あまちゃん(9/2-9/28)ツイートまとめ

9/2

事前に覚悟してはいても映像での再現はあの時の記憶を鮮明に蘇らせるから。劇中の出来事以上にクルものがあるらしく。
見終わった後も胸の動悸止まらず。固唾を呑んで見守るのかな明日も。
でもどうか北三陸の面々の安否確認は早めにお願いしたい (心臓に悪い!)。
2013年9月2日 - 8:37

9/5

筋の通った理屈や既にあった事実を感情交えず並べてみせる傾向ある男子の典型例が例えば #あまちゃん で水口の癇に障ろうが
お構いなくアキとキスした「事実」を伝える種市先輩で、#Woman で紗千や栞の動揺にお構いなく罪を償う覚悟と引き換えに
赦される希望を捨てるなと説得する健太郎で、→
2013年9月5日 - 13:33

→そういう彼らにわだかまる感情を置き去りに出来ない相手が反発を覚える流れも同じだなとふと思い至る。
2013年9月5日 - 13:34

でもお言葉ですが春子さん、海女も南部潜りもアイドルも北三陸で全部つながるし役立つしで、一つとして無駄じゃないのは
案外に凄いことですよ。興味の赴くまま行き当たりばったりの気まぐれのようで天性の勘(みたいなもん)で選び取ってるアキは
「大したものだと思います」。#あまちゃん
2013年9月5日 - 13:41

「18までしか親に育てられてない」とのたまう春子にまたもや「親と暮らしてない」の間違いなのではと内心ツッコミ。
どうもクドカンの親子イメージは時々唖然とするほど甘々な情でデコレートされていて、遭遇する度にハテナマーク連発の
眉間に縦皺で腑に落ちぬ苦笑い、となってしまう。#あまちゃん
2013年9月5日 - 13:52

母春子の25年間こじらせた鬱屈にこれ以上望めない最善の形でかたをつけてやり、震災の精神的ダメージから立ち直れないでいる
鈴鹿の面倒をよろしく頼むと太巻んとこ辞した時と同様、事務所社長たる母に頭を下げる凛々しい面見せるアキの男前っぷり、
もとい孝行娘っぷりが凄かった。#あまちゃん
2013年9月5日 - 13:58

アキが素の存在自体でアイドル宣言する一方、鈴鹿は月面のセットで宇宙服着てTVの中からアキに手を振る。
表情も体型もわからなくなる宇宙服は素の自分でない架空の誰かを演じることの、月面のセットは擬似現実を作り出す映像の
フィクションに生きることのそれぞれ暗喩でもあるのかなと。#あまちゃん
2013年9月5日 - 14:03

懸命に焼いた卵焼きをアキに走って届けてくれた種くんが最後までまっすぐで気持ちのいい男で嬉しい。アキとの別れはやはり
南部ダイバー以外ないわな。麗しい先輩後輩の気心知れた間柄が二人にはやはり最高に似合ってると思うなあ。 #あまちゃん
2013年9月5日 - 14:07

春子たちの運命に立ち会ったキーパーソンだと大仰に持ち上げる水口に対し、甲斐さんがとっさに照れて口にした「ごめん
聞いてなかった」の見えすいた嘘にほっこり和んだ。
なんてキュートな白フクロウ(ええええ、と驚く顔に似てる似てると毎回連想していた告白)爺でしょう。#あまちゃん
2013年9月5日 - 14:24

補足。アキはクドカンの分身なるツイも拝見し思ったのは、アキがせいぜい小5くらいの精神年齢なのも、
ちょうどその年頃なら少女も少年ぽい部分併せ持ってたりするからキャラ設定的に便利だったのでは(いわゆる苦肉の策的な)、
なんて推測してみました>孝行娘が妙に男前にみえる件 #あまちゃん
2013年9月5日 - 14:45

9/7

常に一番でいたい(物静かなお嬢さんの見かけ裏切る)闘争本能ごりごり肉食系ユイの親友となるアキは、確かに思春期特有の
ひねた屈折とはまるで無縁の天真爛漫小学生男子キャラでないと両者のバランス的に釣り合わないのだなとしみじみ得心した
本日の #あまちゃん
2013年9月7日 - 14:50

ところで、ついにアキは本来の地元たる東京への愛着持たず仕舞いだったかと侘しくもあり。17まで住んだ土地に何一つ
いい思い出も思い入れもなくアキのような子が出来上がるとはとても信じられず。親の恩あり土地の恩あり、それは東京だろうと
何処だろうと同じじゃないのかな。#あまちゃん
2013年9月7日 - 14:51

三陸も愛し東京も(良さ再発見して)愛し、じゃ駄目なのかな、地元二つ持ってる、じゃ駄目なのかな、複数却下は転勤族には
辛いよ。谷中の寮と上野のアメ女シアターの往復で遭遇しそうなご近所の人との交流も描かれず残念。
ささやかな挨拶シーン挿入するだけでも随分違っただろうにと。#あまちゃん
2013年9月7日 - 14:57

9/11

現在進行中の震災復興エピとは直接関係ないタイミングのズレた話題と承知で面倒くさいこと呟きますが
(どうしても気になって仕方なくて)。→
2013年9月11日 - 13:05

春子は夏だけでなく故郷の北三陸とも和解し、和解したことで東京での24年間も肯定できた。
だがアキの太巻以外の東京人との接点は喫茶アイドルや無頼鮨の、 春子やアイドル業の延長線上の人間関係しかなく、
アキ個人が17まで住んだ東京と対峙する機会が予め奪われている。→ #あまちゃん
2013年9月11日 - 13:08

2)アキの心は100%北三陸にあり、東京での17年間は顧みられない。
春子のように北三陸と東京が個人の生きてきた歴史として一本に繋がらない。
2013年9月11日 - 13:09

3)北三陸に戻ったアキは海を目にし、潮の香りを嗅ぎ波や風の渡る音を聞く。
土地でなく人、を強調しつつも、北三陸ではちゃんと土地との繋がりを描くのに対し、東京編はほぼ建物の中だけで展開し、
土地との接点が省かれている、だが雄大な景色は望めずとも東京には東京にしかない誰かの
2013年9月11日 - 13:11

4)懐かしい風景がある、土地への愛着だってある、アキが北三陸で本来の自分になれたのなら、その曇りない目でもう一度
生まれ育った東京と向き合う過程があっても良かった、いやあって欲しかった、
春子のように、北三陸と東京と、どちらの過去の自分も肯定することは必要だったのでは。
2013年9月11日 - 13:12

9/13

昨日今日とアキユイを意図的に(太陽と月、の導入として)対比させていた印象。
昨日はアキのすぇんぷぁーい!!と声を限りに叫んで列車と張り合いチャリ漕ぐドアップや、
そのチャリを駅舎内ばかりか喫茶リアスにまで「乗り入れる」無頼鮨の反復インパクトが、小5キャラの真骨頂で。→
2013年9月13日 - 13:34

2)対して今日はユイが無神経スレスレの女子力低い(女の勘とは縁遠い)鈍感さに安住してみえるアキにいらつくのと
心配するのと両方から「甘く見ないで、いつでも女のスイッチ入るよ?」と挑発する基本メンタルが肉食系女子の面目躍如で。
二人の持ち味とスタンスと関係性の確認作業。
2013年9月13日 - 13:35

昨日のリアスでの恋の三角関係めぐるシークエンスも中々。
気持ちがユイに傾いてる種くん、それに気づいてニヤニヤ笑いで突っ込む吉田くんと気づかないふり決め込むユイ、
そして全く気づいてないアキ、の 各立場で異なる台詞の含む言外の思惑と、建前から本音がチラ見えるやりとりの妙。
#あまちゃん2013年9月13日 - 13:37

昨日の。恋の当事者なのに蚊帳の外に置かれあのままだと三枚目な役回りのアキをすかさず「感極まって北三陸メンツへの
分け隔てない愛着を吐露する」別ステージへ間髪入れずギアチェンさせて、ユイと面と向かって衝突させない、ヒロインの、
他に並びなき特別感を出してくる脚本の巧み。→
2013年9月13日 - 13:42

無理くりでも本気出さねばいつまで経っても被災地だぞ、それでいいのか。夏の一喝にさっと顔色を変え黙りこむ面々。
現地の人にとってそれがどれほどの屈辱か、控え目な言い様ながら「お構いねぐ」に込められたプライド、毅然とした魂を
垣間見る思い。#あまちゃん
2013年9月13日 - 13:54

なにせアキは成長云々とは無関係に「永遠の小5キャラ」だから(中二病の中二みたいな意味での小5ね)女の生臭さが希薄で、
ユイはアキと恋愛面でまともに張り合えないように最初から設定されてる(同性のライバルに抱く諸々の感情を封じられてる
ユイの分の悪さよ)、巧妙なのだそこは。
2013年9月13日 - 13:55

困難な状況に置かれた側がその他地域の人の「安心」のために今以上の頑張ってますアピールをメディアに強要されてしまう。
「励まし」により救われているのは案外励ます方かもしれず。
美談の裏にある酷薄さの正体への静かな抗議、精一杯の抵抗にも聞こえる「お構いねぐ」の優しさ強さ。#あまちゃん
2013年9月13日 - 14:09

9/14

潮騒のメモリーズでお馴染み、と自己紹介の枕に付けたアキのさりげに詰まってるユイへの配慮と愛情。
「心はいつも大好きなユイちゃんと共にあり」と宣言してるようでなんだかぐっときた。 #あまちゃん
2013年9月14日 - 8:34

これほどの甲斐さん堪能回がかつてあっただろうか。
なんとも素敵な白フクロウ爺のこれまた素晴らしきボケ連発の 離れ業(笑い通し!)を十二分に楽しませていただきました。
大満足。#あまちゃん
2013年9月14日 - 8:35

9/17

昨日の。北鉄車庫でのアキユイ場面はぶりっ子ユイの気味悪さwに真っ向から突っ込んでやらない(やれない)アキに
随分と気を揉んでたんだった。リアスの面々にアキがユイのこと愚痴った 「暖簾に腕押し」も「張り合いねえ!」も
ユイにとってはむしろアキの方だったはずで、→
2013年9月17日 - 11:59

2)ユイは駅での喧嘩を持ち出したり芸能界のゴシップ教えて(=ストレス発散させて)と頼んだり嫉妬は元気な証拠だねと
自嘲してみせたり(=元気ない自分アピール)とかなり露骨にサイン出してるのにことごとく拾ってやらない、やれない遠慮こそ
ぶち壊せばいいのに親友なんだからと、→
2013年9月17日 - 12:05

3)「ダサいくらい我慢しろよ!」と直球で応じたあの時みたいに、と昨日はもどかしかった。が本日なるほどと気づいたのは、
アキが直球で応じてしまうとアキに先導されてようやく動くというユイのこれまでの受け身の殻を破れない(踏襲してしまう)
から。大事なのは過程であって→
2013年9月17日 - 12:06

4)ユイ自ら発奮し自身のやる気に火をつけなければ本当の再スタートにならない、だから悔しさの原点であるGMT
クドカンは)ぶつけたんだなと。アキにはつい見栄張って格好つけてしまうユイだが、自分と何の接点もないGMTになら
心置きなく闘争心競争心を剥き出しにできるからw
2013年9月17日 - 12:08

5)ユイは他者に笑顔にしてもらう、じゃなくて自分の意志で選択で笑顔になった、してもらう受動と自らする(なる)能動では
結果は同じ「笑顔」でも真逆の精神状態だと。
ユイは東北の象徴で、他地域からの以前の笑顔が戻りますようとの願いに対し、本気出したら ユイは(東北は)→
2013年9月17日 - 12:09

6)もっと凄いんだ!とアキに威勢よく代弁させることで、誇り高く逞しい東北魂を焚きつけるクドカンの地元愛あふれる
仕掛けに、気持よく嵌った、ジンときた。
2013年9月17日 - 12:12

9/18

1)毎回寸止めでお茶濁してた土下座をついにやってみせたユイパパこと功に足立家の変化が端的に表現されていて感慨ひとしお。
鈴鹿さんも最大の弱みだった歌と逃げずに「格闘する」ことで自身の人生を肯定する戦いを始めた、かつての「鈴鹿ひろ美の歌声」
だった春子と二人三脚で。→
2013年9月18日 - 14:47

2)変わることで変わらない、むしろその人の本来に近づく、自分が自分のままでいられるための変化。
「変わらないアキ」のくだりと並立させて語ることで醸される深みと味わい。
2013年9月18日 - 14:49

3)一方で常に北三陸賛美の引き合いに出される「東京」はクドカンの中では相変わらず漠然としたステロタイプ
都会イメージのみの一枚看板なんだなと。
作劇の都合上にしろかつての足立家並みに固定観念に呪縛された不自由さが少々気になりはする。
2013年9月18日 - 14:50

9/19

再婚おめでとう」と愛しの春子に電話で伝えた大吉の、震災直後からの男を上げる言動ラッシュに目を見張る。
急に大吉フォローな台詞&シチュが詰め込まれた感は最終話までカウントダウンの巻き入ってるからか。#あまちゃん
2013年9月19日 - 13:12

