フォーゼ&ゴーバス映画。


仮面ライダーフォーゼ THE MOVIE みんなで宇宙キターッ!
(監督:坂本浩一、脚本:中島かずき
特命戦隊ゴーバスターズ THE MOVIE 東京エネタワーを守れ!
(監督:柴崎貴行、脚本:小林靖子



フォーゼ。
坂本浩一監督の手がけるアクション大盤振る舞いな映像が圧倒的魅力を放つのは、
ユニークかつ大胆なフレーミング&カメラワークに拠るところ大だと思う。

被写体(登場人物)が実際に動く前から、すでに(フレーミングとカメラワークだけで)
活き活きとした躍動感が画面に漲ってるのが凄いなと。
空間の使い方、処理の仕方で、画面からはみ出す勢いを作り上げている。

ワイヤー使いから完全には払拭しがたい動きの不自然さを、ジェット噴射の演出で逆に「生かす」
(自然に見せる)テクに感心。
ブラックナイトとフォーゼの一騎打ちシーンでの多用も見応えあった。

これであの乗り物酔いに似た、何の効果狙いか意図不明のだらしないカメラのブレさえなければ
言うことなしなんだが。

折角の凝ったアクションもカメラ本体が始終揺れていては、何が起きてるのか把握しづらいのと見辛いのとで、
大して印象に残らない、残らないまま次々流れてしまって、その大盤振る舞いは嬉しくもあるのだが、
力を入れて撮ってるものを最大活用出来てないのは、やはり勿体ないと言うしかない。

映画というよりせわしないゲーム画面を追ってる感覚に近い。
アクションパートに緩急のメリハリが欠けるので、畳み掛けてくる速いテンポも、見続けるうち一本調子の
単調さにじき飽きてしまい、画面上のハイテンションとは裏腹に、集中が途切れてぼんやり惰性で
眺めてたことも多々あった。

40個のスイッチ全部使ってバトルを構成するなら、現行の時間では詰め込みすぎて、窮屈に感じられる。
最大の見所に多めに時間配分しないのが解せない。
随所にタメ(緩)を仕掛けてから一気呵成に落とす(急)といった、反復するリズムを作れる時間があれば
随分見やすかった気がする、
だが監督が詰め込みを良しと考えたなら、いくら見せ方の拙さを指摘しても無意味だろう。

キョーダインの扱いへの賛否を聞き及んでいたので、どんなものかと思いきや、
元のデザインを生かした別物だと坂本監督が明言する通りのキャラだった。

思うにゴーカイジャーにおけるバスコのレンジャーキー駆使した攻撃が
許容範囲かどうかが賛否の分かれ目かもしれない。

私個人は本人設定でないことがはっきりしているなら、他人の空似と割り切れるので
ゴーカイでの「過去ヒーローの姿をしたバスコの操り人形こと悪の手下たち」も気にならなかった。
ただ作り手側も兄弟を設定を逆転させ、さらに性別を女に変えるとか、別人ですよサインを出してはいるが、
懐かしヒーローの名称一つとっても、悪のイメージに使われるのは心外な熱心なファンもいるに違いない、とは思う。

中島かずき脚本の熱い盛り上がりも良かった。
40個の各スイッチを過去エピで縁のあった学園の生徒らに手渡し、フォーゼとなって戦う弦太朗に
力を与えるよう願って押して欲しいとライダー部が頼み、頼まれた方も気持よく快諾するくだりとか、
機械とも友だちになると宣言した弦太朗が、XVⅡよ死ぬなと本気で慟哭するところとか。

惜しむらくはキョーダインと対峙した際に、弦ちゃんには悪事を即刻中止するよう彼らに勧告させて、
問答無用で拒否されるという手続きを踏まえてくれると、もっと良かった。
冒頭で機械とも友達になる、と宣言させた以上、せめて筋を通すためのお約束は入れたほうが
弦ちゃんのキャラらしかったかなと思う。

でも映画のラストに観客目線の弦太朗に「お前とも友達になる」と言わせて、
背後に勢揃いしたライダー部の面々と共ににっこり微笑ませたのは、最高に良かった。
終映直後に「面白かったあ!」と満足気な子供の声が聞こえてきて、もうそれだけで胸がじーんとしたし。
子供たちの憧れたる(ちっちゃいのが揃って、息を詰めるようにしてスクリーンに魅入られている様子ときたら!)
ヒーローの強さと優しさが、きっちり表現されていたことに花丸つけたい。


ところでゴーバスの方は予算の関係なのか何なのか、いやにCG成分多いように感じたが
いつもあんなもんなんだろうか、コンスタントに劇場版観ているわけじゃないので知らないんだが。

TVの延長みたいな感覚が濃厚で、
見どころは、うーん、やはり水しぶき上げるロボたんの超煽りショットか、
加えて東京タワー展望エリアで炸裂する押川レッドの
右からのフレームインで、敵めがけて空中を錐揉み状に突っ込むキック辺りか。

しかし欲を言えば、CG加工なしのアクションをもっと見たいかも。

昔だったらタワーの鉄骨上でのバトルはまんま撮っただろうなと思い、もっと予算と時間と持ち前の技術を
潤沢に投入すれば、あの臨場感を再現可能なんではないかと思うのだが、
少なくとも洋画では「出来てる」ことが何故に出来ないのか、やはり行き着くのは予算と時間という気がする。
現場の頑張りだけに頼るのにも限界があろうし。

映画という一つの枠でくくれない甚だしい落差を無視して、同一料金はおかしい。
それが安上がりに作れば儲かると判断させる元凶なんだから、たとえば制作費に応じた(何パターンかに割り振るか、
うち何%等と算出するか、色々方法はあると思う)料金設定にすれば
安上がりに作れば儲かる思考を一掃できるかも、などとつらつら考えたり。