覚悟をもって死守すべし/フォーゼ、そしてゴーバス


ああ、明後日のフォーゼ放映はお休みなんだ、では今更だが
今週分のに少々触れておくかな、

唖然とするお粗末レベルにもはや言及するのも萎えて脱力状態引きずってたのと、
しばらく休止モードでいいかなくらい徐々にモチベ低下してきてるんで、
何が書けるか危ぶみながら。
そろそろとくすぶっていた思いを吐き出してみる。

フォーゼ44話(石田秀範監督/三条陸脚本)回の何がガッカリだといって、
闇ユウキこと彼女の分身体(なる設定)の白仮面の子と、見た目が逆転してしまったユウキが、
ライダー部の面々から「敵として」追われ、追われる恐怖からビビって
分身の子から奪ったスイッチャーでジェミニに変身するんだが、

たとえユウキの見かけがジェミニであれ、彼女から戦いを仕掛けるどころか、
ジタバタその場でパニクってるだけの相手に対し、弦ちゃんことフォーゼは
何の疑問も迷いもなく、重ねて言うが「何もしてこない相手に向かって」
攻撃を仕掛けたんだった。それも何度も何度も何度も繰り返し。

すでに逃げ腰になってヘタっている様子は、冷静に観察すれば明らかなのに。

あいつは敵だ!の偏見に凝り固まって、「ヒーローとしての正しい対処」が
出来ていなかった。

また周りで「いいぞもっとやれ!」などと熱狂し囃し立てていた他のライダー部員の面々にも、
それが見えていなかった。

「それ」とは何か。むろん相手の態度なり状態のことである。たとえ敵だろうと
仕掛けてくる気のない相手に、先制攻撃をする理由はなんなのか。
「やられる前にやる」という発想を、いみじくも子どもの憧れを一身に背負うヒーローが
率先して実行するとは。情けないにも程がある。

しかも「実はジェミニは元の体の方のユウキだった」事実が判明した時点で、
ヒートアップした状態から冷静に引き戻され、
それぞれが自らのしでかした「思い込みによる行き過ぎた暴力」を反省する、引いては
いじめとは一線を画する、守り第一のヒーロー精神をあらためて心に刻む、再確認する、
というような、お約束なはずの着地点も用意されていない。

ではあのシークエンスは何だったのか、どういう必要性から挿入されたのか、
今も脚本にしろ演出にしろ、その意図がさっぱり掴めないでいる。

しかし本作、本エピに限らず、
何故に本ジャンルにおける作り手の精神はこうまで脆弱化してるのか、

根本がびしっと定まらずだらしなく緩いふざけた倫理観晒したの見せられる不快さは
とんでもなくキツい。失望度合いが半端ない。

いったい何を自分たちが背負っているのか、また背負わなくてはならないか、
畏怖を伴うその重みを、責任を、本当にわかって書いているのか、撮っているのか。

特撮ヒーローという特殊ジャンルに於いては、暴力描写が半ば必然のカタルシスだからこそ、
弱きをたすけ強きをくじく根本精神をしつこいほど前面に立てないと、ジャンルそのものが破綻する。
「悪を倒す」を前提に展開する特撮ヒーローものは、単に娯楽目的で暴力を描く一般作品とは
様相を異にする、またしなければ存在意義も価値もありはしない、

一部のオタク向け殺戮ゲームと変わらんのなら、特撮ヒーローなるジャンルなど
最初から無きに等しい。
殺戮ゲームで構わんじゃないか、ホラーと称しようが、人間ドラマと嘯こうが、
ただそれは、特撮ヒーローではない、というだけのことだ。

特撮ヒーローに、子どもが寄せるヒーローへの純粋な憧れや理想を
その真髄の精神部分で裏切ることは絶対に許されない、
ここは譲れないから、絶対に、を繰り返す。何度でも。


同日放映のゴーバスターズの方は奇しくも、子どもの憧れを背負って戦うヒーローの自覚を踏まえつつ、
友だちに見栄や虚勢を張り、他人の目(意見)を気にしすぎて振り回される子どもに対し、

本物の強さ、格好良さとはどういうものかを、ヒーローが身をもって教える流れになっていて、
はっきり明暗が分かれた印象。

このジャンルに関してだけは、楽しければいいだの楽しいは正義だの、口先三寸なお調子者の
情けない戯言にしかなりえない。
悪を倒すことが正しいという信念のもとにヒーロー活動は成立するわけで、そういう奴らが
おのれの快楽を盾に正義を標榜すればどうなるか、想像してみるまでもないだろう。

その言い訳がまかり通るなら、イジメだろうと楽しいから正義、で押し通していいことになる。
いくらごまかそうと倫理道徳とは切っても切り離せない特殊な番組制作において、正義を標榜する行動を
おのれの快楽原則と結びつけた時点で、信憑性は限りなく怪しくなる。
身勝手な欲望のいじましい正当化努力乙!と見抜かれて終了、である。

特撮ヒーローものというのは、間口の広い楽しげな見かけとは裏腹に、非常に厳しいストイックな精神を
作り手に要求してくる、取り扱いのこれほど難しいジャンルもないんじゃないかと思う。
だからこそ、頑張って欲しくて応援しようという気にもなるわけで。

この世の「悪しきもの」を退ける盾になるとはどういうことか、を描く(今では絶滅危惧種に近い)
希少なジャンルを、わざわざ平らに均し一般化してつまらなくすることはない、
ジャンルの秘めた価値を作り手が理解することが大事なんだが。この調子では心もとなく。

変革すべきことと死守すべきものを取り違えてはならない、それだけは伝えたい。
どうか守ってくれこの先の未来までと。







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