若春子のマボロシがアキに見えたのは、春子の未練背負ったアキだから、にとどまらず、
三陸の復興も、潮騒のメモリーズ再結成も、あまカフェ再建も、そして鈴鹿さんのリサイタル挑戦も、
どれも「リベンジ」だからかもしれない。#あまちゃん
2013年9月19日 - 13:13

どんなに困難な現状でも諦めずに目指すあるべき姿にもう一度、いや何度でも近づけるよう、さらには超えられるよう努力する、
力を尽くすことの大切。そこに人の笑みの花は咲き、 生の充実を寿ぐ「祭り」は盛り上がるのだ。#あまちゃん
2013年9月19日 - 13:14

9/20

鈴鹿さんの負けず嫌いには考えられなーい!とか「泣き」入るのが特徴でw あのワガママっぷりはさすが女優というか、
ジャンケン敗けたのに吉田くんから有名人特権でうに弁回してもらい、してやったりと得意気に忠兵衛さんに微笑み返すあの顔が。
可愛らしいー。#あまちゃん
2013年9月20日 - 8:16

9/21

まとめ視聴中。リーダーこと入間しおりちゃんのキャラが純ちゃんに被って見えた今週。
おだてに弱く調子に乗りやすくサービス精神旺盛で、元気が取り柄の大らかさと周囲に過剰に気を使う(が大体空回りに終わる)
繊細さの二面性持ってると思うので二人とも。#あまちゃん #純と愛
2013年9月21日 - 10:53

鈴鹿さんの「天野さぁ〜ん!天野さぁ〜ん!あま・・っ!(うつ伏せで盛大にコケる)」の絶妙タイミングに噴いたw 
#あまちゃん
2013年9月21日 - 10:54

鈴鹿さんが特製野菜ジュース(鈴鹿スペシャル)を人に勧める時の「ほいっほいっ」の掛け声が普段から言い慣れた自然さで
聞こえるのは、演じてる薬師丸さん本人の口癖だからでは、と睨んでいる。#あまちゃん
2013年9月21日 - 10:55

9/23
無意識ながら他人のウケ狙いつい耳に心地いい美談に仕立てる時特有の安定した収まりの良さ=隙なく整い過ぎた胡散臭さ、を
直前でハシゴ外してなんちゃってと茶化す高度テクを続けざまに投入してきた本日の回は最高に痛快で、
花マルを無制限につけたいほど大のつくお気に入り回の一つに。#あまちゃん
2013年9月23日 - 10:39

9/24

列車に大吉からのプロポーズこっそり描いて安部ちゃんとの仲取り持ったアキが、安部ちゃんとの握手で咄嗟にそのペンキの
ついた手を引っ込めたのは、以前アキユイ看板の絵かき手伝った種市くんが、アキとの握手で自分の手のペンキ汚れに気づき
慌ててした動作と同じ純な心根も同じ、で胸熱。#あまちゃん
2013年9月24日 - 8:18

鈴鹿さんはどんだけ罪悪感背負ってんだか、長年抱えてきた自責の念からの開放にリサイタルは必要、自身の救いのために、
でもそれは同時に北三陸の人の願望であり喜びであり。
昨日の太巻の結婚披露を便乗させての寄付といい「他人のため=自分のため」を見事に描ききってくれて感無量。#あまちゃん
2013年9月24日 - 8:21

9/25

三代前からマーメイド、親譲りのマーメイドって。あんなに悩みに悩んだ挙句のこの歌詞だよ。優しいなあ鈴鹿さん、うう。
#あまちゃん
2013年9月25日 - 8:16

十回に一回くらい音程がまともになる鈴鹿さんの強みは「女優魂」、北三陸の海を眺めながら楽曲の世界観にどっぷり入り込む
あの過程が彼女に奇跡をもたらしたと(更に本番に強いのが大女優の力量!的なフォローも感じつつ)。
兎も角も薬師丸ひろ子本来の美声をフルで堪能できた贅沢よ。#あまちゃん
2013年9月25日 - 8:19

9/26

あり得ないはずの「奇跡」が起きると同じだけあり得ないスケールの「伝説」が生まれる。
どんな偶然も必然と思わせてしまう、計算の内と信じさせてしまう、
それは鈴鹿ひろ美の本物のスターオーラのなせる技じゃないかと。#あまちゃん
2013年9月26日 - 11:31

2)かつ枝さんによる歌詞替えは最初から考えられてたとの勘ぐりも、
鈴鹿の歌に対し聴衆が一様に漏らす「昔と変わらない」というニュアンスでの賛嘆も、
もちろん春子によるわざと音痴のフリしてた疑惑も、
裏返せばスター=夢の存在に寄せる人々の勝手な思い入れであり思い込みであり。
2013年9月26日 - 11:32

3)さらに。宇宙服着てTVの中からアキに手を振ってた鈴鹿さんを思い出し。
映像の世界なら逆回転も可能だとどこか楽しげにアキに話してたくだりを思い出し。
2013年9月26日 - 11:33

4)アキも鈴鹿さんもフィクションの住人だからこそ現実には不可能も可能にできる、可能だと錯覚させる力を持つ。
錯覚はマヤカシだが人を元気にする力は本物だ、
マヤカシを本物に変える存在、人を笑顔にし、同時に人々の応援によって自らも輝く存在、それがスターそれがアイドルだと。
2013年9月26日 - 11:36

歌詞を一部差し替えることで鈴鹿さんは「あなたの歌です」と春子に潮騒のメモリーを返したのか、とも思う。
ずっと陰ながら支えてくれた感謝をあの替えたフレーズに込めて。それが若春子が極上の笑顔を見せた理由なら胸一杯。
2013年9月26日 - 11:40

春子と荒巻による鈴鹿さん音痴は嘘で歌いたくなかっただけ説の衝撃度は認めどもどうも腑に落ちず。で、もいちど整理。
#あまちゃん
2013年9月26日 - 16:45

思うに。鈴鹿さんの裏メロに近い音程は偶然音とれた所謂十回に一回の方で、通常モードの「音痴」は太巻が自称絶対音感の水口
追い詰めた時のやつではないか。歌上手い人ほどあの外しはまず無理な相談で、裏メロverも音楽のプロたる作り手の苦肉の策かと
(音痴再現ムリっす涙目!的な)。#あまちゃん
2013年9月26日 - 16:48

訓練前の十回に一回」があの裏メロなら、その設定は鈴鹿さんの音痴が矯正できる可能性を事前に示していた、となり、
アキの鈴鹿さん評「普段はフツーのオバサンでも女優スイッチ入ると神掛かる」と合せ、
女優の才能で「訓練後の十回に一回」を本番で実現させた筋書きで一応辻褄は合う。#あまちゃん
2013年9月26日 - 16:49

さらに「訓練後の十回に一回の当たり」はリサイタル終了時まで継続できた(一度正確な音程とれると一定時間持続可能である)
とする追加設定を脳内補完しておくと完璧かもしれないw #あまちゃん
2013年9月26日 - 16:51

他に栗原ベビー泣かせた件にしろ梨明日でのカラオケ未遂(アキが寸前で阻止)にしろ、鈴鹿さん自ら積極的に
歌いたがったわけで、もし 「死霊の」歌声が音痴の演技ならそれを披露することであの場合どういうメリットがあったのか
意味不明、なのが引っかかりポイント。巧い脳内補完求む!#あまちゃん
2013年9月26日 - 16:57

9/27

朝から鈴鹿さんのこと考えてやりきれなく(どんだけ鈴鹿ファンだよ!)。
「音痴は演技」に引っかかるのは、それだと鈴鹿さんは計画遂行のためには赤子も平気で泣かしアキユイや春子の尽力も
陰で嗤うエゴイストとなり、積み重ねてきたキャラが崩壊するからです。大事な詰めでこの残念感。#あまちゃん
2013年9月27日 - 5:20

ご都合展開との批判の予防線に春子に音痴は演技説を語らせ真相を煙に巻いた脚本家の都合は理解するも、
春子の24年間抱えた鬱屈も鈴鹿さんが劇中見せてきた好感持てる人柄も全てひっくり返す爆弾落とすのは
さすがにやり過ぎ。人の心を弄びすぎ。視聴者も登場人物も。ここだけは抗議。#あまちゃん
2013年9月27日 - 5:23

堂々と胸張って観念して肚据えてベタやればいいんですよクドカンも。
それこそ「ダサいくらいなんだよ我慢しろよ!」と言いたいw 
2013年9月27日 - 5:37

@@@リプどうもです。確認してみると分かることなんですが鈴鹿さんの罪悪感は別に嘘ついてなくても本物の音痴でも
成立するんですよね。
そして本人が語ったわけでもないあくまで春子の推測にすぎない勘ぐりについては彼女の24年の無念と痛手からくる疑い深さも
考慮すべきで→

@@@2)額面通り受け取るには警戒が必要と思います。
さらに鈴鹿さんは「音痴の自覚なし」だから「音痴でもないのに(と彼女は信じてる)」歌いたくない自分のせいで春子が
犠牲に、という鈴鹿さん本人と周囲との認識のズレがあった、これらの要素を慎重に扱うのも大事だろうと。

@@@3)あと個人的には鈴鹿さんが対春子だけでない周囲の人まで巻き込んでそういったエゴを貫くような人とは思えない
(これまで提示されたキャラの性格等の情報から鑑みても)、というのもあります。


夏さんは「これからはおめえたちの時代」だと後続に未来を託したのち、今年限りで海女引退すると表明し、
春子もお座敷列車運行当日に、こちらも次世代に道を譲り東京の芸能事務所の仕事に戻り、いよいよ明日はアキユイが
この物語のフィナーレを飾るのか、と感慨深く。#あまちゃん
2013年9月27日 - 8:38

9/28

お座敷列車でアキユイ撮ってた水口が沿線沿いの人たちの応援に気づきそちらにカメラを向けるとか、
アキユイともにかつて夢を叫んだトンネルを二人手を取り合って駆け抜けるとか、
アキユイ→春子→鈴鹿(新撮!)の潮騒〜メドレーとかぐっとときたシーン目白押しな最終話。大団円に拍手。#あまちゃん
2013年9月28日 - 8:33

カーネーションに続く円環構造の見事。過去と現在がポジティブに繋がり未来を優しく希望へと送り出す。
かつて少女たちが「夢」を叫んだトンネルを堤防を軽やかに疾走するユイアキ。
今は「おしまい」でもスリリングな日常はまだ続く。 明日も明後日も来年も。#あまちゃん
2013年9月28日 - 8:34

いずれ「東京まで繋がる」線路。忠兵衛を起点についにはユイまで口にした「北三陸も東京も同じ日本」の控え目ながら
野太いテーマが顔を覗かせる。
分断から融合へ。
この国でさらにはこの地上で共に生きていく人と人とのお互いさまで繋がる関係を見つめる温かな眼差しがそこにある。
#あまちゃん
2013年9月28日 - 8:38

宮崎駿監督映画『風立ちぬ』関連ツイート(8/27-9/7)まとめ

※その1はこちら→風立ちぬ関連感想ツイート(7/24-8/4分)まとめ

8/27

録で『プロフェッショナル 仕事の流儀』の宮崎駿スペシャル。
最新作『風立ちぬ』を指し「時節を汚すようなメロドラマになった」と笑う。時節を汚すって。
その発想が、奥床しい羞恥と矜持が、何とも素敵で画面に見入ってしまう。あまちゃんアキ並みにかっけ〜と心中盛り上がる。
(続く)
2013年8月27日 - 15:46

妻にもトトロみたいなもん作ればいいのに」と言われたそうで。
「トトロみたいなもんって、トトロあるからいいじゃんね?」のコメに爆笑。最高。その通り、異議なし、もう大好き、などと
テンションさらに盛り上がる。
2013年8月27日 - 15:48

独断と偏見で選んだ(というか個人的に印象に残った)宮崎駿語録その1。
「俗受けしないことが分かってやるっていうようなことに傾く年齢なんだよ」
2013年8月27日 - 15:51

鈴木Pって宮崎駿の第一のファンなんだなあと思った。ファンだからこそ評価も厳しく辛口になる。わかる。
こんなもんじゃないよねもっと凄いはずだよねと勝手ながら期待してしまう気持ち。でも見事応えたんだな宮崎駿は。いいな。
そんな嬉しい体験してみたい。ぼそっと小声→「特撮でも」は禁句ですかね
2013年8月27日 - 15:55

これまでアニメは子供のためとの縛りを自身に厳格に課してきた宮崎駿の、当たり前の成熟した大人度にほっと息がつける、
安堵する。今回の風立ちぬ完成までの精神的葛藤とか苦悩とか、それらを乗り越えてでも作ろうという時代の危機感に急かされ
切迫した意思とかを、想像するだにぐっとくる、胸熱。
2013年8月27日 - 15:58

