特撮hero関連つぶやきまとめ(4/23-6/4)その2と補足

※元記事を項目別に仕分けしたもの。
正義と暴力のこと。そして電王から昭和ライダー平成ライダー経由で特撮heroジャンル及び特撮hero作品の作り手へ
「過去を振り返るノスタルジーも大概にして果敢に次の未来をつくる真新しいオリジナルに挑戦してくれ」の頑張れエール

4/23

絶対の正義はない、とは思わない。
例えば「生命尊重が最優先」も「戦争は悪」も人類共通の認識、つまり「絶対」の域にまで
個々人の自覚と努力でもっていかないと、愚かな過ちは何度でも繰り返される。
エゴや欲望など負の側面をあるがままで良しとするのは、人という知的生命体に対する侮辱に相当する。
posted at 10:16:01

あるがままでいいとは一種の達観であり
それにはそこに到達するまでの相応の自覚と努力と矜持が必要であるはずで、
自由と放埒を履き違えた刹那主義快楽主義称揚のツケは
結局は損を承知で黙々と社会の雪かきする少数の人が払わされる。
絶対の正義はない、は弱肉強食社会を認めるようなもの。
posted at 10:21:39

何を「絶対」とするか、共通認識として認めるか、が最重要な問題で、力点は
正義という言葉の世間に流布する浅薄なイメージではないはず。
言葉に(正確には言葉を巧みに扱うものの思惑に)まんまと踊らされる危うさ。踊らされていることに気づかない怖さ。
posted at 10:24:32

絶対の正義はない→正義は人それぞれ、とうそぶく前にその理屈が、
国民の生命を理不尽かつ残虐な方法で奪い続ける統治者にも、一片の擁護の余地なき凶悪犯罪の類にも
該当するのかどうか自問してみるのは無駄じゃない。
posted at 10:44:28

暴力を否定しては飯の食い上げになるから、正義という言葉を格好の標的にして批判の矛先を巧妙にかわし、
暴力温存の屁理屈をでっち上げた、というあちらの内部事情も考慮する必要あるかと。
わざとらしい自己正当化アピールに裏はつきもの。
posted at 10:47:38

※子供番組で子供に社会ルールの基本を教える以前に、正しいこと(正義)は人それぞれ(個人の判断に任される→何をやろうが
「個人の自由」で許される)、のような視聴対象の精神的成熟度を完全無視したメッセージを発信することの罪深さと残酷を
考えるべき。エゴ剥き出しでヒーロー同士が争い合う暴力要素の突出した厨二趣味はまったく子供番組として成立していない。
単なるバトルゲームがやりたいならまず子供番組の看板下ろして別枠でやるのが筋、という至ってシンプルな理屈。

5/1

ライダーにも悪の要素あり、の根拠が「悪の組織を自称するw秘密結社に改造人間手術を施された過去」を
「悪への帰属」とする解釈にあるなら同意できない、
ライダーのヒーローたる所以は元は悪の力を(180度ひっくり返す大技で)善に転換して使いこなす究極の人間力にあると
思ってるから。
posted at 16:28:03

5/22

電王は電王ってタイトルだけで良くて仮面ライダーは余計だと初見時から思っている。
もはや異色通り越し完全別物だしそれで何の問題もなく成立するほど作品自体に力があるし。
完全オリジナルの特撮作品として世に出して欲しかった、が偽らざる本音(シリーズ縛りのせいで色々損してる部分あると思う)。
posted at 18:01:45

5/24

早朝から録ダブルス見て、エゴを制するモラルが絶対のベースにあるからアクションだけが暴力表現として突出しない、そう
足りないのはこれなんだよなあとつい溜息が出てしまい。
この王道こそ何より必要なのに。特撮heroものの肝なのに。何故分かってくれないんだろうという歯がゆさもどかしさ。
posted at 07:49:16

電王の件。白Pが「仮面ライダーを成立させるための最低限の要素」とする3つの定義(同族同士の争い/親殺し/自己否定)は、
敵側の強制的な改造手術により普通の人間が異形に「されてしまう」昭和初期の設定以外には該当しないのではとの
以前からの疑問はここではとりあえず置くとして。
posted at 15:38:18

