出会った中で最高のラ・トラヴィアータ

日曜にNHKBSにて放映されたナタリー・デセイがタイトルロールを務める
エクサン・プロヴァンス音楽祭2011の録画をようやく視聴。

デセイの惜しげなく全精力を注ぎ込む白熱の演技と歌声に感情も涙腺も
ダイナミックに振り回されっぱなし。
ジャン=フランソワ・シヴァディエによる深く踏み込んだ作品解釈が
随所に窺える演出にも痺れまくった。

『椿姫』のオペラ観たのは、実際に劇場に足を運んだ分を合わせても
片手で足りる程度の外野だが、終演直後に録画映像にもかかわらず
ブラヴィ!と夢中で拍手するに至ったのは随分久々の感覚で、
オペラに一時的に嵌った数年前以来かもしれない。

涙のように見えるデセイの目の下のラメが随所で効果的に映えていた。
金粉舞う中でヴィオレッタが「嬉しい!」と絶唱するフレーズの意味合いが、冒頭とラストでは
180度といっていい変化を遂げてるのが(この演出によって)くっきりと対比される。

最初のパーティ会場では、刹那的に生きる不安と背中合わせの享楽の表現として。
ラストの死が訪れる直前では、精神的試練を経た後に到達した
生死を超越した生命の歓喜の表現として。

まさか定番の椿姫で、ここまで我を忘れるほど激しく心揺さぶられるとは想像だにしなかった。
デセイの渾身の歌唱と演技は分離し難く一体で、演じるというより
十全に「その人(ヴィオレッタ)を生き切っている」印象が強い。
金色の光の中、生命の喜びを叫んで果てた姿の神々しさが、今も目に焼き付いて離れない。

タイトルロールが刮目するほど素晴らしいと、相手役も脇もモブもみな
進行に連れて加速度的に輝きを増すのにも胸躍る。
「輝く」個人がいつの間にか他者の「輝き」をも引き出す、人が人に及ぼす化学反応の不思議。
(逆もまた然りで、人から本来の輝きを奪うネガティブパワーも伝染しやすい残念なことに)



ナタリー・デセイ/チャールズ・カストロノーヴォ/ルドヴィク・テジエ、他
エストニアフィルハーモニー室内合唱団/ロンドン交響楽団/ルイ・ラングレ(指揮)
ジャン=フランソワ・シヴァディエ(演出)










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