宮崎駿語録その2。「多少無理してでもやるべし!休んでしまった方が混乱だ、生産点を放棄しちゃいけないですよ」
2013年8月27日 - 15:59

ねぎらいの意を込めてだと思うがスタッフにパンを配って歩く駿(もはや呼び捨ての境地)に胸キュンやられるとか。
画面のこっち側で一人好き好き大好き祭り再び。
2013年8月27日 - 16:02

宮崎駿語録その3。「もっと物質的にも時間的にも窮迫した中に生きなきゃいけなくなるだろうと思うんです、その時に自分たちは
何を作るのか、少なくとも十分予想される時に、前と同じようにファンタジーを作って女の子がどうやって生きるかという風な
ことでは済まないだろうと思いました」
2013年8月27日 - 16:03

宮崎駿語録その4。「風立ちぬ、というのはですね、実は激しい時代の風が吹いている、吹き荒んでいる、その中で生きようと
しなければならないという意味です、それがこの時代の変化に対する自分たちの答えでなければならないと思います」
2013年8月27日 - 16:04

8/28

思い出し追記。宮崎駿風立ちぬ』の主題歌に起用されたことでユーミンひこうき雲』の歌詞が力強くポジティブに聞こえる
不思議。死から生へと楽曲の印象が180度変転する、以前のイメージがあるので自分の中では非常に劇的に、その驚きから
しばし打たれたように聞き入ったんだった繰り返し。
2013年8月28日 - 17:48

遥かな高い空を見据えて、他の一切に惑わされないと固く心に決めて、念じて、進む、進むだけ、風を切って猛然と、自らの道を
生きる、生きるのみ、その思い定めた意思のスピードを落とさぬよう。
2013年8月28日 - 17:50

8/29

宮崎駿風立ちぬ』が指し示す「美しさ」は飛行機云々のモノや事象じゃなくて、「人の生き方」に掛かるんだろう。
人生のあらゆる面倒や困難にもへこたれず一直線に突き抜けて自分を完全燃焼して生き切る、それは目の潰れるほど美しいのだ、と
いうことが全編通して描かれていると思った。
2013年8月29日 - 18:59

8/31

宮崎駿3万字インタ掲載のCUT読む。「主人公を戦争犯罪で断罪するお前は無実か、ではアニメーション作りをどう考えている」の
くだりにぐっと胸が詰まった。戦争に加担するのと同じくらいくだらない世の中にくだらなさを増やしている、子どもの生き物と
して育まれる時間を劣悪なコピーによって→
2013年8月31日 - 13:15

2)奪っている、浪費させている罪はどうなんだと。ずっと作り手から聞きたかった言葉を当然のように言ってくれる。
自らの背負った業(責任)と矛盾の痛みから逃げてない。そこに痺れる。
2013年8月31日 - 13:16

3)高橋源一郎による風立ちぬ読解には共感多々。ただ二郎には内面も葛藤もない、には同意できず。というのも渋谷陽一
指摘する二郎は宮崎駿(の分身)が真実なら、目立たぬながらも二郎を責めるようなシチュや演出や台詞が時々不意に表出するのは
宮崎自身の内面や葛藤の反映に他ならないはずだから。
2013年8月31日 - 13:20

4)だから宮崎駿はあくまで葛藤があるともないとも「言わない」と突っぱねる、戦後文学のアプローチからは「葛藤はない」で
正解でも、宮崎の心情はその思想とシンクロしてるわけじゃなく、言わないくせに劇中の手掛かり拾わないとボンクラ扱いで
罵倒する、でも未来を憂う愛ある嘆き節なのは明白。
2013年8月31日 - 14:10

5)若冲の表地でなく裏地に施した彩色が透けて見える技法のように宮崎駿の内面や葛藤は、二郎のポーカーフェイスの向こうに、
戦争をあからさまに語らない映画の背後に常にありそれが時々「呼ばれて」表出する、そういう二重構造が『風立ちぬ』を
分かり辛くもし傑作に仕立てた要因でもあると思う。
2013年8月31日 - 14:10

9/2

宮崎駿監督の引退ニュースに力抜けた。この人がいるから作り手側に期待や希望持てる、という数少ない希少なお一人が現場から
居なくなる、その衝撃の思いがけぬ大きさに我ながらたじろぐ。今後も作り手に向けて発言する意義はまだ何かあるんだろうか、
の自問自答がいまだ延々脳裏めぐり中。
2013年9月2日 - 8:36

9/3

引退の件を引きずった勢いで(滅多にしないのに珍しく)再視聴したプロフェッショナル宮崎駿SPとswitchの宮崎×半藤対談。
2013年9月3日 - 19:42

「呪われた仕事だって分かった上でやってないと話にならない、つまらない」とか「ひとつだけ良い、これが正しいって答えが
あるはずだ、それを嗅ぎつけるしかない」とか、まるで真理を究める求道者のような宮崎駿の言葉群。
2013年9月3日 - 19:44

本日あまちゃんでの大吉さんの「走るかどうかじゃない走らせにゃならん北鉄を!」な台詞は、生産点を止めるな!の
宮崎駿語録と同種の意地の通し方で、動かすは生かす、だと直感で理解する生き物としての的確な判断能力は、形而上の遊戯に
振り回されてない証拠でもある。
2013年9月3日 - 19:45

飛行機に美を求める『風立ちぬ』の二郎と、その二郎の生き方に美を見出す宮崎駿がいて、さらに二郎は宮崎の父親の投影でも
あるという構図。
2013年9月3日 - 19:48

だからCUTの風立ちぬ3万字インタビューの最後に宮崎駿がいった「自分のことを描いたんじゃない、僕の堀越二郎
取り戻したんです」の取り戻した、は本映画を通じて父を再発見し、また自らとの接点を見出した息子の喜び、とも思えたり。
2013年9月3日 - 19:52

switchの対談でも、父親に関するトンデモな思い出話を苦笑交じりながらどこか自慢気で競うように開陳しあう半藤さんと
宮崎さんが面白い。親父と息子の絆の強さに驚くやら感心するやら。
2013年9月3日 - 19:57

世の中が不安な時は楽天的になって皆んなが楽天的な時は不安になる(宮崎駿)、は決して現実逃避ではなく大勢に流されない
ために必要なバランス感覚だと思った。
2013年9月3日 - 19:58

9/7

宮崎駿引退記者会見の全文を今読んだところ。
ラストシーンの菜穂子の台詞を変えてすっきりした(わかりやすくなった)との一件だけでも貴重な情報でした。
神曲で煉獄でしたか、でここに至ってまだ飛行機の未練断ち切りがたい二郎に菜穂子が「もう迷うな」と。
なるほどそれもアリですねいいですねえ。
2013年9月7日 - 15:39

質疑応答で宮崎監督お気に入りのロバート・ウェストールの名が挙がり、未だ『かかし』以外手を付けてない情けない現状に
思い至る。いつかは児童文学にきちんと向き合いたいと思いつつ果たせてないジレンマ。
2013年9月7日 - 15:47

昨夜の紅の豚。パシリムでロボ成分もっと!と願った通りのほぼ全編あらゆる角度から飛行機を大盤振る舞いで見せてくれるのと、
抑制された恋愛仕立てが宜しいのです、風立ちぬだけじゃない(その他にもハウルとか)恋愛は宮崎駿の描きたいテーマの一つ
だったと思う、ロマンチスト宮崎駿の面目躍如。
2013年9月7日 - 18:04

某番組での一幕。髪の毛は感情の高まりに呼応して動くんです、僅かでもそれをちゃんと描かなきゃいけない、と
若手アニメーターの挙げてきた画に真剣に集中して直し入れてる姿が印象的だった宮崎駿監督。人の精神性を重視し願わくばと
期待する心情あればこそ。いでよ見事応える才能よ。
2013年9月7日 - 18:17



あまちゃん(8/13-8/30)ツイートまとめ

8/13

先々週の末以来か、随分とブランク空いて書きにくいこと甚だしい #あまちゃん 感想、さすがに細かな言及はできないが
一応トライしてみる。思い出し思い出し。なので筋の順不同はご容赦。
2013年8月13日 - 19:10

ユイはストレートに挫折経験し強くなったわけではない、挫折→自暴自棄のルートは辛うじて春子他地元の大人たちが防いだが、
それでも所詮は脳ミソが優等生、視野狭窄の一本道外すと即アウトな強迫観念から自由になるまで時間を要した(海女になる宣言
経由で北鉄アイドルに復帰)、きっかけは水口の→
2013年8月13日 - 19:15

2)「俺は君をアイドルにする事を諦めてない」の言葉で、そこでようやく自分はまだ終わってなかったと気付くユイの硬直した
優等生思考は、まんま母よしえの帰りたくとも帰れない(帰っちゃいけない)の自縄自縛の思い込みをなぞっているの図、
似た者母娘特有の面倒くささの一端顕わに。 #あまちゃん
2013年8月13日 - 19:19

3)そしてこの優等生タイプにありがちな思考の自縄自縛は本日エピでの、 鈴鹿本人が気にするほどには相手も周囲も彼女の
過去の失態を覚えてないオチにも変奏されている。#あまちゃん
2013年8月13日 - 19:20

GMT新規加入の子を除く元メンツ5人のみが太巻から嫌悪も露わにネチネチしごかれてる実態を知らないアキは、自分もあのまま
残留すればアイドルになれたはずとご都合妄想を逞しくするが、水口ですらその甚だしき思い違い(アキの処分に不服な 水口が
「アキなしでは成功しない」宣言しなかったら→
2013年8月13日 - 19:22

→そも太巻はGMTを売る気などさらさらなかった)を指摘しない苛立ち少なからずあった覚えが。
2013年8月13日 - 19:23

6)アキと種市くんがまさかの両思いとなり付き合う展開の唐突感になんとなし震災に関わる不吉な影がよぎらなくもなく。
(最後にアキの傍に残ったのはヒロシ、な可能性も未だ捨てきれず、←種くん無事ならそれも良しだが彼の存在意義が
どう扱われるか次第) #あまちゃん
2013年8月13日 - 19:26

前にも書いたが春子の暴走をたしなめる時の正宗の「春子さん」と釘を刺すタイミングや声のトーンには
長年連れ添ったパートナーへの深い愛情愛着がこもっていて耳にするたびほんのりと微笑ましい。
2013年8月13日 - 19:27

8/15

ずっと分からなかった、何故ああまでユイが母の失踪にダメージ受けるのか。
小学生ならまだしも、じき成人迎える年齢であの強烈な母依存は春子アキの母娘を遥かに凌ぐ深刻度だと感じてきた。
以前の「(自分を)捨てた」発言からしてツッコミ必至の危なさ。いくつなんだ君はと。(続く
2013年8月15日 - 8:45

2)だがそれを本日ユイの「(自分は)所詮子供なんだなーと思った」発言でクドカンは想定内だと示してきたので少し安心も。
実は昨夜就寝前に突然はたとユイは元々「母のために」が動機の根幹にあってアイドル目指してた事に思い至り。→
2013年8月15日 - 8:46

3)ユイにとって母の愛情>アイドルの夢、だから母との信頼面でつまづくとアイドルの夢も追えなくなる、それほどの痛ましい
母依存。あの歳にしては幼く脆い内面は、北三陸以前の春子が評したアキの地味で暗くて云々に相当する、母からの呪縛が相当
効いてるからだと思う。→
2013年8月15日 - 8:50

4)アキとユイは母の影響下で息を潜め密かに葛藤し続けた同志、だから特別に惹かれ合う。
そしてユイはもう無理だよと言いながらも内心では迷ってるし水口の言葉が支えとなり北鉄アイドルに復帰した事実は
覆しようがない。家出に象徴される常にアキがユイの手を引っ張る関係性にも注目。
2013年8月15日 - 8:57

5)しかしほんとユイはヒロシの間の悪さに匹敵する立ち上がりの遅さが未来を切り開く上での足枷になってるというか。
ユイがアキをかっけーと言いたくなるのも無理ない。それ一番この子に欠けてる部分だから。
2013年8月15日 - 8:58

春子&夏エピ以来、繰り返される母娘ラインのメッセージは「本音でぶつかるみっともなさを恐れるな」だろう。
よしえもユイも春子をなぞっている。あの年甲斐もなくみっともなさ晒した春子を二人は見事に踏襲した。
世間の批判覚悟で弱さ晒すは捨て身の覚悟なくして出来ることじゃない。
2013年8月15日 - 9:03

ユイは殻にこもって黙っていると、外見上は整った容姿と表情の乏しさとで大人びて見えていただけで、アキと親しくなるにつれ
内面を喋るようになる、それが本音の場合「叫ぶ」になるのは勢いに頼らないと言い辛いから。
ユイが徐々にでも自らの幼さを露呈できたのは外に開いた画期的な変化。#あまちゃん
2013年8月15日 - 10:49

過日アキに「ユイのためじゃなく自分のためにアイドルの夢を頑張んなよ」と伝えたその言葉をそっくりユイに伝えたい。
母のためじゃなく自分のために夢追ったらいいよ。アイドルになる、は今ではもう100パーよしえのためではなく、ユイ自身の
夢でもあるはずだから。#あまちゃん
2013年8月15日 - 10:53

