーとするのでは、と推察。








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