2)電王の特殊性は、それまでの歴代ライダーが辛うじて継承してきた「人間と異形の両方の形態を一個人が獲得する」括りからの
逸脱にあると思っている。
人と異形とを別個のそれぞれ独立した存在と設定した段階で、個人の背負う異形の苦悩や葛藤を暗黙の定義としてきたライダーとは
別物になっていると。
posted at 15:39:12

3)小林靖子ライダーの前作にあたる龍騎とは明確に一線を画するこの斬新な発想は、次作のオーズにも映司とアンクの
バディ関係として生かされてはいるが、オーズ映司の世のため人のためな能動メンタリティに比べ、電王良太郎の徹底した受動
(相手に合わせる)メンタリティは、ライダーの定義以前に→
posted at 15:45:13

4)ヒーローの定義にも大胆に切り込む革新性を備えている。前者は昭和ライダーの従来型に通じるが後者は何にも似ていない。
良太郎の設定ひとつとってもライダーの定義に収まらない作品自体の器の大きさがある。
ライダーと切り離し独立したオリジナル作品で良かった、とは以上の認識を踏まえたもの。
posted at 15:48:05

だから平成ライダー一期は別にオリジナルでも通用する質と内容と備えていたにもかかわらず
「幼児向けの帯」で「ライダー縛り」でやってしまった、そのことの功罪はあるはずだし良き面ばかり持て囃して唯一の正しい
選択だったとする欺瞞も自覚したほうがいいと思うのだファンも作り手も。→
posted at 15:55:11 

→その硬直した「意固地」から自由になればいい、冷静になればいい、もっとよりよい方法はあったかもしれない、と謙虚に
考えることは無駄じゃないと思うから。特撮heroジャンルの未来のために。
posted at 15:58:03

5/25

昨日の。電王は「オリジナルが良かった」の主張が唐突に平成ライダー一期にまで飛躍し、その根拠とかバッサリ省略しすぎて
意味不明だったなと反省。 ので間の空白部分の補填作業を、遅ればせでぼちぼちと、思いつくままランダムに並べてみる。→
posted at 15:36:59

同族同士の殺し合い/親殺し/自己否定、はライダーの定義というより石ノ森ヒーローの定義だろうと思う。キカイダーがいい例。
だからライダーに拘ることに実質的には大して意味がなかったりする。
posted at 15:38:06

平成ライダー一期がオリジナル(のシリーズ)であった場合のメリット。
作風からして水と油である昭和ライダーとの関連が切れるので無用な齟齬や軋轢も同時消滅、昭和キャラと無理に繋げようとして
ドツボに嵌るリスクも回避でき、平成だけで(独立したシリーズとして)勝負することで全てが丸く収まる。※※※後述で自己レスあり
posted at 15:40:48

平成ライダー一期は次回への引きが連続するストーリー主体の作りだが、ダブルからの平成ライダー二期は
昭和以来の一話(エピ)完結の形式に戻ってるわけで、脚本形式上の観点からも一期だけ異質なのは明らか。
これもオリジナルで良かったとする理由の一つ。
posted at 15:46:15

※一エピ完結の特徴は全体を貫くストーリーの進行が終盤まで停滞して見えること。
終盤に突入して初めてパタパタ風呂敷を畳もうとする感じ。それは作劇が下手とはではなくて最初からワンパターンに収める
昭和的な作りを意識した結果なんだと思う。

石ノ森漫画でなくTV特撮の昭和ライダーはあくまで「子供番組」の看板掲げてたから、社会道徳を重んじ子供の手本となる
憧れの対象たるスタンスを主人公にもお話にも求めたし、それは教育上宜しくないという世間の批判をかわす賢い対応でもあった。
誰に向けて作ってるのか、の軸がしっかりしてた。
posted at 15:48:41