夏と春子、春子とアキ、よしえとユイ、三組とももれなく母娘のねじれが描かれている。
ドラマWOMANもだが(坂元脚本の 「母」から「母娘」へ更なる核心突いてくる鋭い嗅覚)腫れ物扱い必至の問題に真正面から
取り組む脚本家の挑戦は最終的に視聴者にどんな景色を見せてくれるか。
2013年8月15日 - 10:58

先のに補足すると。よしえが本音でぶつかる必要あるのは「自ら(足立家)の家族に対して」であって、そこにリアスという
舞台と観客、もっと言うと陪審員役の北三陸の面々を配した(のは吉田だが)のはあくまで余分、ただ夏がそこを了解し、
あえてよしえ連れて踏み込んだのは、→
2013年8月15日 - 13:59

2)どちらにしろあそこで逃げず受け入れられるか否かの賭けに出るしか道はないから、だと思う。
あの場面は先手読むリトマス試験紙のようなもの、よしえがまな板の上の鯉の覚悟で臨む試練は不可欠で、駄目なら駄目で
それこそ春子曰くの「残念でした!」のギリギリの過酷さは漂っていたし
2013年8月15日 - 14:01

3)結果云々よりむしろその緊迫感が演出できればあれはあれでOKだったんだろうと理解してる。
2013年8月15日 - 14:03

8/17

あれ俺いくつだ、65?どうなってんの!」甲斐さーんその美味しい台詞謹んで頂きましたー。
←日に日に渋カワな甲斐さん贔屓に傾く自覚あり #あまちゃん
2013年8月17日 - 8:26

リアスの野郎共によるユイちゃんけしかけ包囲網の結託度合いにニヤリ。分かってボケる無神経やる高度テクに無駄に年食ってない
したたかさ垣間見え。照れ隠しとマジで馬鹿の曖昧さが多分彼らの「くだらねー」(褒めてる)美学か
(そして買い被りと笑い飛ばす余地残すもまた美学)#あまちゃん
2013年8月17日 - 8:33

先日母と娘の共通項で #あまちゃん と #Woman を語ったが、前者にない後者の特徴に母と息子、父と娘、のバージョン違いにも
触れてる点は見逃せない。信がネグレクト母に寄せる思い、示す態度の甘さは、かつて子供だった小春が事情を知らぬとはいえ
母よりDV父の側についた甘さと同質で、→
2013年8月17日 - 13:25

2)子は親という元々の優位にさらに異性のわかりづらさが加わることで、その絶対性が強化されてしまう情のカラクリを
坂元脚本が抜かりなく指摘している安定感は何気に凄い。 #あまちゃん #Woman
2013年8月17日 - 13:27

3)一方 #あまちゃん では母娘関係でも #Woman ほどの親子バリエーション補完は追求してないし、アイドルに関しても
女子に対し男子成分がほぼ皆無という具合に、作り手のおそらく作為的な欠落があるわけだが、少なくともその偏りに視聴者が
自覚的であるのは無駄ではないように思う。
2013年8月17日 - 13:28

補足。ここで言及したアイドルとは商業アイドルのことです(と誤解なきよう一応書いておきます)。
2013年8月17日 - 21:52

8/19

会場入り直前、不意に怖いと呟く娘に「やめるか?アキ」先回りして助け舟を出す正宗の気遣い。
思えばこの父は娘に厳しく接しがちな母春子とのバランスを取るためにも、殊更アキに甘く優しく安心を与えるよう心がけてきた
フシがある。地味ながら光るナイスフォローに父の有り難みが凝縮。#あまちゃん
2013年8月19日 - 18:30

春子のここにきて母を知らなすぎる事に気づいた親不孝の嘆きを隣でじっと聞き入るユイや、オーディションで尊敬する人と
その名を挙げ緊張と興奮から鈴鹿語りを始めるアキへの鈴鹿本人の反応をチラ見して、にっと笑顔になる入間ちゃんを
すかさず捉えたショットGJ。いい仕事してます。#あまちゃん
2013年8月19日 - 18:40

『いつでも夢を』を夏が手術中の待合室にて口々に声を合わせて歌い始める面々。こんなに皆んな愛してますよ夏さん、だから
元気になれ、の祈りの歌声を、朗らかに笑顔で、どこまでも笑顔で。#あまちゃん
2013年8月19日 - 18:43

8/20

恐れ知らずの鋭い直感でアキの恋愛の核心に迫るGMTの三人と、アキの自分への変わらぬ思い聞き嬉しさ余って「雄」と化す
種先輩と、 どちらも結果的に「ぐいぐい」アキを押しまくるの図、の反復の面白さ。#あまちゃん
2013年8月20日 - 17:55

かてて加えて。嫉妬に狂う水口が種先輩をネチネチ責める場面での一般男性→ルパン三世の駄洒落を言うくだりで、 水口役の
松田龍平が一瞬ふっと素に戻って吹き出してるのが本日最大のツボだった
(龍平が笑った!龍平が笑った!的なちょっとした一人祭り状態に)。 #あまちゃん
2013年8月20日 - 17:57

8/21

やっぱり。反応が寡黙な頑固親父のそれなんだ夏さん。若春子が敬遠一辺倒だったのもまるで父のような母、の特殊性もあるかも。
母にちょっかい出して関わることを楽しんでる風な春子の子供っぽさは、一気に25年のブランクを取り戻そうとするかのようで。
#あまちゃん
2013年8月21日 - 8:28

梨明日カウンター内でのユイとよしえの柔らかで自然な母娘のやり取りの眼福至福。
ああこんな幸せな光景がまさか本日見れるとは思わず。シーンの間中ぼーっと緩みきった微笑み浮かべて見つめてた気がする。
#あまちゃん
2013年8月21日 - 8:29

「一人で帰れる?」「ハイ!」のやりとり時点で、うわちょろいわ水口〜とアキの心情に沿ってニヤニヤしてしまうなど。
#あまちゃん
2013年8月21日 - 8:35

アキに若春子を幻視する太巻はそろそろ年貢の納め時ってことか。
今まで無理と退けてきた未知の領域に勇気出して飛び込んでみたら、意外とすんなり上手くいくものを。
あとはいつ思い切るか、そのタイミング。#あまちゃん
2013年8月21日 - 8:36

8/24

本日一週間まとめ視聴しての感想少し>あまちゃん
2013年8月24日 - 20:04

アキの台詞(母ちゃん親孝行できなくて御免なさい)やコメント(存在感がない)の背後に影武者の顛末を知る鈴鹿が春子を
強烈に意識した、と仮定すると、アキ推しには太巻ならずとも春子アキ母娘への罪滅ぼしの気持ちが働いたわけで、実力より
人情優先の選考基準という中々に興味深い結論に至る。
2013年8月24日 - 20:08

鈴鹿の後について台詞を言うアキの「母ちゃん」の声が、若春子の声に加工されていたのに再見して気づいた。
2013年8月24日 - 20:08

太巻が挙げた伊豆の踊子山口百恵野菊の墓松田聖子同様、劇中映画潮騒のメモリーのアキもデコ出しが印象的な
ヘアスタイルから察するに、アイドルデビュー映画はデコ命!の法則でもあるのかもしれない(適当に言ってみた)。
2013年8月24日 - 20:09

春子が夏を知ろうとしなかったのはそれほど母への苦手意識が根強かったから。弱みを見せない理解の取っ掛かりが掴めない
「遠い」人だったから。夏が好んで歌う『いつでも夢を』が大嫌いだった、歌は母の象徴だから。
もし橋幸夫に憧れたエピを聞いていれば。そしてそれを娘に語らなかった夏の判断。
2013年8月24日 - 20:12

だから以前も書いたが春子だけでなく夏もかなり「面倒くさい」部分を持ち合わせているし、似たもの母娘だからこそ
ややこしくこじれる、とも言える。
2013年8月24日 - 20:13

国民投票とはぜんぜん違う!とオーディションの印象で意見が一致するアキと小野寺ちゃん。ファン人気一択でなしに
当人の能力実力努力の類がある程度結果に反映されるルールの「やり甲斐」は選ばれる側に魅力的に映って当然だろう。
人は受け身でなく能動的に動いてこそ真価も発揮でき活き活きと輝ける。
2013年8月24日 - 20:17

リセットしてゼロからスタート、が可能なのが芝居であり映画だとアキに教える鈴鹿のくだりに、なるほど「逆回転」のオチを
ここで綺麗につけたかとニヤリとしたのと、リセット不可な現実の厳しさとの対比で最後にフィクションの優しさ軽やかさを
ふわりと置いてくれたことへの密かな感謝と。
2013年8月24日 - 20:18

8/26

オーディション一次でのアキの「母ちゃん親孝行できなくて御免なさい!」には春子の夏への思いも上乗せされ二人分でパワーも
二倍、だったから鈴鹿の心に響いた。なのであの台詞にアキとして命を吹き込むには、祖母の夏以上に母である春子に対する
何がしかの感情の高まりが必要な気がする。#あまちゃん
2013年8月26日 - 9:03

母娘に比べ男女の繋がりの自由度高い描き分けの面白味。
夫婦にしろ夏忠兵衛や、実質夫婦な春子正宗や鈴鹿荒巻の型に嵌まらない関係性あり、美鈴や栗原ちゃんの自由な異性遍歴など
踏まえるに、アキと先輩も唯一絶対の相手でもなくこの先も安定した関係が続くとは限らない、と読んでみる。#あまちゃん
2013年8月26日 - 9:07

一昨日書き落としていたので→)映画潮騒のメモリーリメイクでの鈴鹿とアキのダブル主演という触れ込みだが、考えてみれば
影武者の春子と主演の鈴鹿による映画第一作目も、ある意味ダブル主演だったわけで、ここにも因縁は巡るのだなという感慨。
#あまちゃん
2013年8月26日 - 9:09

8/29

夏ばっぱを模倣した鈴鹿のアドリブ演技がアキの本気を引き出したとか、春子母として形無しだなと。
過日春子の鈴鹿意識した「東京戻るとママが二人になる」に「それ子供が二人になるの間違いじゃ」と内心突っ込んだが、
夏母さんと二人の娘のダブルヒロイン制がここまで徹底されるとは苦笑。#あまちゃん
2013年8月29日 - 8:31

でもって後からアキに春子への感謝を(くだんの台詞、母ちゃん親孝行できなくて御免なさい、を)ちらっと語らせるクドカン
卒のなさにもついニヤニヤと(やっぱこれ言わせとかないとマズいよね的な脚本の思惑、計算、苦悩が偲ばれそんなカワイー
クドーさんに好感)#あまちゃん
2013年8月29日 - 8:32

8/30

あの歌は一回きりしか歌わないと念押す春子も、あの演技は一度きりしか出来ないとリテイク断る鈴鹿も、それを了解した太巻も、
リセット不可な現実を噛みしめた上での和解劇。そこに流れるアキの25年分の大人達の心の澱を爽やかに洗い流す歌声と、
急に凛々しく大人びた珠玉の微笑み。#あまちゃん
2013年8月30日 - 15:08

あまちゃん(7/22-8/3)つぶやきまとめ


7/22

ヒロシ→アキの「ファン第一号」がここで(若正宗→若春子)で効いてくるとは。復縁!期待してもいいのか。
そしてヒロシの今まで報われなかったアキへの思いもいずれ成就しそうな予感も(何故ウル目に)。#あまちゃん
posted at 08:37:41

影武者でも届く人には届いてる。その届いてる側の一人としてよくぞ言ってくれたその通りだとウル目その2で
盛り上がるしかない。
そうだよ世の中的には陰のお仕事でも受け取る側には誰より光輝いてる「アイドル」なんだよ。ああ感無量。#あまちゃん
posted at 08:38:45

ヒビキには正宗やヒロシみたく「君だけ」の素朴な切実さがない分(仕事絡みもあり)どうしても矢印のチカラは弱くなりますね、
二人とは本気度が違うというか。 RT@@@:今も昔もTOは特別ですね。ヒビキ一郎→ユイはなさそうだけど…。 #あまちゃん
posted at 09:06:10

7/23

女子トーク特有の会話してるようででも全然噛み合ってなくてそれでもなんとなく会話が成立してるっぽい不思議空間な雰囲気が
端的に描写されててクドカン&スタッフの確かな観察力に唸る!#あまちゃん
posted at 08:22:43

猫に育てられた犬(この投げやりにつけました感濃厚なタイトルよ)の映画ポスター、猫と犬の役者然とした顔つきに
笑い止まらず。とりわけわんこのキリッと前を見据えた精悍な真面目顔がツボ。#あまちゃん
posted at 08:24:35

「ドラマの母親は肝っ玉か良妻賢母で病弱の2パターンしかない」とのたまう鈴鹿さん
それ宮崎駿アニメ批判にしか聞こえませんから!(思わぬ直球でまだ笑い引きずり中)。#あまちゃん
posted at 08:30:2

