源氏物語談義と梅ちゃん先生批判に関する雑談

100分で名著』の司会が、今期から伊集院光に代わったのか。
そして今回取り上げたのが『源氏物語』、
三田村雅子(全四回を通してのゲスト講師)のミーハーちっくに砕けた、しかし鋭い指摘を、
最終日ゲストの香山リカ(←ほとんど素人代表的なポジション)共々楽しく拝見。

最終日こと四回目の話題は宇治十帖を中心に。
そこでさっそく三田村が、主要人物たる薫を「根の暗いつぶやきスト」(苦笑)と表現、
本来和歌がコミュニケーション目的なのを超えて、新しい傾向と評価すれば、
伊集院の隣ポジで司会の片われを務める島津アナが、
三田村のフランクな匂宮語りを引き取って「トラブルメーカー」と一言でまとめるなど、
女子三人が交互に、歯に衣着せぬミーハートークを遠慮なく披露するのが、なかなか面白かった。

とりわけ三田村の指摘した「思う」浮舟、というのが印象深く。
すでに千年前に「(最終的に)自分を客観で宙づりにできる」女子を造形した、紫式部の驚きの先見性。
「書くことで生き直す」浮舟の姿勢は、そのまま作者の姿にも重なるか。
「弱さがある種の強さになっていく」とは浮き舟に対する評価だが、弱々しそうで結構しぶとい
(土壇場のお馬鹿パワー発揮で生き延びそうな)朝ドラ梅子にも当て嵌まりそうではある。

ところで梅ちゃん先生に関する本日の呟きに、町山智浩が参戦(おそらく本作に関しては初ではないか)、
正蔵ナレ批判までは分かるのだが、「戦後の闇市にやくざも三国人もパンパンも出てこない」から
駄目だという言い分には賛同しかねる。
現に本日分で娼婦の摘発シーンは描かれているし(どうも本日分チェックせずに批判してる可能性大)※、
町山の指摘する「やくざや三国人」が、終戦直後を舞台にした他の朝ドラでもれなく登場していた、とも思えない。
またすべての登場人物が薄っぺらだというが、同じ批判を『おひさま』や『てっぱん』の放映当時に
向けていたのか、そこは興味あるところだ。

※追記:
すでに(少なくとも二度は)パンパンのお姐さんらの登場シーンがありましたねそういえば。
しかしよりによって登場したその日に「出ていない」と的外れな批判するのは、もう「うっかり失念」レベルを超えてる気がする。苦笑

結局のところカーネーションを「朝ドラ基準」に据えたせいで、他のすべてが色褪せて見える現象に
陥ってるのだろうと想像するのだが、他のドラマ枠ならともかく、朝ドラ特有の流儀とか様式とか、
まああるらしいのを初心者なりに感じるわけで、この先徐々に変化することを期待する気持ちはあるにしろ、
急に大胆な方向転換は難しいのだろうと(前作は突然変異の変わり種だったと認識して)、
本作の良さを積極的に楽しむ選択肢もあると思うのだが、それを
カーネーション基準の朝ドラ以外はクソ!と軽々に断じてしまうのは、あまりにも過激に過ぎるように思う。

まあ二三年まったりと待ってあげても(根本的な方向性の転換に要する準備期間、猶予期間を与えてあげても)良いのではないか、
もしも何年経っても現在の状況のまま変わらないなら、その時にこそ声を上げればいいんじゃないの、と
私なんぞは思ってしまう。カーネーションだって構想8年とか言ってなかったか渡辺あやは。
これもどなたかの文言だが、
梅ちゃんには「当時としてはきれい過ぎる」と文句をつけ、平清盛には「当時としては汚すぎる」と文句をつけ、
なんと視聴者とは我が儘なものよ、とあったのに心よりの同意を示したくなったことだ。









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