梅ちゃん先生/大告白(第12週)

しかしいつも感心するのが、毎週15分×6の配分でよくもこれだけの数の登場人物を動かそうとするよなーと、
個人的には家族中心に小ぢんまりとまとめるイメージだった従来の朝ドラらしからぬスケールに
意欲作たる一端が窺えて(それを確信しつつある最近)頼もしいんだが、

ヒロインをある意味ドライに突き放して書く尾崎将也脚本の必然として、
最初のとっつきは薄味風味で物足りなく感じるが、そのうち週を重ねるごとに徐々に味わいを増す、
薄ぼんやりだった各人物の輪郭に次第にピントがあってくる、という見た目は地味でも
「噛めば噛むほど味が出る」スルメのような特徴があるように思う。(ははは)

今週も、先週から続く梅子と松岡のもどかしい恋の行方をメインに、松子の結婚問題と
信郎の家業引き継ぎ問題をサブに置き、そこに他の濃いキャラの面々がスパイスを効かせるという、
いつもの複数エピの並立進行に、安定レギュラー陣同士をぶつけることで生じる会話の
化学変化の妙味を生かした構成が見事だった。

決して大上段から凄いぞ傑作だぞと向かってこないし、些細なエピを連ねる手法にしろ単に無計画に
寄り道してると受け取られかねないライトな見かけの裏で、きちんと考えられた構成の上に成立している、
それが喩えるなら着物の裏地に凝る江戸っ子気質にもどこか通じる、本作のじわじわくる面白みに
なっている気がする。

梅子と松岡の展覧会での偶然の出会いが、その後の一緒に喫茶店から映画館へ行くという定番デートコースを
辿ることとなり、本人たちに格別の意識がなくとも、二人が勤める大学病院内では格好の噂の的となる。
この流れの必然を支えるのが、放映当時に「遊んでばかり」と批判集中した医専時代の
「一緒に映画を観るに至るまでの」梅子と松岡の付き合いなのは言うまでもない。
あの時にちゃんと二人の関係が親密レベルにまで育つのを丁寧に描けたからこそ、展覧会で偶然出会って
一緒に映画まで行く流れが不自然にならない。

しかも二人にとっては医専時代の延長のように軽く捉えていた行動が、周囲には恋人同士という目で見られ、
そこで初めて「そういう風に見られてしまうのか」と気づき慌てる、この周囲の思惑とのズレに、
散々「こんな低俗エピは必要なし」と批判された医専時代の描写の積み上げが説得力を添えている。

そもそも恋愛ほど思い通りにならぬ他者の存在を痛感する貴重な経験はないものを、低俗だの必要なしだの
嘆かわしい戯言ではある。人の成長を描くその通過点に恋愛をもってくるのは
逆に王道と言っていいくらいポピュラーな手法だというのに。

性の違いに他と我の違いを重ねる手法は、安定した効果を確実に望める手堅さがある、とはいえ
尾崎脚本の会話劇の妙があるから、効果も最大に発揮されるわけで、この会話の組み立ての巧さ
(とりわけ男女間の絶妙さが光る)が、シーンに奥行きと余韻をもたらし、ささやかな日常の一コマを
スペシャルに引き上げる原動力となっている。

松岡という男を知り始めた頃に、父建造に似ていると感じた梅子の直感は、この先の展開にどう影響するんだろうと、
先日の弥生とのやり取りを見ていて思った。
好きとか好きじゃないとか、いざ口にしようとすると本当なのか自信がなくて、などと
微妙なことを言う梅子に
自信とか関係なく好きは好きってことでしょ、なんだか梅子らしくないよ、
こちらも本質を鋭く突く応えをする弥生。
この何気なく弥生が指摘した「らしくない」に、あるいは今後の展開を左右する重要な意味が
潜んでいるのではと読むのは要らぬ先走りだろうか。気になる。

昨日(金曜)の梅子と松岡の、相手を恋しく思う互いの気持ちが通じ合うほのぼのシークエンスには、
男女の駆け引きの典型が垣間見れて面白かった。
男の他の女を律儀に拒む潔癖が、女に安堵と余裕をもたらし、男の誠実な一途さを確信した女ならではの
肩すかし(なれば良かったのにお婿さん、勿体ないことしましたね、など)で揺さぶりをかける、
すると男は女の言葉をいちいち真に受けて否定し、その勢いで告白してしまいそうになり、
慌てて話を逸らそうとして(形勢を立て直すべく)形而上的理屈をとうとうと並べようとする、
そんな男を不意打ちで女が抱きしめ、帰ってきてくれてありがとう、しみじみ伝える破壊力に
金縛りにあったかのようにしばし固まる純な男、
ようやく片手をおずおずと女の背に添えるも、もう片方は相変わらず不自然な位置でフリーズしてるという、
何とも初々しいカップル誕生シーンではあった。

と思いきや、本日土曜では梅子と松岡の「自分たちがいま付き合っているかどうか」の認識のズレが発覚と、
ネタ提供の手を抜かない徹底ぶりには参った。一難去ってまた一難、おっと使い方違うか。