例のアキの影武者を落ち武者と言い間違えたのを海女クラブの面々は気づかず唯一指摘したのが組合長だったのもその好例かと
(基本そんなに隅々まで内容細かくは聞いてないという) RT@@@: あの空間…女子特有の?(^^ゞは凄い♪♪(笑) 
#あまちゃん
posted at 09:01:07

7/24

足立兄妹は母の失踪を契機に地元に馴染み出すのと比例して訛り出すのだな。よしえの不憫。早くその自縄自縛が解ける日が
来ますよう。
夫の功にも二人の子供にも気負わず素の自分を見せて開き直る勇気を手に入れる=自分を許して開放する、よしえの姿が見たい。
どうしてるか気がかりなので。#あまちゃん
posted at 08:22:12

「故郷(くに)から若い衆が出てきてんのに」ってw 口癖の「ちゃんちゃらおかしい」に続く時代がかった言い回し第二弾を
披露してくれた鈴鹿さんの、ここんとこのキャラ立ち具合に凄みすら感じる。#あまちゃん
posted at 08:25:28

回を重ねるごとにヒロシと正宗のウザさ具合が重なって見えてくるという。似たもの同士、なんだねきっとね(ほんのり笑)。
#あまちゃん
posted at 08:28:02

7/25

訳知り顔な大人の便利な常套句「結局は運だよね運」と、根拠ゼロだが北三陸での実績が強みなアキの
「やってみなきゃわかんねえべ!」のガチンコ対決の行方やいかに。#あまちゃん
posted at 12:59:18

アキの「おいおい、よせやい」の昔の日活アクション映画みたいな言い回しは付き人やってる鈴鹿ひろ美の感染力絶大を
物語るのか。よせやい。#あまちゃん
posted at 13:00:55

別れの握手と差し出されたアキの手をさも嬉しそうに両手でしかと包み込むヒロシ。
真剣に恋してる男の一途が伝わってきてまたもウル目。#あまちゃん
posted at 13:01:47

しっかし通行人の絶えない往来のど真ん中で、離れた場所にいるヒロシに「(失踪した)お母さんは男の人と一緒だった」と叫ぶ
アキの無神経をどうしたもんかねとほほん。#あまちゃん
posted at 13:03:32

7/26

「ママとは無関係」の子供の理屈が太巻に通用するわけもなく。太巻きの「潰す」は「俺の配下にいる限り」であって
「芸能界にいる限り」までは言ってない。なら別事務所行くか作るかして一からやる。やってみなきゃわからない!の啖呵が
泣くよアキ。先輩にした説教も忘れんな。踏ん張れ。#あまちゃん
posted at 08:15:30

でもアキは上野行きの列車に乗った時に、一緒に行けないユイの夢をも背負ったように、かつての春子の夢をもいずれ
背負うんだろう、そしてそう決めた時にアキの持つパワーは全開になる気がする。#あまちゃん
posted at 08:17:10

7/27

昨日の補足。#あまちゃん 1)アイドルとは他者の夢や憧れの象徴として誰かの思いを「背負ってる」存在だと思うし、
その他者の思いを重荷にせず逆に力に変えていく、取り込んでいく、さらに輝きを増すからアイドルなんだとも思っていて。
だからアキがどんな形であれアイドルであり続けるなら→
posted at 09:29:12

2)それは春子やユイの過去の夢を背負う存在である自分を引き受けることに他ならないはずで。ただし今の流れだと春子の
思いが強烈すぎてアキは重荷に感じそう。感じた瞬間もう彼女はアイドルではなくなるだろう。そこにあるのは母娘の共依存だけ。
そんな展開にならない事を願うのみ。
posted at 09:32:04

311以降、世の多くの人々が以前より「自分のため」が気負わず無理なく「人のため」ともなりえるベストバランスを真剣に
模索するようになった印象があって #あまちゃん も震災を描く以上アイドルという切り口でその課題に果敢に切り込んでくれる
だろう期待と願望が綯い交ぜにある自分の中で。
posted at 14:19:45

7/31

春子に間接的に繋がる大吉にまで気を回し黙って寿司代払う鈴鹿ひろ美に、さすがにもしやと疑念抱いた本日。
鈴鹿は影武者の存在に気づいていた、と仮定して月曜放映分から見直すと、鈴鹿の一々のリアクションが腑に落ちるのは驚くほど。
録画済み(まだ保存あり)の方は是非ご確認あれ。#あまちゃん
posted at 16:49:06

とりわけ春子のあなたに感謝してる云々の失言を受け、素っ頓狂な声で鸚鵡返しして以降の鈴鹿に注目。
アキのパニくりを窘める時の慌てぶり、そこから何の話だったかとトボける間合いと表情、だいたい声が似てる似てると春子への
しつこい絡み方も酔っていたとはいえ少々異様ではあった。#あまちゃん
posted at 16:54:31

ふらつく足元で帰る鈴鹿の背にかぶせるように太巻が「漫画みたいな酔っぱらい方」とダメ押ししたのも、あるいは
「まさかあなた知ってるのでは」の牽制球だったかもしれず。#あまちゃん
posted at 16:56:40

本日のアー写シーンのBGMが露骨にツイスト&シャウトだった件。#あまちゃん
posted at 16:57:16 

春子が大吉の突然の上京に「だったら何で来たのよ!」と面と向かってぶちきれるのに「春子さん」とあくまで柔らかく窘める
正宗の言い方が地味にツボ。この二人、水と油のようで案外互いに無い部分を補い合ういい関係なんだよな。
最高の「お友達カップル」には間違いなくなれる相性かと。#あまちゃん
posted at 17:01:17

8/1

そうか、アキはユイと、種市くんはいっそん先生と、第三者の介入を許さないほどに仲睦まじくラブラブなんですね
(という納得)。#あまちゃん
posted at 21:22:31

8/2

ここ最近の暴走気味な春子に心配半分で展開の行方を眺めていたが、俄然この先が楽しみに。
おらここに来る前からママの娘だとにっこり笑顔で言い切り、水口に仲間のデビューをくれぐれも宜しくと土下座するアキの
頼もしさ。予想通り母の夢を背負うと決めたアキの勇気を春子共々応援したい。#あまちゃん
posted at 08:40:22

購入した『潮騒のメモリー』を居間で延々流す家人に苦言を呈したがその気持ち分からぬでもない。
最初リピート率の異様な高さは曲の良さに特化したものと思ったが次第に歌い手たる小泉今日子のアイドル性も大きいと気づいた。
春子の語ったアイドル論はまんま自身への言及ともなる二重性。#あまちゃん
posted at 21:08:53

8/3

要するに結論としては、朝ドラヒロインは皆アイドルである、ということで宜しいか(もはやイコールで結ばないのが不自然と)。
#あまちゃん
posted at 15:29:40

「大事なことを忘れていた」のは注意したアキでも八つ当たりした正宗でもなく「とりあえず家事」に逃げていた春子自身だった、
彼女が空回りしてるうち二人は夫々のペースでやり方で彼女のフォローに動いていた、という家族の良さ再発見のオチ。
春子の照れ隠しのふくれっ面がなかなか。#あまちゃん
posted at 15:34:41

映画『風立ちぬ/宮崎駿監督』関連ツイートまとめ(7/24-8/4)

7/24

宮崎駿監督『風立ちぬ』評 http://togetter.com/li/536895 をうっかり読み。先走りながら思ったこと。
1)劇中キャラクターひいては宮崎駿自身の何としてでも「綺麗」に固執したがる、またせざるを得ない今を含めた時代状況の
切迫感なのかと。どのみち五十歩百歩の個々のエゴに対し
posted at 10:32:32

2)どう数の力にまかせた「正当性」を付与するかの序列争いの醜さに日々心蝕まれる者が生きる糧として綺麗=「美」に
すがりつく。美はしがらみ前提の相対評価をはねつけ自らの発光で輝くから。それは生きるための心強い武器ともなる。
美しい生の裏に必ずある信念に準ずるやせ我慢。
posted at 10:34:28

3)戦争の悲惨を覆い隠す偽装に唯一抵抗できるむき出しの美の力、純な憧れ(飛行機)が不純な戦争に加担する皮肉すら
包摂しながら、それでも抵抗の象徴としての「美」なのかと。尋常ならざる覚悟なくして本物の美は語れない。
おそらく傑作の呼び声は本当なのだろう。(今週末にでも観に行きます)
posted at 10:37:33 

他人には滑稽な矛盾と安易に揶揄されかねない壮絶なねじれ、でもね想定よりもっと「ねじれてる」んだよだから凄いんだし
許せも共感もする(多分ね)巨匠と敬われる立場の幻想を自ら打ち砕き一人の人間としての等身大をあえてさらす、それだけでも
必見じゃないかと思った。>宮崎駿監督『風立ちぬ
posted at 10:48:25

7/28

宮崎駿風立ちぬ』観た。想像以上だった。圧倒された。肚据わってるし覚悟決めてるし。凄い凄いと痺れたように見入った。
人目ある映画館で後から後から涙こぼれる厄介。体の奥底から明日を生きる元気がじわり呼び覚まされる不思議な力強さに
満ちている。なんだこれは。兎に角凄い!の一言。
posted at 16:16:38

1)子供時分からこれぞ天職と疑わず「最高の飛行機作り」の夢と野心に命がけで取り組んだ人の清冽果敢な「生」の眩しさ。
誰に対しても弁解や言い訳を一切口にせず(とはいえ鋭い社会情勢批判が何食わぬ顔でぼそっと一言飛び出すのも度々で、
その穏やかな佇まいと
posted at 16:20:29

2)淡々とした調子で気づかれ難いが結構辛辣にばっさりやっている、
二郎を形成するメンタリティは使い古された杜撰な記号化で事足りるほど単純ではない)生命をただただ完全燃焼すべく、
黙々と自らの生まれてきた意義を、この世で与えられた仕事(使命)を、誠実に一心に全力で果たそうと努める。
posted at 16:25:31

3)あからさまな批判役に回るのが常に周囲の人々なのも宮崎駿の矜持か。人生賭して追い求めてきた夢の成れの果てが
戦闘機というさもしい時代状況で、それでも技術屋の本分を殺さず「生かす」には、心がどれほど血を流そうと傷つこうと、
忌むべきこの場所から降りずにやっていく、生きていく。
posted at 16:27:34

4)点々と野に散らばる飛行機の残骸の山は、信念と現実の矛盾の狭間でズタズタに切り裂かれた二郎の心の象徴に見えた。
posted at 16:33:19

5)菜穂子と紙飛行機のやり取りするシーンが(カストルプの第三者目線含めて)お気に入りで、そこからの「ただ一度だけ」
(会議は踊る!懐かしい)への繋ぎにぐっときた。刹那の生を十全に生きようとする人の切実と誠実に打たれる。
posted at 16:37:12

6)劇中で「音」の果たす役割の大きさにも注目で、関東大震災時の呻くような地鳴り、轟々と吹き渡る風の唸り、
その風に煽られ勢いよく閉まるドアの無情な断絶感、などに二郎の喉元に常にその切っ先を突きつけるダークな現実の片鱗が
顔をのぞかせる。
posted at 16:40:48

7)常に穏やかなその表情の下で二郎は絶えず戦っている。踏みとどまっている。
強い力に押し流されないよう自分を保っている(その見えない壮絶さ)。
10年懸命に走り続けた。だからボロボロ。それでも「生きねば」と前を向く。生命を悔いなく使い切るため。
posted at 16:48:05

8)『八重の桜』について戦争反対の表層的論調に内心抱き続けてきた忸怩たる思いがそっくり『風立ちぬ』のテーマに。
戦争の是非論だけで判断できない人やものや思想の価値を認めない=多面的見方を否定する窮屈な独善が世にじわじわ蔓延する中で
この映画が作られたことの意義は小さくないと思う。
posted at 17:08:21

7/29

もちろん「戦争は絶対悪」は揺るがないが、そこから零れ落ちる沢山の思いに寄り添い悲しみ辛さを慮り、
それでも(血を流しボロボロになりながら)「悪は悪だ」と言い切る勇気を持ちたい。
他者の痛みを引き受けずして正論を吐く資格なし、を肝に銘じて。
posted at 14:54:11

7/30

未だ余韻冷めやらずな宮崎駿風立ちぬ。賛否分かれるのはこの内容では致し方なしだがしかし、二郎が療養先の菜穂子を
訪ねなかったのは、もはや自らの生と一体化した(血肉備えた分身に相当する)航空機設計の天職と彼が切り離せないから、
一時的であれ中断するのは彼の死に他ならないからだと思う。
posted at 10:35:01 

2)もちろんおかしいのだ当然、狂気とか妄執に近い桁外れな命がけの思い入れ、だからこそ一般通念では考えられない非常識な
ことにもなる。
だけど菜穂子も二郎本人もその異常さをわかった上で信頼し合ってるから、物理的距離の遠さは疑念や不信を呼ばない。→
posted at 10:37:18

