病めるときも健やかなるときも


アメリカ大統領選挙の行方が注目されるバラク・オバマに焦点を当てたドキュメンタリー番組のシリーズを先週から
録画視聴しているが、この四年間の困難を極めた政治運営の原点といえる就任演説の時の、それまでの調子とはかなり
トーンの違った、立ち塞がる重苦しい現実に希望の光明を見出すまでの困難な道程から、しかし決して逃げず、
諦めず、投げ出さず、不屈の忍耐と勇気をかき集めていざ立ち向かおう!と呼びかけた、あのオバマの精神は、
今に至ってもなお微塵も変質することなく、人種や階層の壁を超えて融和と協調の社会を、国を実現すべく、
高き理想を掲げて邁進している姿は一種感動的であり、胸打たれるし勇気づけられる思いすらする。

また両ブッシュ時代からの負の遺産こと、抵抗勢力のいかなる妨害にもめげない強靭な精神力を以って、
オバマは孤軍奮闘を続けてきたのだったが、一方で
四年前にはあれほど熱狂的に支持した国民の少なくない数が、期待した結果が果たされていない不平不満から、
対立候補ロムニーに鞍替えする意思を表明しているというのを聞いて、
わずか四年で両ブッシュの残したツケを払えと迫り、払えないのは無能だからと、まるで他人事のように非難する国民の
「当事者意識の薄さ」には(それこそ他所事ながら)違和感を覚えずにはいられない。

思い出すのはかつてのケネディの言葉、「国が何をしてくれるかではなく(自分が)国に何が出来るかを問うこと」の重要性、であり、
その理想に本気で賛同し、その舵取りの方向性を支持すると決めたなら、オバマが就任演説で明らかにした国家再生への厳しい道程を
どんなに苦しくとも辛くとも、積み上げられた膨大な負債を堅実に減らしながら、着実に地道に、一緒にこの国に希望を蘇らせるべく
力を尽くしていこう、どうか力を貸して欲しい、とのメッセージに応えるべく、出来るだけの応援をしていく覚悟が伴うのは
言うまでもないことと思うのだが、

何故そんなにもあっさりと手のひら返しが出来るのか、大統領を選んだら後はお任せで、どんな酷い妨害があり
公約推進が阻まれたかも考慮せず、いやそもそも知ろうとすらせず、裏切られただの騙されただの批判だけする「お客さん感覚」で
果たしてその国の「国民」を名乗る資格があるのかどうか。

朝ドラの『純と愛』じゃないが、節操なく盲信するのとはまったく別に、これはと思う人や物事をいったん「信じる」と肚を括ったなら、
その後で湧いてくる不平不満などのネガティブな感情は、みな自分一人が負って然るべき問題であって、それを信じた相手や対象に
責任転嫁するのは、一蓮托生の覚悟もなしに軽々に「信」を乱用した責任を不問に付すのと同様、道理に合わないように思われる。

ともあれオバマの国家再生へのシナリオが中途で挫折するのを見るのは忍びないし、第一つまらない、
また再選が果たせるか否かで、米国民への個人的印象も大きく変わる予感はする。
漠然とながら抱いてきたアメリカの善きイメージが損なわれる結果に終わらないよう、密かに願っているのだが。




オバマ新大統領の就任演説内容(全文)より

”(略)共通の危機に直面した今、この困難な冬に、我々はこの時を超えた言葉を思い出そうではないか。
希望と美徳によって、氷のように冷たい流れにもう一度勇敢に立ち向かい、いかなる嵐が訪れようとも耐えようではないか。
子々孫々が今を振り返った時に、我々が試練の時に旅を終えることを拒否し、引き返すことも、たじろぐこともなかったということを語り継がせようではないか。
地平線に視線を定め、神の慈悲を身に浴びて、我々は自由という偉大な贈り物を運び、将来の世代に安全に送り届けたということを。”





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