「戻す」ということ/ゴーバスターズ(29)&ウィザード(2)


※視聴時の走り書きを元に。


ゴーバス/亜空間への突入!

◇特命戦隊(引いてはエネルギー管理局特命部署)に課せられたミッションは、
ヴァグラスに破壊される以前の元の世界(状態)に戻すこと、この「戻す」というキーワードに
特撮ヒーローの存在意義の何たるか(何を正義と定義するか)が凝縮されているわけで、
今回の大事な局面でもヨーコ(だったと思う)に「必ずもとに戻す」のだと決意と覚悟を込めて
言わせたのが感慨深く、そうそうここで言わないとその核心を、と妙に納得したことだ。
以前に話題にした中央公論8月号での橋本治の言、

くだらない話だが、「正義」というのは保守的でつまらないものである。
どうしてかと言えば、「正義」というのが概ね「守るもの」だからである。
「正義」というのは既にある――だから「守る」へとつながる。

が再び思い出される。
そう「守る」だろうと「戻す」だろうと、保守的な行動という点では同じ、一貫しているのだ。
それは本来特撮ヒーローを成立させる要(かなめ)だから変えようがない。
無理に変えてしまえばそれはもう「別のものになってしまう」から。


◇戦いは目的に沿って合理的に進めなければ、とのエンターの台詞が、
真っ向から”樹液”戦法を否定してるように聞こえてつい吹き出したが、いやしかしあれはあれで
ものすごく大雑把にやってるようでも結果オーライなら彼なりの「合理」でいいのか、などと
考えさせられるなど。(今まであの独自のやり方で「おおよそ」いい線いってる気がするしw)

◇等身大バトルにおいて、「敵組織の美女との一騎打ち」という名の絡みシーンの役得が回ってくる割合が
もしかして多いのだろうか竹内SAには。エスケイプVSブルーバスターに、偶々かもしれないが、
まだ視聴した記憶も新しい『ギンガマン』のシェリンダVSギンガグリーンが、個人的に重なって見えるので。
もっと危うい絡みを、さらなる色気を、と内心期待してしまうのだが(邪心の発動)、そう突飛な願望と
いうわけでもなくて、なぜならバトルアクション自体に既にその要素は内包されているから。

◇顔出しVSスーツのバトルは、スーツ同士のバトルと比べると、段取りをこなしてる的なちょっとした間合い、
間延びした一瞬が生じてしまうのが、贅沢な高望みであるのは承知ながら、物足りない点ではある。
それからバトル時のカットの切りすぎも、コマ送りかと突っ込みたくなるカクカクした無粋な切り貼りアクションでは
なめらかなグルーブ感が醸す色気は望むべくもなく、せっかくの素材が十全に生かせてない気がする。
もっと「誘ってくる」画ズラ、強く惹き込んでくる画ヅラの力が欲しいかなと。



ウィザード/魔法使いになりたい

◇絶望「させられる」という言い回しが興味深く。
確かに絶望を自ら好んで選択するわけではないだろう、結果的に「絶望」に至るのだ、それを
「させられる」と表現した、つまり「絶望した姿」はその人の本来ではないと言っている、
不本意な状態にあることを端的に表している、その着眼点が鋭いと思うし面白いとも思う。

◇「人々がファントムの犠牲になるの二度と見たくないから、晴人は自分の命をかけて戦うことを決めたの」
「だから、魔法が使えたら良かった、なんて簡単に言わないで!」
ウィザードのナビ的役割を務める骨董屋のお嬢さんから、思いがけず初代ライダーの精神を引き継ぐ
王道台詞が飛び出したのには、驚きもしたし、初回を視聴して漠然と抱いていたウィザードの印象が
少し変わりもした。

自分のような悲劇を二度と起こさせない、犠牲は自分だけでいい、誰にも同じ悲しみを味わせない、
悪の侵攻を必ず止める、世界を元の状態に「戻す」、そのためには何だってやる、この身も捨てて構わない、と
尋常ならぬ決意と覚悟を胸に秘めて戦う孤独な戦士、といった仮面ライダーに抱く最大公約数的なイメージを
大切に継承してくれるのはやはり頼もしい。なんたって「原点」ですから。





.