3)心は誰より相手の近くにあるから。
そんな理屈無用の恋愛に外野が首突っ込んで常識なんぞ盾に非難するのは野暮の極みだろう。
posted at 10:38:37

4)都合の良くない過去はことごとく都合良く「忘れる」日本だから、この魔の山での事も君は忘れてしまうだろう、と
カストルプ(だったか)からの皮肉交じりの投げかけに、二郎がきっぱり「僕は忘れない」と言い放ったことの意味を
見逃してはならないと思う。
posted at 10:39:18

5)夢とうつつが境目なく繋がり、流れる時間が平然と分断される、端正さ緻密さとは無縁の構成のいびつ。
沢山の矛盾、沢山の諦念、沢山の裏切り、沢山の死、そういった累々と横たわる屍を非情に乗り越えて到達するしか、
その人の生がないとしたら。自分を殺さずにすむ選択肢がないとしたら。
posted at 10:40:33

6)完全なる人の平等など現実には絵に描いた餅でしかなくて、醜いこと惨いことは世にうんざりするほど溢れていて、
でもそう認識した時点で決して腐らず、悲観にも絶望にも足を取られず、人に何を言われても世間にどう評価されても、
我が道を迷わず行くと決めた人の清しさ、強さを
posted at 10:43:27

7)真剣に命燃やして生きた人の人生を、誰が否定できよう。
ありのままを曝け出し、何一つ取り繕おうとせず懸命に生きた生命こそ、何にもまして美しい。
それは良し悪し基準とは全く別のものだ。
posted at 10:44:51

7/31

宮崎駿風立ちぬ』再び。飛行機の夢に絶えずつきまとう戦争の影。反復される上空でバラバラに分解し墜落する機体イメージは、
夢が現実に蹂躙される二郎の不安と恐怖の具現化。大半の人が様々な形で戦争に加担していた時代。
反戦を表明すればたちまち非国民だ国賊だと罵られ特高に連行される時代。
posted at 17:07:56

2)彼が「悪」なら当時の大半の人もまた「悪」と言わねばならない。極端な話「生きる」は誰かや何かの犠牲で成り立っている。
我々は他の命を食べて(犠牲にして)生きている。「生きる」自体が既にエゴだ。であるなら『風立ちぬ』の二郎のエゴは、→
posted at 17:10:31

3)他の命を不必要に飽食し、他の国を無慈悲に搾取し富み潤い、環境を汚し枯渇させてきた我々と何がどう違うだろう。
一つ分かるのは「生きる」痛みを引き受けた人は生命は、無類の輝きを放って途方もなく美しいのだということ。
posted at 17:11:50

4)その(切ないまでの)強靭さ、逞しさ。生きるとは、生命の本来とは、これほど目も潰れるほど眩しい発光の連続なのかと
思い知らされる。嘆いてる暇なんかない。悔やんでる暇なんかない。生きよう。生きよう。強く。強く。
posted at 17:13:34

8/4

switch半藤一利×宮崎駿
宮崎曰くの「軍隊の行進とか戦禍が広がるさまとか絶対入れたくない、それをやればドキュメンタリーになる、それは違う」とは、
つまり描くべきは個人の「意志」であって残酷悲惨な「状況」ではない、ということ。世に的外れな批判の如何に多いことか。
posted at 14:49:06

「自分の作りたいものを作ればいいとは思っていない」「何がこの時代に必要か、何を作らねばならないかを懸命に考える」等の
言葉からも宮崎駿はエゴの塊どころか、常に公共の利益に付与できる自身の役割は何かを模索している人なのが痛いほど伝わってくる。
posted at 14:50:38

庵野秀明は「72過ぎて宮さんがようやく20過ぎの大人になった」と。
それを子供のままでいろとゴネる、成熟の置いてきぼり食らうのが面白くなくて脚引っ張るのに躍起になる、お粗末にも世代を
言い訳にする、客寄せ用に吹けば飛ぶよな偽りの賢さを武装した一部の人のメンタリティの面倒くささ。
posted at 14:53:07

「(声優等のプロよりむしろ)実生活で存在感のある人間の方がいい声を出す」発言に宮崎駿の視点やら思想からが
集約されているように感じた。つまり美味なる完璧な「作り物」より不味くて不細工でも「本物」がいいと。
posted at 14:54:15

半藤一利の国家興亡40年周期説でいけばあと20年は下降線、ですか。ということは93年制作のジャンパーソンが繰り返し
提示するシビアな状況とそれに屈してはならじとの厳しくも力強い励ましは今に十分通じるテーマ性を有していると言えるのでは。
JP地上波で再放映やれば意外にウケそうな予感。
posted at 14:57:04 

子どもたちの顔見たら「君たちの未来は真っ暗だ」なんて言えない。自分たちが役に立つなら何とかして役に立ちたい。
繰り返すがこんな発言する人をエゴイストと一刀両断する人こそ自身のエゴイズムを見つめるべき。
誰にとっても天に唾することを他者に躊躇なくぶつける恥ずかしさの自覚あるやなしや。
posted at 14:59:34

switch半藤一利×宮崎駿。半藤さんは正気の人ですね、と対談後スタッフに(カメラに)語る宮崎駿
「正気でいなくちゃならない」、これは世のありのままの実相から目を逸らさない、逃げないことと理解した。
posted at 15:01:09

番外。宮崎駿のアトリエ探訪コーナー(勝手に名付ける)にて。ハイジ絡みでほぼ実物大なヤギのぬいぐるみ(なんと)が
ひとかたまりに何匹もいる部屋のインパクトたるや。
飛んで跳ねてヨ〜レイホーやってくれる器用をついヌイさん方に期待してしまう。
posted at 15:03:14 



※その2はこちら→風立ちぬ関連感想ツイート(8/27-9/7分)まとめ

仮面ライダークウガ関連つぶやきまとめ(7/5-7/16)

7/5

小説クウガ読了。グロンギ絶対悪を印象論に落としこむ危うさが気になる。「見た目も行動も独特」で「不気味な装飾」を好み、
人間のように暖かな血が通っている「とは思えない」、と偏見交えて語る一条に共感するのは難しい。
そもリントの碑文内容を全て事実で正しいとする根拠をどこに求め得るのか。
posted at 17:12:05

2)グロンギ絶対悪が一方の言い分に偏るアンフェア判断でないと何故言い切れる。
両種族の因縁探るにもバラ女は生け捕りがベストだった。いや一度でも生け捕り前提で対峙したことあったか人間側に※。
誰かの笑顔のため、はグロンギ側にも成立する(この「誰か」は互いの種族限定の意味でしかないので)→
posted at 17:16:49

※追記
後から思い出し。生け捕りに関しては以前の記事に既に言及済みだった、が
メインの荒川脚本でなくあくまで飛び入りサブ井上脚本(GJ!)の配慮であり、当初はその方向性が全く配慮されてなかった事態を
考えるに、やはり根本的な倫理面での欠陥を指摘せざるを得ないと思われる。
つまり後付で何としてでも一時は敵視していた脚本家を利用してでも作品=自分を完璧に見せたい作り手及びファンの擁護が
却って胡散臭さを増幅させる結果となっている。
内輪での最高評価に水を差す外野の意見に真摯に耳を傾ける以前にただただ潰そうと躍起になる、それ自体が既にキナ臭い
作り手とファンとが利害一致で共謀した「作品批判を一切認めない」という意味での「勧善懲悪」の浅はかで酷い体質を
露見していると言えまいか。注:勧善懲悪にも人に対し、行為に対し、とそれなりに段階があり一律に「悪」ではないわけだが、
それすらも理解しない(浅はかな一面的イメージ頼りに一緒くたにする)短絡脳が多すぎる重大な弊害の嘆かわしさ。

3)→情動に引っ張られた動機ゆえ公レベルでは意味をなさない。個人の感情に警察が乗っかるからおかしな事になる。
グロンギの優生思想とエゴ立脚の排他主義こそ全力で否定しないと。
共存共栄の提案蹴ってなお攻撃してくるグロンギだから仕方ない戦うしか道はない、と丁寧に段取りつけてくれないと。
posted at 17:18:24

4)グロンギとは何ぞやの疑問を単純悪で済ませずに、後付でもいいから何か説得力ある掘り下げを期待したのだが。
バラ女の件にしろマルエム法改正の皮肉な成り行きにしろ「我々は何一つ間違ってない」の強弁に終始したのは残念。
グロンギとは完全に意思疎通不可能としたいなら→
posted at 17:19:50

5)せめて最初から会話不成立な設定の進撃の巨人方式でないと、なるほどと思えないし腑に落ちない。
対話を諦める見限るのは駄目元で試みてからでも遅くない、生け捕り作戦も同様。
せめて相手を知る努力してから殺戮辛いだの愚痴るのが筋ではないかと思ってしまう。
posted at 17:26:29

7/6

本日一日かけて『語ろう!クウガアギト龍騎』を大変興味深く面白く読んだ。感想は山ほどあるが追々にして。
ひとつ発見したのは、一口に「子供」といっても該当する年齢範囲が下は未就学児童から上は思春期の未成年まで幅があるのに、
いったい各語り手がどの辺りの年齢を想定してるのかが曖昧なこと。
posted at 20:39:40 

2)ちなみに小学校低学年以下の子供に、自分で善悪を判断しろと突き放す大人は無責任の謗りを免れないと思うがどうか。
SHTの時間帯からして戦隊とプリキュアに挟まれてるライダー「だけ見ない」選択はまず考えにくい彼らに、
正義じゃなく我欲のために戦うライダーとは名ばかりの怪人大集合だった→
posted at 20:50:30

3)(と井上敏樹も認める)龍騎を誰が推奨できるだろう。あの年頃の子供は思春期の煩悶だの人間ドラマだの関心ないから
どうしても浅倉みたいな分り易い強さをヒーローとして憧れる、やっていいこと駄目なことの社会の基本ルールを教わる段階の
幼児が、欲望全開で生きるのがいいと「刷り込み」されて→
posted at 20:55:49

4)それに全く影響受けない、なんてことが本当にあるだろうか。SHT枠のスポンサーの主流ターゲットはあの年齢の子供で、
なのに作ってる作品は彼らの頭飛び越えた別対象に色目使うのでは子供らに申し訳が立たないでしょう。
出会うライダー作品を「選べない」し「何年も続けて見るとは限らない→
posted at 21:02:07  

5)即ち一過性の経験になる可能性高い」彼らにとって斬新とか深いとか大人っぽいとかに何の意味があるのか、
作り手とオタクの自己満による「良し悪しの基準」なんぞ却って邪魔で迷惑なんじゃないのか、冷静に一歩引いて自問するのも
無駄じゃないと思うのだ。
posted at 21:04:35

7/8

さて休日挟んで間が飛んだが、語ろう!クウガアギト龍騎、のおおまかな感想(というか引き続き疑問点から先に出します)
その2など。
posted at 12:14:21

2)「殺戮種族なる設定を否定する」事と「グロンギの怖さを否定する」事とは全く意味が違うし、平成ライダー一期に関して
「SHT枠もライダー縛りも取っ払ったオリジナルシリーズが良かった」は「内容自体がつまらない」の意味ではない。
何故二つを同義に扱うのか(扱いたがるのか)、→
posted at 12:16:07

3)その短絡理解(というか誤解)が隠蔽するものこそ直視すべきだろうに。何故直視しない(できない)かな。
グロンギを殺戮種族と設定し、わざわざ人種や民族差別の格好の言い訳提供しなくとも、もっと巧いやり方はいくらでも
あったはず。人種民族対立に免疫ないガラパゴス日本では通っても→
posted at 12:17:37

4)世界基準ではトンデモ設定間違いなし、下手すりゃ対立煽り目的の洗脳に悪用される危険度なのが何故わからない、いや
わからないフリする。繰り返すが子供の身体感覚に訴える得体のしれない恐怖は大事という主張と、得体のしれなさの欠片もない
「殺戮種族」設定とは「同じ意味ではない」。
posted at 12:24:59

5)未知なる恐怖を具現化したグロンギは秀逸、には同意だが種族本来の残虐性とか言い出すと正直冷戦時代のリアタイ経験者は
これだからとため息つきたくもなる。身体経験として獲得したある年代以上のリアルを今の子供にまで正しいと無理強いするのは
やはり違うと思う。
posted at 12:28:13

語り手の方々の年齢見ればああなるほどねと理解しただからその辺は。
posted at 12:30:54

6)具体的に共感ポイント多かったのが宇多丸井上敏樹の両氏で、前者はアギト絶賛の熱っぽさがいいし(つられてラス前の
アギトのために!に感動したの思い出し、あれは最高に嬉しかった)、後者はとぼけた茶目っ気ふりまきながらさりげに鋭いとこ
突いてくる話芸面白すぎ。
posted at 12:41:05

7)→なんかもうケータイストラップかなんかで二等身のトシキ人形とか作って欲しい。
指で勢いよく弾くたびに、いい台詞だろ?いい本だろ?いいこと言ったろ?と得意げに喋るウザさ一歩手前のやつ(苦笑)
posted at 12:43:18