ライダー自身が「危ないから友達に向けてライダーキックはやっちゃ駄目」とTVを見てる子供らに呼びかけたというエピも
子供が視聴主体の自覚ありきな社会道徳なり規範に基づく言動なわけで、
そもそも劇中でゲスト/レギュラーの別問わず子供を積極的に出演させる狙いもそこにしかあり得ない。つまり→
posted at 15:50:36

→ハードな石ノ森漫画とTV特撮(今で言うSHT枠)は明らかに対象が違う、ということ。
posted at 15:52:20

昭和ライダーも敵を陥れたり騙したりと悪に類する卑怯をやっていた、という理屈は時代感覚を無視した批判であり、
冷戦構造ありきな正義の概念は、復讐をも公然と肯定してしまう単純素朴な野蛮が幅を利かせていた背景を考慮すべきで、
当時の一般通念を現代の感覚で裁くのは間違った傲慢だろうと思う。
posted at 15:55:27

おそらくはクウガ一作でライダーは打ち止めのつもりだったと思う高寺Pは(だから後続やると聞いて憤ったんだと)。
次からはライダーから離れた作品なりシリーズを作ろうとしていたのでは。
響鬼』も最初の構想ではライダーではないオリジナルものにするつもりだったらしいし。
posted at 15:59:21

「萌え」な方々に、いかにドラマのダブルスみたく
特撮heroもの本来の特性たる熱さとか男臭さを理解し愛していただけるかが肝なんだろうと思う。
硬軟どちらも取り揃えてこそ大衆人気は安定する。
アニーのパンチラとシャイダーのアクション&爽やかな男気は不可分!みたいな(そこ熱心に語るとこか。
posted at 16:03:27

※※※部分に自己レスで以下
とはいえ。ライダーや戦隊に宇宙刑事その他別枠の昭和特撮を無理くり絡めて大人向けの客寄せパンダに使う現状も
一方にはあるからなあ。
ただ少なくとも同枠ゆえの必然を主張できなくなるだけでもマシかなとは思う。
posted at 17:01:44

まあその客寄せパンダ策の効果も徐々に怪しくなってきてる気配はあるが。
結局「質」で勝負できなきゃいずれ必ず飽きられるしブランドの信頼を下げるばかりで
いいこと一つもないと思うんだけどね、何故そのシンプルな道理がわからないかなー(おっといかんストップ愚痴)。
posted at 17:18:04

5/26

作風の違い以外で平成ライダーが昭和ファンに敬遠されるのなら。その理由を外野なりに考えるに、
特撮は基本体育会系だから後輩の分際で先輩にタメ口とか武器化して利用とか簡単に負かす(スパヒロ大戦)とかの
失礼にも程があるディケイドの扱いが昭和ファンの平成嫌いを決定付けたのではと推測。
posted at 05:51:51

6/4

平成ライダー賛美もいいが特撮ヒーローにはSHT枠以外にも無限の可能性がある前提を無視して
わざわざ既存の枠に収めようと腐心する、未だにカビ臭い綺麗事並べて誤魔化そうとする意味がわからない、
保守志向も大概にして未知の世界に飛び込め、たまには冒険してくれと作り手に発破かけるどころか、

2)ダメ親みたく何やっても褒めちぎり甘やかすから、今や中身薄いハリボテ状態の特撮が
さらにペラペラになる悪循環が悲しく淋しい。
平成ライダー一期はオリジナルで勝負できたのに、リスクをおそれ既存の安定路線にしがみついた、
どこに美談がある、何故そうも必死に取り繕いたがる、そのリスク回避に

3)費やした10年を新規シリーズ定着に向けてくれていれば、特撮の多様性も少しは確保できていたかもしれない、
現状を最高最上の結果となぜ言い切れる、
もっと凄いもっと違う未来があったかもしれない、今があったかもしれない、
尽きせぬ向上心や 大胆な発想に基づく創造性を放棄したらそこで終わり、

4)アレンジだけじゃなく新規にチャレンジしてほしい、特撮の未来の為に道を切り開くのも大事なことだから。
どうか逃げないで。
果敢に挑んで欲しいとずっと願っている。そしてこれからも。