さらに本日は7人で食卓を囲むシークエンスの会話劇の巧さが圧巻だった。
すべてのキャラの個性がきちんと立っていて、それがとってつけた説明口調でない自然な台詞回しと掛け合いで
表現されている。派手に目に付くわけじゃないこのさりげない巧さは、もっと直截に賞賛されていい。

しかし建造が梅子には不評な(梅子に限らず大抵の場合、女子ウケ悪いのが普通だろうが)松岡の
ドーナツの穴にこだわる形而上談義に一も二もなく賛同の意を示したのは、「男とはそんなものだ」という以上に
二人が似たもの同士だからであって、ゆえに倍賞美津子演じる正枝から即座に「そんなことありません」と
ぴしゃりと否定のツッコミ入るのに言い返せない(立場も養子だし ←最初はてっきり婿養子かと思っていたが、
双方のやり取りから力関係がわかり察しがついた)建造の無念が、言い知れぬ哀愁と可笑しみを含むのである。

たいてい急に「男とは!」とか言い出す場合の男には、沽券に関わる事態を何とか挽回したい焦りがあって、
だがしかし、そんな男の胸の内を、女が先回りして察してくれることはまずない、
有り得ないといっていいくらいに、ない(断言してしまうが構わない)
それが前段での「孤立無援状態阻止のため松岡を呼んだ」と倍賞美津子こと正枝に容赦なく指摘された
建造の哀れを一層誘いもするのだ。お父さんドンマイ。

信郎の駄目っ子コンプレックスも梅子同様、幼少時から出来のいいお隣の竹夫と比較されることに由来していたと
判明し、ノブが梅子の男子ヴァージョンである構図がより明確化したように思う。

そして回を追うにつれ、段々と梅子の意外な一面(ノブを叱咤激励する時などにあらわれる気の強さや激しさ)が
表面化するのも興味深い。
梅子というヒロインに、記号的キャラ付けに終わらない、人間らしい矛盾を秘めた複雑さを内包する奥行きが
加わるのは、先行きの展開を面白くする要素が増えることでもある。
単純に優しいとか博愛主義とかだけで人の性格が形成されないから人を扱うドラマは面白い、となるのが
本来なのであって、人がまともに描けている基準を刺激的ストーリーであるか否かに求めるのは、
本質を見誤った「すり替え」にすぎない。

他者には深く付き合えば付き合うほどに、今まで知らなかった思いもよらぬ意外な側面が出てくるものだから、
別の面を「違う」といえるほど相手の何を知っているのか、の自問自答は常に必要となる。
それはリアルに限らず、ドラマの登場人物にも言えるはずなんだが、まあそれなりに優れた脚本に限られるとはいえ、
本来はそうあって欲しい、描かれて欲しい願望としては。
人間を描く、とは記号キャラとは真逆のそこに(言動と内面との矛盾する葛藤、たとえば本音と建前など、を
含めた人物の意外性を伴う引き出しの多さに)尽きると思うから。

個人的ツボはやはり竹夫と梅子の絡み、だろうか。
茶化したりからかったり兄貴風吹かせたり、等々の妹のあしらいに、
どこか自分を重ねる部分があるのかもしれない。
そういえば妹もあんな感じだったなとか、梅子を見てて感じることも度々だったり。
梅子は典型的妹キャラなのかも。

山倉の育ちの良さが窺える、のびのびとした素直で邪気のない反応や態度を見るとホッとする。
あんな気持ちのいいヤツちょっといないぞ。初登場以来の贔屓キャラの一人。
出てくるとそれだけで嬉しくなる。

梅子は「旅に出ます」などと書き置きする勘違い男のロマン全開させた未熟な信郎を、親を心配させて
フラフラしてばかり!と、その情けなさを「我が事のように」嘆くのだが、
竹夫は「男はフラフラする必要があるんだ」と逆のことを言う。
すぐ帰らないのも、ただでは帰れない意地があるからだと、かつての我が身を振り返り、ノブを擁護する。
そしてそれを梅子に「男同士かばいあって!」と非難される。

ここは明らかに前作を意識した流れなんだろう。
しかし以前も書いたが、そのことはOPの映像情報の時点から既に折り込み済みなので、
今さらパクリだ何だと騒ぐほうが(まさかそこまでの野暮天はいないと思いたいが)無粋というものだ。

建造&坂田のおじさんコンビが外に飲みに出るといい、梅子も一緒についていった、と理解している竹夫が
事務所のあるビルの階下の坂田医院を訪れた、ということは、
そこの看護婦である静子とすでに水面下で(ってなんだよ)何らかの進展があったと考えていいのだろうか。

次週予告では建造の危機が。
ほのぼのカップルの行方に早々と暗雲が。まさか我がひそかな危惧は本当になってしまうのか。
いよいよ目が離せない梅ちゃん先生でございます。で。ノブに彼女できんのか。急展開だなこれまた。






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