8)あと高寺Pが思うライダーらしさは「異形と人間とのツーショット」だというのが眼から鱗の指摘で素晴らしかった。
一番おお!と盛り上がった箇所だったかも。で、もしや響鬼明日夢を鬼にしない方向に内容変更したのも或いはその思いが
無意識に直感となって表出したのではと推測してみたり。
posted at 12:45:32

クウガ25&26話をめぐる切通氏による白Pの主張の代弁「少年が栃木から東京に来るだけなんだから
家出ってほどのことでもないし、自由に行動させてあげればいいじゃないか」P184について。
多数の死者も出てるグロンギ出没する東京には危ないので行くなと→
posted at 15:33:37

一度釘刺したのにそれでもふらふら向かった生徒の身の安全を担任が心配するのは当然だし、
そも家出なんて誰も口にしてなかった気がする。
posted at 15:34:45

少年が最初に訪れたのは実家の跡地の駐車場で、それが亡きお祖母ちゃんへの懐かしさからなのはナレからも察せられるのだし、
両親始め周囲の大人には警戒心や諦めを抱く少年も、自分が無条件で丸ごと温かく包まれていた過去のイメージ上に
「おばあちゃん」の存在があったのは想像に難くない。
posted at 15:36:06

次に訪れる(きっとその昔頻繁に通ったのだろう)駄菓子屋で、わざわざアイス買ってまで懐かしい売り子のお婆ちゃんに
一目会い他愛ないやり取りしたかったのに、予想に反し孫が応対、思い切って消息尋ねると今は老人ホームにいると返され
顔が曇るくだりにも「おばあちゃん」の連想は働いている。
posted at 15:39:00

少年は(本人は認めずとも)誰かに気にして欲しかった、が両親は当てに出来ず、先生も心の距離ある大人の一人で、
唯一気を許せるのは(あれこれ上から指図せずただ温かく包んでくれた記憶の)「おばあちゃん」だけ、それははっきり意識に
上った考えでなく何となく気づけば足が向かったのだろう。
posted at 15:43:41

だから誠実に押し付けがましくなく話を聞いてくれる、大らかに受け止めてくれる大人がいれば
別におばあちゃんでなくてもいい、それが五代だったと。
五代の対応は理想的で、ある意味ヒビキにも通じるまったり感の持ち主、気にかけてくれる大人がいる、ただそれだけの嬉しさ
頼もしさってあるから。
posted at 15:47:18

五代君の良さは駅で切符購入してるそれらしき男の子見かけてもすぐには声掛けず、後ろからそっとついていくところ。
声かけるタイミングを慎重に見計らって、でも全然変な気負いも恩着せがましさもなく、自然にごく自然に、
気づくと寄り添ってる距離の取り方の絶妙に感心する。
posted at 15:50:18

という風にグロンギを殺戮種族とした設定以外なら、クウガ擁護はいくらでも出来る、だからこそ複雑な思いを持て余すわけで。
posted at 15:52:21

7/10

既読前提で書いたので主旨が分かり辛いかもしれない点を遅ればせながら補足。
語ろう!クウガ〜本に関する一連のツイで言いたかったのは以下。
アギトの真魚(女子高生)は家出であっても、クウガの拓(小学男子)は家出ではない、なのにその二つを
「同じ家出の描き方も対照的」だと→
posted at 05:13:26

2)する切通発言をベースに並列に比較し 「解釈の違いがPの違いを象徴的に表している」結論に結びつけるのは
強引に感じたということ。
これは視点の柔軟性云々とは全く関係ない話、というのも両者は年齢から環境から状況から違う、さらにダメ押しで
「同じ家出」でもないとくる→
posted at 05:15:08

3)つまりこの二つの例の比較からPの考え方の違いに持っていくのは無理がある。またPの考え方の違い以前に
(劇中提示されている諸々への)事実誤認をまず指摘した上でないと、「解釈の幅として許容範囲」とはいえないはず。
まず結論ありきの予定調和に見えては勿体無いと思う。
posted at 05:22:13

@risaku わざわざご返答いただき恐縮です。気付くのが遅れ随分な時間差リプになってしまい申し訳ないです。
真魚ちゃんに関しては仰る通りなんですが、すでに前段で切通さんから「家出した少年」との表現が出てきたのを、谷田さんが
そういえばと具体的に話を広げる形で受けられた、というのが→
posted at 11:37:37

@risaku 2)拝読しての印象でした。拓くんが当日中に帰るつもりだったのは帰りの切符購入する描写で明確なので、
「家出にあらず」は一つの解釈というよりは劇中内事実だろうと思いましたし、読み手の誤解に繋がる可能性ある流れが
気になった次第です。→
posted at 11:40:00

@risaku 3)拓くんは家出ではないが、誰か気持ちを打ち明けられる大人の存在を無意識に求めていて
過去自分を受け入れてくれた「おばあちゃん」たちに無意識に会いに行った、それが25&26話だと思う私個人は、
「家出にあらず」は白倉Pと、「人間としての五代くんの対処」は切通さんと、→
posted at 11:41:44

@risaku 4)それぞれ見方を半分づつ共有している格好かと思います、ので一方への偏った肩入れはないつもりです。
何度も読み返したくなる内容の濃さ熱さから読み手として一緒に熱く語りたい誘惑につい駆られてしまいます。
素晴らしい御本をありがとうございます(谷田さんにも感謝です)。
posted at 11:43:35

7/11

親と子も、教師と生徒も、直線的な上下の関係、だから煮詰まり易い、率直な意思疎通が錦の御旗な大義名分の前に無効化される、
不動とも思える上下関係の突破口は、おじさんおばさんだのご近所の知り合いだの「大人と子供」の直線以外の
別の関係性パターンにある。
posted at 13:47:4

2)その一つのモデルケースがクウガ25&26話だと思ってる。
子供にかまけていられないほど忙しい(連絡がとれない、と神崎先生がぼやくくだりあり)両親に頼れない少年にとって
近いようで遠い距離の「先生」が、その先生のかつての教え子たる一青年、決して特別なヒーローとしてではなく→
posted at 13:48:59

3)一人の成人男子として少年と関わる、により行き場なき追い込まれた孤独から救われるエピソードが示すのは、子供には
親とか教師とか直線的上下関係に属する大人以外の間接的な立場の大人の存在が必要ということ。
かつて神埼の生徒だった五代が、神崎先生と拓少年の直線的上下関係にありがちな→
posted at 13:51:04

4)煮詰まり感を解き、少年に先生が如何に彼の無事を案じ、その抱えた悩みに真摯に寄り添おうとしたかの、偽らざる本心を
伝える役目を結果的に果たすことになった。五代は少年と恩師のギクシャクした心と心をしっかり繋ぐ、前述した直線関係以外に
くくられる大人のある種典型であり理想例であった。
posted at 13:52:25

5)五代のような大人の立ち位置だと縦ではなく横の関係で繋がれる、それが強みとなる。
石段に座る少年の隣に五代が腰を下ろす際、自分は一段下の段に座り直すのだが、あの仕草一つで本エピのテーマを余さず
表現したといって過言でない五代の、少年と目線を合わせようとしたその無意識の行為に、→
posted at 13:54:34

6)上下という縦関係にはない横の繋がり=フラットな関係ならではの壁のない気安い雰囲気が一瞬で生じ、少年の警戒を解く
契機となる。何気なく描かれているが説明台詞一切なしに全てを表現したあのショットの秀逸は今でも色褪せない。
posted at 13:55:36

7)神崎先生は先生だけに当然ながらウザい。喫茶ポレポレにおける説教まみれな愚痴の数々は健全な子供にはまず間違いなく
疎まれる類の大人の言い分だが、それで先生の真心にケチがつくわけでは少しもない、分かり合えない、はすれ違いによっても
生じるから。神崎先生の生徒を思う真心が→
posted at 13:57:23

8)教え子五代を介して初めて拓くんに伝わる(伝わったと視聴者にわかる)ラストシーンの感動は、先生と生徒という固定した
関係だけでは迎えられなかった。間に立つ絶対上位に位置しない大人の存在が如何に貴重かを思い知らされる。
posted at 13:59:09

7/16

『語ろう!クウガ アギト 龍騎』関連ツイを読み改めて思うこと1)。
幼児含む子供番組が最低限守るべき倫理観を一般論の見地から断罪するのは、すでに基準の軸がブレているのでその事自体に
さしたる意味は無いように思う。またクウガが勧善懲悪か否かの判断の決め手はやはりグロンギの設定で、(続く
posted at 14:39:22

2)最近出版されたメインライター荒川稔久氏の小説クウガでは「グロンギ族は人間とほぼ同一な存在だが、殺戮をゲームとして
楽しむ好戦的な種族」P15と
既にある作品内言及を継承する一方、語ろう!でのグロンギ認識が「人間とは異なる未知なる存在」に集約される→
posted at 14:44:08

3)(ように見える)落差に少なくとも読み手は意識的であるべきで、そこをきちんと踏まえないと、たとえば前述の、
子供番組と一般論の各基準を乱暴に同一視することを寛容さに読み替える(あえて言うが)誤魔化しにも繋がる気がする。
基準をどこに求めるか、「寛容さ」とはその混同ではないはず。
posted at 14:46:13

4)更に勧善懲悪について。クウガの勧善懲悪を否定するならば、「こんな奴らのためにこれ以上誰かの涙は見たくない!」
この五代の叫びはそっくりグロンギ側にも反転可能な戦う理由の正当化になりうる点に着目しなければならない。
こんな奴ら、と憤るのはあくまで主観で
posted at 14:48:17

5)感情的判断でそれはグロンギ側にも当然にしてある、ということを認めることからはじめなければ
単なるご都合主義の言葉遊びの域を出ない、ということ。
posted at 14:49:11  

6)クウガグロンギと555のオルフェノクを同列にみるのはおかしい、とする見方は即ちクウガの作風は勧善懲悪だと
認めるに等しいのだが、一方でグロンギは人間と同列には扱えないとし、他方で「毒」を受け入れる寛容さが足りない社会を
批判し、真逆の主張たるどちらにもクウガ擁護というだけで→
posted at 14:53:17

7)簡単に同意してしまう、またその矛盾が見過ごされている怖さにもっと自覚的になっていい。
posted at 14:54:48

8)種族(人間)VS種族(グロンギ)という図式の勧善懲悪を否定するなら、人間だけに肩入れせず敵対するグロンギ側にも
言い分があると双方から一方引いた公平な第三者目線のスタンスで書くしかない。
ここでグロンギを「人間とは異なる未知なる存在」とするためには種族の設定を無効にしなければ→
posted at 15:02:42

9)それはオルフェノクと何が違うのという話になってしまう。感情論でなしに今までに提示されたグロンギに関する情報を
付き合わせれば、クウガが勧善懲悪なのは動かしがたい事実だろう。設定に問題ありと重ねて主張する根拠はここにこそある。
既にある事実を今さら躍起になって隠蔽するのでなく→
posted at 15:06:55

10)辻褄の合わなさ、矛盾点に真摯に向き合う勇気こそ作り手とファン双方に必要だし次に繋がる原動力になるんだと
思っている。無闇な溺愛は何も生まない、閉じてて不健康で濁ったその正体は作品に名を借りた自己愛だと見破る勇気も必要と
重ねて主張したい。
posted at 15:08:35

八重の桜つぶやきまとめ(3/18-7/20)


3/18

現段階では八重の代わりに兄の覚馬が、維新の表舞台を描く際の「もう一人の主役」として配置されているのをあらためて実感。
今のところ兄妹二人で主役の任を分担している感じか。#八重の桜
posted at 11:32:55

攘夷派の血気に逸ったテロにもうんざりだが彼らを挑発する象山先生にも苛々する。国の命運握る立場なら命惜しまずして
何とする。格好つけている場合ではない。派手な装いも白馬も不要。本気で捨石になる気なら。
無私に徹し切れないインテリゲンチャの限界見る思い。#八重の桜
posted at 11:36:30

何かを変えるは容易い事ではない。一変には上手くいかない。それでもそれが正しい事なら何度でも何度でも願い出て
少しずつでも変えていく。ずっとそうやってきた。松重豊父によるいぶし銀な語りはテロとの鮮やかな対比をなす。
ちなみにこの父の信念は先週の八重にしっかり反映されていた。#八重の桜
posted at 11:40:53

3/25

八重の桜、は視聴が途中抜けたまま。兄の身を案じて流す八重の涙を、尚之助の手が拭おうと彼女の頬にもう少しで
触れんばかりに近づき、ややあって離れる辺りの胸キュン(最後のここは見た)と、蛤御門での大砲と銃声轟く戦闘場面の
コントラストが通してみないと実感できず(土曜までには何とか)。
posted at 14:27:04

3/30

権八が八重に「尚之助と夫婦になれ」と命じる時のショット間の繋ぎが不自然なのが気になった。
父の台詞はワンフレーズ終いまで途切れず続くのに、隣に座る八重に顔を向けていた義姉うらが、次のショットで一瞬にして
正面の権八を見つめている。#八重の桜
posted at 18:04:52

