敵か味方かしかない思考

他者を敵か味方かに分別する思考ほど窮屈で虚しいものはない。
そんな子供じみた単純な枠組みに収まるほど
個人の内面は単純ではないからだ。
だがこの敵味方「信仰」(まるで世界は二極分化的見方で全て説明可能といわんばかりの)は
国地域を問わず根は深いようで、大統領就任以来のオバマの言動など
格好の標的にされていた。

思想信条や人種階層の違いを越えて、もっとその先にある共通の目的・目標に向かって
互いに歩み寄れる、協力できるはずだとする彼の主張は
熱心な敵味方信仰者の目には、どちらの側ともはっきり立場を表明しない優柔不断な日和見と映り、
絶え間なく激しいバッシングの嵐に晒され続けた。

だがオバマという人の持つ基本的な考え方のラインは、「ひとたび掲げた目的達成のために
最も有効と考えられる方法を選択する」にあり、それは過日のドキュメンタリー番組シリーズでの
証言によれば、学生時代から変わらぬ物事に対処する際の姿勢だったようだ。

オバマが大学のサークル誌の編集責任者となった時、同サークルに属する彼のアフリカ系の友人は
てっきりスタッフの人選には自分を含めた人種的マイノリティを厚遇するものと期待していたら、
オバマは全員を一律に能力主義で人選し、そのことにかなり失望を覚えたと当時の心情を正直に答えていた。

何のためにそうするのか。何が最終目標なのか。
彼には物事の本質が見えていた、枝葉にとらわれず、どうすれば目的に適った最高の結果が得られるかが
分かっていた。
この場合は「誌面をより良く充実した内容に高める努力」以上に大事なことは何もない。
本質とはかようにシンプルであり、何ものにも霞まない真実の光を放つことを、彼は知っていた。


最優先事項は何かを冷静に順序立てて考えるのは、さして難しいことではない。
気づくか気づかないか、視点の違い、また思考のスケールの違い、というだけのことだ。

だがその「だけ」の差がなかなか埋まらないのも現実であり、それは突き詰めて考える訓練が
足りてないせいもあるかもしれない。脊髄反射的に断定した後はずっと
凝り固まった敵味方を区別する思考に囚われる愚から、アメリカ国民ならずともどこの誰であれ、
開放される、自由になる権利を有していることに気づくべきだろう。一人でも多く、一刻も早く。

かのベルリンの壁はとうに崩れ去った。今度は心の壁を打ち壊す番だ。

対立のさらに先にある物事の本質に一人一人が目を向けることができれば
差異そのものは争いの理由でなくなる。
互いの差異を認め合った上で、意義ある建設的な議論ができるようになる。
またそうならなければ嘘である。
言葉というコミュニケーション手段を持つ人であるなら。
人と人とを分断する様々な壁を超える努力を放棄すべきではない。

負の感情も、負の行動も、「何のために」の問いかけの前に
頼りなく吹き飛ばされるだろう。
その本質を、その正体を、見破ろうとする勇気さえあれば
心の壁は呆気なく崩れ去るだろう。





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