も一つ。やたらカット数多くて目まぐるしいのが難(京都パート特に)。チャカチャカして見づらい印象。
映像の持つ伝達力に更に上乗せした説明過多なカット割りのせいで集中が削がれがちに。
一木正恵演出よしっかり!と再びの声掛け。#八重の桜
posted at 18:07:12

吉川西郷が予想以上に嵌っていて、颯爽たる登場に惹きつけられるなど。#八重の桜
posted at 18:09:25 

大砲撃ち込むなど如何にも、と覚馬の仕業すなわち無事を確信する身内の声に励まされた権八が、
相好崩し皆に一々頷いてみせながら「うん、うん、まちげえねえ」目を赤くし感極まるのにジンとくる。#八重の桜
posted at 18:12:27

大垣屋から京の庶民に戦がもたらした悲惨と荒廃の過酷な現実教えられ、きゅっと強く唇噛みしめて無言の慟哭に打ち震える
覚馬の青さが愛しくてならず。
#八重の桜
posted at 18:15:23

3/31

八重の桜は頭から尻尾までたっぷり餡が詰まったたい焼きみたくどこから齧っても全部美味しい!
美味しくて心ゆくまで浸っていれば言葉にする前に満足しがちだったり。劇伴もいいなあ。サントラ欲しいなあ。#八重の桜
posted at 20:50:33

長谷川尚之助から綾瀬八重への清々しいまでに飾り気一切なし直球プロポーズ、生瀬勝と吉川西郷の国の未来懸けたやり取り、
西島覚馬の失明への辛いカウントダウン、等々どこを切っても金太郎な見どころ揃い。そして。工藤三郎の家族思いは筋金入り。
なんていい弟なんだ(じーん)。#八重の桜
posted at 20:54:08

4/7

覚馬からの心尽くしの門出を祝う品を手に取り微笑み合う八重と尚之助の仲睦まじさを至福の思いで眺めるひととき。#八重の桜
posted at 20:53:57

ついに失明宣告受ける西島覚馬がいたわしく、そこに密かにお気に入りだった国広横山主税の退場も加勢して、
お通夜みたいな侘しさに襲われる。#八重の桜
posted at 20:55:05

初登場大久保一蔵の昔風美青年な風貌に往年の昭和スターを思わせる濃さと吸引力を備えたインパクトを感じるなど。
八重の桜はいい男を各種取り揃えたカタログのようだと。
等々あれこれ目移りしつつも本命は覚馬だったりする今のところ(って何の牽制球だ)。#八重の桜
posted at 20:58:14

4/28

視力の衰えから指を銃口に突っ込み溝の数を確かめる覚馬の焦りを制し、会津に捧げるは目だけに非ず、五体の全てだと励ます
修理。その誠に打たれ異国の商人に人種差別的偏見と不信を露わにした自らを恥じ、進んで「もう一度話を聞いてくれ」と
頭を下げる覚馬の潔い率直が好きだ、大好きだ。#八重の桜
posted at 20:59:56

「いま都を放り出すは先帝への不忠ではないのか」。
孝明帝ラブな容保に完膚なきまでに止めを刺す必殺の責め文句を放つ慶喜もまた、幕府存続ゲームに熱中する頑固者だ。
幕府に未来なしとの勝の先見の明は、しがらみ大事の野心に弾かれ、無駄かつ無意味に沢山の血が流された。#八重の桜
posted at 21:01:28

慶喜は己のゲームに勝ちたいだけだが、容保の会津は建て前に命がけの武士の誠を貫こうとする(武士を武士たらしめる)
やせ我慢だ。「武士は食わねど高楊枝」の精神はまさしく会津そのもの。
理念に生きる彼らは正真正銘の武士であり武士の魂の最後の体現者だったのかもしれない。#八重の桜
posted at 21:05:17

尚之助ですら八重の女性性に惑わされ見くびってしまうか。後々この人の実力に思う存分驚かれんことを。
早いとこ井の中の蛙な面倒くさいパワーゲーム終わって八重の時代よ来い!である。#八重の桜
posted at 21:06:21

5/5

八重の桜。本日放映のサブタイにはロッシーニの『ランスへの旅』や小林監督の『春との旅』などへの連想が織り込み済みなのか
>尚之助との旅。
posted at 20:41:01

八重の桜。ろくに視聴出来なかったので後日あらためるとして、とりあえず西島覚馬の視力の行く末が(既に知っていても)
気になって仕方ない。それと最近やたら劇伴が煩く感じるんだが音量バランスの問題なのかな。
posted at 20:44:58

5/12

日本国に住まう同胞を敵扱いする「余裕」は外敵の脅威への備えが二の次である証であり、漁夫の利で誰が得するかは
考えるまでもない。勝海舟の説教に貸す耳あれば富国強兵の最短距離を辿れたものを。人財に替わる宝なし。
明治以降の日本人全体に及ぶレベル低下はここが起因か。#八重の桜
posted at 20:45:19

阻むものは刺し殺してでも進む、それが西郷の気迫だと。こんな野蛮なテロ思想を称賛してるうちは日本人全体の質は
向上しやしない。ちまちました共食いに明け暮れる虫レベルのマッチョ脳味噌(藩も性別も問わず)が日本を私物化する構図は
ヤクザのショボい抗争レベルと知るべし。#八重の桜
posted at 20:46:12

直前に怖気づいた慶喜がいかに屁理屈こねようと欠席裁判こそ全力で回避すべき事態なのは誰の目にも明らか。
現状改善の努力を避けて有り得べき起死回生を念じるなど今さら若気の至りで済まされない失態。
お坊ちゃん育ちの見通しの甘さを結局は露呈したカタチ。#八重の桜
posted at 20:47:01

5/19

鳥羽伏見で優勢を確保しないと尻に火がつくのは己なのに、肝心な時にハリボテ権威へのおすがり信仰に逃げる慶喜の無残。
土壇場で厳しい現実から目を背けるご都合妄想、のみならず、己ひとつの命を大勢の人間の血で贖おうとした罪の重きよ。
#八重の桜
posted at 20:42:35

たとえ薩長を制し外交権押さえても肝心の実力勝負に敗れたらあっさり形勢逆転されるは必定、あれは何の時間稼ぎだったのか、
まさか益体もない気休めか、雌雄を決する場で無力を晒せば諸藩も幕府を見切り薩長につくは道理。
慶喜の頭でこねまわした屁理屈と会津の命張った行動の皮肉な対比。#八重の桜
posted at 20:45:31

5/26

終始涙止まらず。命がけで責任を果たす武士たる者の有り様を「二枚舌は利口の証」と疑わない慶喜との対照で見せた今回。
主君の思いを知り修理の顔に静かな微笑が広がるのに堪らず嗚咽。
生命捧げた御方の傍を離れて生きても仕方なし、明鏡の如く一片の迷いなく澄み渡る心が、そこにあった。#八重の桜
posted at 19:13:31

5/27

1)朝目覚めてもまた昨夜の余韻甦って涙流れる始末。調節機能でも壊れたか。
おそらく三郎や修理の死を悼むのみに留まらない、心の深部を揺さぶられる「体験」だったからだろう。
死を美化したいのではない。山本むつみ脚本にもそのつもりは微塵もなかろうと思う。→
posted at 11:02:15

2)時代は幕末で彼らは武士の身分で、であるなら「責任」の二文字は常に「死」を意識して口にされる、
ごく当たり前の覚悟として。 であればこそ山本脚本はその向こうにある「命の使い方」に注目する。
いつか尽きる命なら最高の使い方をして「生」を全うする、命を十全に使い切る、→
posted at 11:04:30

3)そしてその通りに彼らは生きた、生き切った、だから修理は切腹直前に満ち足りた微笑を浮かべるのだし、
三郎は単独突撃の決行直前まで、姉がお守りとして服の袖部分に縫いつけた南天の刺繍をぎゅっと何度も握り締めるのだ。
あれは「生」への能動的態度に他ならない。
posted at 11:06:39 

4)むろん現代においてああいった武士的な生き方をそのまま肯定するわけにはいかないが、しかし見るべきは彼らの心であり
心意気だろう。どう生きるか、どうこの命を使うか悔いなく使い切るか。「生命に真剣に向き合うこと」はすなわち
「生命を大事にすること」でもあるのだ。
posted at 11:10:54

5)昨日は気迫こもった一木正恵演出がまた素晴らしくて感激しきり。
開巻すぐの夫の安否を気遣う雪の背後を吹き抜ける風の不穏な音。
暗転に続き、細く開けたふすまから漏れる光が座した修理のシルエットをぼんやり浮かび上がらせるのや、
修理や覚馬の万感の思い込めたショットからの →
posted at 11:12:54

6)会津で待つ家族の顔アップに繋げる流れも良かった。八重、うら、佐久の場面での照明などひときわ美しかった印象。
posted at 11:13:55

6/2

今回は勝先生と盲た覚馬それぞれの生命張った真剣一途の嘆願にぐっときた。
そして弟三郎の死に取り乱す八重の胸の潰れるほどの苦しみにも。
posted at 18:51:50

6/16

決まって覚馬に泣かされる。先週も今週も。
弱気に襲われ濡れそぼった後悔と愚痴に溺れかけた覚馬に閃いた虎之助の一喝「身一つで立ち上がれ!」。
10年後100年後の広い視野にひとたび立てば、もう怖れるものは何もない。「まだある、俺に出来ること」#八重の桜
posted at 21:30:59 

生命の隅々まで躍動し燃焼し余さず使い切る勢いで為すべきことに全力で立ち向かう覚馬。
また新政府の悪口か!と何度破り捨てられても拳で胸を叩き「ここにあるものは誰にも奪えん」、諦めず怯まず
ついに書き上げた管見。 何のため。誰のため。松平春嶽といいぶれない問いかけの原点。#八重の桜
posted at 21:35:48

6/17

会津はどこで間違った」覚馬の煩悶は、都からの撤退時期を見誤ったと嘆いた頼母の現実主義と同じもの。
がそれはご家訓厳守の主君批判であり、最大の禁句を口走った彼が御役目解任されるのも当然の流れ。
身分制の世を生きた彼ら「武士」と現実主義の相容れなさが招いた避けがたい悲劇。#八重の桜
posted at 06:03:43

6/23

攻められたら守るため戦うは必定。事ここに至って彼らはおのが命を最大限「活かす」ため戦うのだ。
戦うべき時に戦わずして何が武士(もののふ)ぞ何が人ぞ。
闇雲に命惜しむは生きながら死ぬに等しい。命の使い道に真摯に向き合う人の曇りなき誠実に打たれる。#八重の桜
posted at 20:42:00

6/30

重々しい甲冑まとい荒ぶる男たちを前に、一歩も引かず理と情の両輪もって説き伏せる八重の、びんびんと空気を震わせる声の
迫力。圧倒されしんと静まり返る男たち。彼らはそこに混じり気なき会津の純粋なる魂を見たのだ。#八重の桜
posted at 20:10:40

皆それぞれの場所で、境遇で、持ち場で戦っている。生きるは戦いの異名。真剣真面目であればあるほど。
勇気を奮い起こし精一杯の命を燃やす。悔いなき「生」のため。#八重の桜
posted at 20:23:52

自刃や切腹の行為そのものの是非を現代の目線で問うのではなく、これだけは譲れぬという信念を貫いた、人として恥じない生を
全うした、その彼らの心を精神を、大切に敬いたいし謙虚に学びたい。#八重の桜
posted at 20:38:08

お城は守る、私は諦めない。
呟いた八重の決意の微笑み、それはかつて切腹の際に修理が見せたあのおだやかに満ち足りた微笑みと同じもの。#八重の桜
posted at 20:42:48

7/7

「お前らに会津は渡さねえ!」満身創痍な黒河内伝五郎の叫びに涙する。郷土愛を誰が否定出来よう、嘲笑できよう。
愛してるのだよ「おらが故郷」を。
理不尽に蹂躙されては戦わないわけにはいかないじゃないか、そのくらい分かってやれ、分かってやれない淋しき野暮をこそ憎め。
#八重の桜
posted at 20:43:09

通り一遍の戦争反対論で会津を貶める冒涜は許さないとの獰猛な気持ち抑え切れず。
真剣な命のやり取り経験したこともない日和見のぬるい立場でどうして彼らを非難できよう。
小利口な上から目線の傲慢ふかして悦に入る現代人たる自覚のあるなしが人としてどうかの分かれ道な気がする。#八重の桜
posted at 20:48:10

会津の行く末を視野に入れ理性に基づく正論を説くも、猛り立つ周囲から頑として受け入れられない頼母の孤立が辛い。
なまじ現実踏まえた冷静な判断が出来る人物だけにその場の勢いで盛り上がる周囲の情動に押し切られる理不尽が、本当に辛い。
#八重の桜
posted at 20:49:53

7/20

#八重の桜「戦争は絶対悪」は現代において揺るがぬ大前提だと思っているので、戦争は良くないという型通りの鉄壁の正論から
零れ落ちてしまう会津の切なる心情をどうにか受け止めたく大事にしたく尊重したく、そういう前のめりの思い入れを持て余して
しまう毎回、その悶々とする辛さ。
posted at 13:27:54